『沈没家族 劇場版』加納土
千浦僚
[ cinema ]
粗さも目につくし、私的ドキュメンタリーの過去有名作に比べればマイルドだと思ったが、多くのひとに観られてほしいドキュメンタリーだ。
簡単に説明すれば、シングルマザーが子育てするのに保育人を募り、その呼びかけで集ったひとたちが共同生活をし、ちゃんと子どもも育った。その育った子本人が母親と当時のその生活を捉えてみた、というドキュメンタリーだ。
出来事の起こりは、本作の監督加納土氏が生まれたこと、それが1994年。共同生活の始動が95年。結果としてこの作品となるものの撮影が始められたのは2015年。この近過去から今にまでつながってくる感じも興味深い。
90年代にこのことはテレビドキュメンタリーに取り上げられており、本作ではそのフッテージ引用が監督加納土氏の外付けハードディスク記憶のように使用される。それはまた、客観的な映像資料として存在していた自分の来歴を、監督本人がより主観的で切実な自伝として語りなおすという意味もあっただろう。
その共同生活について"沈没家族"というネーミングをしたのは監督の母親の加納穂子さんだそうだが(はからずも映画のタイトルとして映えるものになっている)、映画を観ただけの時点で私はこの"沈没"とは長期バックパック旅とかでふとある土地でダラーッと長期滞在してしまうあれのことかと思っていたけれど、プレスを見たら"当時の政治家が「男女共同参画が進むと日本が沈没する」と発言したのを聞いて腹を立てた穂子が命名"と書いてあってさらに素晴しいと思わざるをえなかった。あと、自分の名前が"穂"で、息子に"土"と名づけるようなそういう初源への遡行の意識とかもセンス良いとしか思えないし、そういう根っこの強い人間のやる常識外れは、むしろ積極的に世の中の常識にしていくべき優れた可能性を秘めている。
まったく個人的なことだが私もシングルマザーに育てられたので、本作の監督の、自分の家族感覚が世間と同じかどうか値踏みするような姿とか、行動的な母親を見上げるような目線とかよくわかる。ざっくり自分語りすると、私の母親は25歳のときに私を産む(1975年)がそのときは結婚しておらず、独りで育てる、と突っ張ってたものの説得されて私の父と結婚し、しかし二年ほどで離婚し、働く母親として母子家庭で私を育てた。母はアクティブな人間で青年海外協力隊に参加し海外に行った時期もあるが、その期間私はいなかぐらし体験みたいなところに行って里親さんに面倒見てもらった(小学校から中学にまたがる三年間)。先日亡くなった内田裕也の葬儀で娘の内田也哉子さんが読んだ弔辞に"私が父と過ごした時間の合計は二週間くらい"とかいう一節があったけれども、まあ私も両親離婚以降は父親との交流はそれくらい。幼少期は年一回誕生日に親子三人集うこともあり、あるときからそれは途絶え。しかし最近は私も結婚し、子も産まれたので孫見せに訪ねたりして二年に一回くらいは父親に会う(この『沈没家族』でも同様の場面がある。まさしくあの空気感)。いまはむしろもう両親どちらにもなかなか会ってないともいえる。
脱線してますが、なんとか話を戻すよう心がけて語ると、ある意味私も加納土監督と同様に、ある種の矛盾を抱えた女傑に産み育てられた、ということ。ただ、私は加納穂子さんと同世代だから一世代ずれてるが。"矛盾"というのは一緒に暮らせなかった男の子どもを宿したことを指して言っているわけだけども、それを矛盾と名指すこと自体センスがないことだし、旧来的な家族像や男中心のものの見方の押し付けかもしれない。全然変なことでもない。ただ、土氏が穂子さんに、"そういうひととの間で子どもをつくろうってのはどういうことだったの?"と聞く、暮れてゆく鎌倉のあたりの場面は、子として自分も通過した問いのことを思い出させてちょっとうずくものがあった。
そう、だいたいにおいて家庭は諸悪の根源ではある。このドキュメンタリーでは若干悪者ふうの、気の毒な、疎外された立場に置かれている土氏の父親"山くん"についての穂子さんの不満もはっきりしない(はっきりとさせられていない、撮れていない?撮らなかった?)が、それはいわゆる日本の、"普通"の家庭というものをやればどうしても妻、母、女性に負担がいくようになってしまっていることだったのではないか、と思う。出産と乳児育児からシームレスで女性が子どもの面倒を見る流れが規定となっていて、そのことが彼女らをがんじがらめにする、男はそこにあぐらをかいていられる、その"普通"には相当意識的に抗っていかないと家庭はやばい。これは現在、4歳と、生後11ヶ月のふたりの子どもがいる家庭を自分でやっていて、妻に怒られていることからの反省でもあるのだが......
私の母親はそこからの逸脱、脱出を無理やりおこない、育てつつ、働きつつ、キャリアアップも果たした。私は幼年期かなりの日数をベビーホテルや託児所で過ごした。それは世の中の景気がよかった80年代だったからなんとかいけた、ということもあると思う。それでもそれはかなりの出費であったし、子どもの死亡事故が起きたまさにその時その託児所に私がいたようなこともあって焦ったとも聞いている。
子どもというものが、誰かに面倒見られていないといけないものだ、ということは世の中に、日本社会に、どれぐらい実感されているのだろうか。保育に関連する問題に表層的な対処しか講じない政治家はもちろんわかっていない。混んだ電車や駅でベビーカーや子連れに対して攻撃的な不快さを表明したがる類の人間も。......いや、これってすごい狂ってるよね。だってあんただってそうだったわけじゃん。自分の生理でむずがったり、泣いたりしただろ。生まれたときからすぐ歩き回って、トイレで上手におしっこうんこしてたのか......。これは結局、核家族化の弊害のひとつかもしれない。自分もかつては子どもだったこと、複数人の手で子どもを育てるイメージが失われてしまっているのかも。その点"沈没家族"、共同保育は非常に冴えたものであったと思う。実際的な加納穂子さん土くんの生活上の方策であったのに加えて、大きな、共有される人生のヒントとなる出来事だったわけで。
本作に登場するかつての保育人たちの姿や発言も良い。共同保育に参加したからもう自分の子どもはなくてもいいかもしれない、他人の子どもだったからうまく接することができたのかもしれない、と語る男性や、"沈没家族"で出会い、自分たちのペースとタイミングでのちに子どもをもうけて暮らしている男女とか。"土とふたりきりになって怖かった"と述懐するペペ長谷川氏の姿も印象深かった。加納穂子さんとともにひとつの前衛をつくり、そこを生きた彼らに対する畏敬の念を持った。また穂子さんが新たな場で生きていることにも。
この映画を観る人間が得るものは大きいと思う。育児が含まれる生活について感覚の幅が広がる。こんなことも可能なのかと思える。模倣されたり、継承されたりしてもいいはずだ。もちろん全然引っかからなかったり(家庭も、育児も関係ないから)、何だか反感を覚える(普通さとかけ離れているから?)ようなひともいるかも知れないけれども。しかしやはり、観られるべき映画、観られてほしいと思う。