ガブリエラ・ピッシュレル監督インタビュー
常川拓也
[ cinema , interview ]
some kind of hope in the pessimistic world
ボスニア出身の母とオーストリア出身の父を持つガブリエラ・ピッシュレルは、かつてクッキーを箱詰めする工場で働いていた。だからこそ、その経験や価値観を指針とし、映画に正当な労働者の視点を持ち込んでいる。また同時に、彼女は「ロッキー・バルボア」のような度胸のあるへこたれない女性主人公を創出したいと語っていた。それらは、映画が労働者階級の人々を描く際の同情的なやり方やステレオタイプな表象への反抗だろう。ひいては、ピッシュレルは、多文化国家である現代のスウェーデンを田舎町の工場労働の観点から読み直すことで、そのイメージの再定義を図っている。
──あなたの映画はシンプルで印象的な題名を持っています。『イート・スリープ・ダイ』というタイトルは、ケン・ローチが移民と労働問題を描いた映画のタイトルにも使った、1912年にマサチューセッツで移民労働者が掲げたスローガン「ブレッド&ローズ」にも通じる意味合いを覚えます。なぜこのタイトルをつけたのでしょうか。
ガブリエラ・ピッシュレル(以下、GP) スウェーデンでは「イート・スリープ・ワーク・ダイ」という表現があります。普通の人々の人生には仕事がありますが、『イート・スリープ・ダイ』のラーシャには仕事がない。だから、昔からあることわざを少しツイストさせた形にしてこのタイトルを名付けました。
──ドキュメンタリスティックなスタイルはダルデンヌ兄弟を彷彿とさせます。そのような語り口はノンプロフェッショナルな役者を起用する上での撮影しやすさから生まれたものなのでしょうか。
GP 撮影監督のヨハン・ルンドボルグもそうですが、ダルデンヌ兄弟からは確かにインスパイアされています。彼らの撮影の手法は、簡単そうに見えて実はものすごく大変なことをしていますが、彼らがよく使う動いているカメラの長回し撮影に影響を受けています。ロングテイクというものが、オーセンティシティのようなものとドキュメンタリーのようなスタイルをつくり出しています。そのふたつは似ているものだと思っています。というのも、私はアマチュアの俳優と働いていますが、それはドキュメンタリーに近いものだからです。編集のプロセスもそれに近くて、ドキュメンタリーの物語をつくっているようなプロセスを経て映画をつくっています。
──ドキュメンタリーとは異なり、そのようなスタイルをフィクションで採用することは、先の展開をわかっているにも関わらず、あたかもわかっていないかのように撮ることだとも思います。その点についてはどのように思われますか。
GP 脚本のあるフィクションの映画なので、実際にそれぞれの場面をつくっているのは私自身ではあります。しかし実際には何が起きるのかわからなくて、例えば、アマチュアの俳優はハッピーな場面でたまに泣くときがあったり、感情的になることがあります。私は、何でも表現していい、感情的になるところは本当に感情的になってほしいと伝えています。なので、脚本とは異なることが起こるときがあります。別の例では、彼らは悲しい場面で笑っちゃうときもある。そういう偶然、何が起こるのかわからない状況に対して、準備しなければなりません。異なることが起きたときに脚本を書き直すか、どのように編集するのかをその都度決めています。撮影のプロセスで色々なところに脱線したりしても、編集のプロセスでそれらを決断してまとめていく段階を踏んでつくっているのです。編集のプロセスが、映画が本当に伝えるものをまとめ直す作業だと考えています。
──すべて撮り終わってから編集するやり方ではないということですか。
GP いい質問ですね。『アマチュアズ』の場合、編集の最中にもう少し必要だと思ったときには追撮に行っていました。私にとって、映画づくりは、木で家具をつくることに似ています。木材を切って手触りを確かめて、徐々に椅子とかにつくり上げていく。実際に木という生き物(リビング・マテリアル)を椅子にするというプロセスが映画づくりに似ていると思うのです。色々な木があって、それを椅子につくっていく過程で色々な木のパートを見つけて、なにか面白いと思ったところを膨らませることでその時々の椅子ができあがる。『アマチュアズ』で言えば、皮革工場の場面はもともと脚本にはなく、ムッセ役のフレドリック・ダールと出会ったことで物語に組み込んだものでした。
──ダルデンヌ兄弟と比べて、あなたの場合は、視点がより一般的な普通の労働者にあり、犯罪や悲劇を描くことは意図していないところが印象的です。むしろコミュニティへの愛、あるいは友情を強調しているように感じました。
GP 犯罪や悲劇などは労働者の映画ではよく見られるテーマで、何度も繰り返されています。また、労働者は酔っ払いだとかの表象をよくされてきました。そのような表象は、物語をほとんど支配してしまうところがあると思っています。私にとって、ダルデンヌ兄弟というよりも、ミロシュ・フォアマンの初期作品に見られる集団コミュニティの感覚によりインスパイアされています。コミュニティ自体も小さいですし、テーマも死など大きいものではなく、個人の主題や問題というもう少し小さく純粋なものを取り扱っています。ヒューマニスティックな視点を強調したかったのです。『アマチュアズ』で町がPR映像をつくることは、大きな問題にもつながっていきます。それは、『火事だよ!カワイ子ちゃん』のようにミクロな視点を持ちつつも、実際には大きなことを描いている感じに似ていると思います。
──あなたの作品には、シビアというよりも楽観的なものの見方があるように思います。それは、自分自身の足で立って世界やしきたりに立ち向かうタフで反抗的なあなたのヒロインから生まれています。『イート・スリープ・ダイ』のラーシャや『アマチュアズ』のアイダは、ポップカルチャーを支配する典型的な「好感の持てる」女性キャラクターではないと言えますね。
GP ペシミズムを描くのは簡単です。世界はペシミスティックになっています。私の映画づくりのゴールは、ペシミスティックな世界に少し希望を残すことです。そういう風に希望を残していかなければ、映画を観た人に世界が変えられると思ってもらえない。ペシミズムを出すことは、世界を変えられないと伝えていることと同じなので、楽観性がないのであればいますぐに窓から飛び出してしまいたい(笑)。世界や社会を変えるというのは、ラーシャやアイダのような常にトライする前のめりでアクティヴな動き──そこにはたまに共感を持てないような行動も含まれているかもしれませんが──の中に表現されていると思います。
──また、あなたの映画では彼女たちのロマンスを描くことに傾かないところも特徴的で価値があると思います。その点は意識的でしたか。
GP そのポイントを持ち出してくれてすごく嬉しいです。労働者の映画はドラッグや犯罪、アルコール中毒、暴力がいつも描かれてきました。ロマンスもまたそのひとつの側面だと思います。私たちもそのテーマは好きですが、強いテーマなので、それに映画を支配されてしまうところがあります。私のふたつの映画は、そういったものとは異なる映画にしたいと思っていました。ロマンスという要素を入れてしまうと、ほかのもう少し繊細で小さな主題を見逃してしまうことが発生してしまう恐れがあるのです。映画をつくる前には脚本を人に見せてフィードバックをもらっているのですが、「なぜラーシャはあの男の子と恋に落ちないのか?」と尋ねられることがよくありました。もちろん私も考えたことはある。でも、それは簡単すぎるのです。ロマンスという慣習的な映画の主題に傾かないことに対して、葛藤はあるけれど、そこに価値があるのだと考えています。
──ただ、ロマンスではないですが、『イート・スリープ・ダイ』でラーシャが同僚の男の子ニッキーとピエロのようなメイクをして牧場に行く場面には親密さがあります。リアリズムの中であの場面は異なる感触を持ち込みますが、どのような狙いがありましたか。
GP 『アマチュアズ』の噴水の周りの通りに泡が溢れる場面もそうですが、そういう瞬間が人生には大事だと思っています。私には、普通の日々の中でマジックを探す側面があります。フェイス・ペインティングをする場面も泡の場面も物語上のロジカルな説明ができるようにはなっていますが、人々が大人にならなければいけない世界の中で子どもっぽい遊び心のある瞬間が、私にとっては、人間らしいナイーヴなところで好きなんです。
──『イート・スリープ・ダイ』では父と娘の関係を典型的なものではなく、対等であたかも友人のように描いています。なぜこのような父娘を描こうと思いましたか。
GP よく映画に見られる父と娘の関係というのは、問題のある関係性のものが多いですよね。そうではないものをまずはつくりたい思いがありました。私の父も実際に腰を悪くして早くに退職していました。なので父が、朝は私の髪の毛をといでくれましたし、学校から帰ってきたときにはごはんをつくってくれたり、掃除をしてくれたりしていました。母はクリーニング・レディで朝早く家を出て夜遅く帰ってきていました。父は身長が高く立派な口ひげがある「男性らしい」見た目ではありましたが、伝統的に母親がやる仕事を父の方が行っていました。そのため私と父には強い関係性がありました。いまはもう亡くなってしまいましたが、私自身が持っていた父と娘の関係性を同じものではないですが、映画に組み込みました。
──アメリカの映画作家マヤ・デレンは、アマチュアとは「経済的理由や必要性からというよりも愛情が動機となって何かをする人」であり、決してプロフェッショナルに劣るという意味の言葉ではないと言いました。『アマチュアズ』のアイダとダナの姿からはまさにそのようなことを感じさせます。
GP その言葉に完全に同意します。例えばアマチュアの人たちが「やるな」と言われようがやるところにエネルギーを感じます。その衝動が生む力強さや勇敢さが私のインスピレーション、エネルギーの源になっているのです。私が初めてビデオカメラを手にしたのは、ほかの人と比べると少し遅い23歳のときでした。初めてカメラを覗き込んだとき感動しました。私は、とにかく空とか靴とか手とか目に映るものすべてを撮り始めました。ナイーヴな目でカメラを通して世界を見たときにエネルギーを感じたのです。映画業界は厳しくてみんなプロフェッショナルでなければいけないですが、初めてカメラを手にしたときのアマチュアの頃の感情を思い出しながら、それをエネルギーにして映画制作を行っていきたいと心によく思っています。
──スウェーデン映画の観点から見れば、強い女性主人公を持つあなたの作品のある種の荒々しさや反骨精神は、ルーカス・ムーディソンを想起させるところもあります。日本で4/7(日)にルーカス・ムーディソンの『リリア 4-ever』と『ニュー・カントリー』を上映するのですが、彼はスウェーデンではどのような映画作家であると考えられていますか。
GP スウェーデンでは、彼はアンダードッグに添った映画を素晴らしいクオリティでつくる人だと考えられています。彼の映画は、荒々しさの中に優しい心があると思います。『ショー・ミー・ラヴ』が公開されたときは、スウェーデンのみんなにとって衝撃でした。男性の監督が世の中で虐げられている弱い人、特に若い女性の味方をテーマにして撮ることがユニークだったからです。HBOでつくった彼の新作のテレビシリーズが今年公開されるので、それを待ち遠しく思っています。
──ペシミズムのお話が先ほどありましたが、あなたが『リリア 4-ever』を観たときどう思われましたか。
GP 『リリア 4-ever』が、私とムーディソンの映画づくり、お互いの物語の伝え方の違いを語るのによい例になるかと思います。私は映画を撮るときセンチメンタルになることを避けようとしているけれども、同時に人々の心を動かしたいと考えています。しかし彼は、もっとドラマティックに映画を撮っているところがあります。そこが一番の違いだと思います。
──『アマチュアズ』ではイングマール・ベルイマンの名前が出てきますが、いまのスウェーデンの映画作家は、ベルイマンの壁を乗り越えようとしているところがあると思われますか。
GP スウェーデンは小さな国なので、ベルイマンの影響からはもちろん逃れられません。実際、彼は偉大な映画作家なので、特に若い監督が、彼がつくった道筋を壊す試みはよくあることだと思います。私自身も彼を尊敬はしていますが、その壁を破らなければいけないと思っています。ベルイマンはスウェーデンだけでなく国際的にも有名な監督ですが、彼の映画が、スウェーデンのイメージをつくってきてしまったところがあります。ちょっと変わった動きをするとか、死神の格好をしているとか(笑)。私の映画では、ベルイマンがつくってきたイメージをアップデートしたもの、今日のスウェーデンを示していきたいと思っています。
取材・構成 常川拓也
ガブリエラ・ピッシュレル Gabriela PichlerI
1980年スウェーデン、ストックホルム生まれ。ボスニア人の母親とオーストリア人の父親を持つ。卒業制作の"Scratches"(2008) が2010年のスウェーデン・アカデミー(グルドバッゲ)賞短編部門で最優秀賞を受賞。長編デビュー作『イート・スリープ・ダイ』(2012)ではベネチア国際映画祭の批評家週間にて観客賞を、さらにスウェーデン・アカデミー(グルドバッゲ)賞では主要4部門を受賞。そして最新作『アマチュアズ』(2018) がヨーテボリ映画祭で最優秀ノルディック映画賞と数々の映画賞を獲得。まさに、国内の主要な現代作家のひとりである。移民二世という立場と、経済的、文化的格差や人種差別に対し誠実な視点で移民国家と呼ばれるスウェーデンを映し出すダイナミズムが魅力。
『イート・スリープ・ダイ』Äta sova dö
2012年/スウェーデン/スウェーデン語、セルビア・クロアチア語、セルビア語/104分
父親の世話をしながら食品工場で働くラーシャは、突然解雇対象に選ばれてしまう。ゆとりがない生活の中、仕事探しの日々が始まるが...。クロアチア移民二世を主人公に据えて差別や格差問題を描き、単純化できない社会構造を浮き彫りにしていく。ネルミナ・ルカシュは、苛立ちを抱えながらも逞しく生きるラーシャを好演し、国内外で高い評価を得た。【上映予定】2/9(土)13:50、13(水)11:30、15(金)21:10
『アマチュアズ』Amatörer
2018年/スウェーデン/ スウェーデン語、英語、アラビア語、タミル語、クルド語、ボスニア語、ドイツ語/102分
すっかり過疎化してしまったスウェーデン西部の小さな町。町議会は経済活性化のためにドイツ資本の大型スーパーの誘致を決定し、PR動画制作を地元の高校に依頼する。スマホ片手に町を撮り始めたダナとアイダだが、カメラを通じて見える現状がふたりに変化をもたらしていく...。多様化社会における表現、グローバリズムの拡大などの問題にも鋭く切り込んだ快作。
<トーキョーノーザンライツフェスティバル2019>
日時:2019年2月9日(土)ー2月15日(金)
会場:ユーロスペース
主催:トーキョーノーザンライツフェスティバル実行委員会