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April 5, 2019

『運び屋』クリント・イーストウッド
結城秀勇

[ cinema ]

 あまりにも一瞬で12年という時が過ぎて、孫の少女が大人の女性に変わったほかは、俳優たちの身体すら時の流れに追いつけなかったかのようだ。いくら子供の成長より遅いとはいえ、さすがに78歳と90歳はもうちょい違うんじゃねえか、とも思うが、時は勝手に過ぎ去っていくけど人間はそうそう変わらないということだけを念押しするかのように、あの意味不明な「ジェームズ・ステュアートに似てる」発言は繰り返される。
 時は流れるし、人や物も一箇所に留まることを知らない。だから麻薬の密輸だってなんの困難もなく、まるで観光旅行のように成し遂げられる。イージーカム、イージーゴー。だから人生を楽しむ、それがおれのスタイル。おそらくそう演じているだけのようにも見える、イーストウッドの丸まった背中とヨボヨボ歩きは、このあまりに移り変わりの早い世の中への不適合を嘆いているように見せかけて、実は完全に現代社会に適応している。若いヤツらはスマホばっかで、と愚痴を言いながら、ちゃっかり自分もメールできるようになっている。適応しているからこそ、彼の彼らしい振る舞いは完璧な隠れ蓑になる。カミーユ・ヌヴェールは書いている。「白人で異性愛者、少し女性差別者で少し人種差別者、反動主義者、そしてあらゆる警察官が一目見て、犯罪者よりは自分の祖父を思い浮かべてしまうほどに年老いている。誰が彼を疑うというのか?誰も疑わない。完璧な犯罪者とは、隠れていて、疑いを持たれることもない、可能な限り無害な、平均的アメリカ人だ」(「Eastwood, la mort en son jardin」「リベラシオン」)。
 アール・ストーンは、これまでクリント・イーストウッドが演じてきた人物たちに似ている以上に、『15時17分、パリ行き』の3人の若者たちに似ている。いや人物同士が似ているというよりも、彼らが住む世界が似ている。どこまでも均質に広がり、ひとつの街はもうひとつの街よりも重要だったりはせず、人々はその上を滑るように漂う。「ボスに会いにメキシコ行くか」と言われた後の、あのメキシコまでの移動の早さ。ここに書いたのと同様に、『運び屋』のアールも「イーストウッド的な遅さ」を欠いていると言うべきだ。ヨボヨボおじいちゃん歩きも、無駄な寄り道も、時間を守らないことも、後の先をとる「イーストウッド的な遅さ」ではなく、周囲の先手先手を先回りする巧みな戦略なのだ。それらの戦略によってアールは、誰よりも早く、誰よりも効率的に、誰よりも大量の麻薬を運ぶ。
 しかし、彼の偉業がその運んだ麻薬の「重さ」によって味方から讃えられ、麻薬捜査官から目の敵にされるにも関わらず、フォードのピックアップの荷台(後にリンカーン・マークLTのトランク)に積み込まれる麻薬の「重さ」自体を、観客が感じることはない。数字の上でだけとんでもない早さで跳ね上がっていく荷物の重さは、まるで隣に一緒に詰め込まれる山盛りペカンやバケツ入りポップコーンのように、かさばかりとって実はスカスカなもののように感じる。重さもなく、遅さもなく、時も事物もすべて滑らかに流れていく。かつてあった素晴らしいものは失われ、取り返しのつかない過ちへの後悔もあるが、すべては結局流れるままにするほかないのだろう。
 ......だが一度、彼の寄り道が効率的な輸送の方法でなくなるとき、なにかが変わる。地図上の任意の一点は他の一点より重要だったりしないはずなのに、あの寝室のある家は世界の他のどんな場所とも違う。ダイアン・ウィーストが横たわるベッドの隣にイーストウッドが立つとき、彼はもうヨボヨボと動いてはいず、静止して立ち尽くす。ウィーストとイーストウッドの切り返しの中に、この世界にこんなものがあったのかという重みが生じる。移動し続けなければ生きられなかったアールという老人にもたらされる静止は、おそらくイーストウッドの俳優としての身体的全盛期を越えるほどの「遅さ」である。

「昨日より、今日のほうがずっと?」
「明日ほどじゃないさ」
 そんな会話のうちに、すべてが流れ去るほかなかったこの場所に、なにかが留まり積み重なる。いったいアールはどのくらいの長い間、元妻のベッドの隣に座っていたのだろう。物語上はせいぜい数日でなければつじつまが合わないのだろうが、アールと元妻が過ごした時間の長さを測る指標がない。もちろん90年に及ぶ人生で犯し続けてきた過ちを、人生の最終盤でちょっと反省したくらいで償い切れるわけがない。だがひょっとして、アールは驚異的な「イーストウッド的遅さ」によって、過ちを犯し続けてきた期間よりももっとずっと長い時間を、あのベッドサイドで妻とふたりで過ごしたのかもしれない。


全国上映中

  • 『15時17分、パリ行き』クリント・イーストウッド 結城秀勇
  • 『ハドソン川の奇跡』クリント・イーストウッド 結城秀勇
  • 『J・エドガー』クリント・イーストウッド 梅本洋一
  • 『グラン・トリノ』クリント・イーストウッド 高木佑介