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April 19, 2019

『殺し屋』マリカ・ベイク、アレクサンドル・ゴルドン、アンドレイ・タルコフスキー 
千浦僚

[ cinema ]

 すべてをあきらめ坐して死を待つことへの暗い欲望と、それに対する反発としてようやくあらわれる生への希求。
 ソヴィエト国立映画大学での課題として、1956年に当時24歳のアンドレイ・タルコフスキーがマリカ・ベイク、アレクサンドル・ゴルドンという学生と共同で監督した、約二十分の短編映画『殺し屋』には既に後年タルコフスキーが反復し深化させる主題が含まれているようにも見える。
 日本ではこの短編は02年のタルコフスキー映画祭以降くらいから上映されるようになり、私もその頃、へえ、こんなのがあったのか!と観た。
 原作はアーネスト・ヘミングウェイ。ヘミングウェイは文体、ライフスタイル、存在感からしてレペゼンアメリカな作家であるが、スペイン内戦で人民戦線側なわけだし親ソ的な作家、というか、完全に米ソの冷戦構造が確立されていた50年代半ばのソ連において国立映画大学の学生が課題の原作にしても問題ない作家ではあったわけか......(彼がソ連の情報機関に協力していたという説もある)。
 ヘミングウェイはニック・アダムスという少年が主人公の短編をいくつか書いているが、そのなかでも、あるいはその枠を超えてヘミングウェイ全短編から見ても、代表作として選抜入りしそうな魅力ある小説が1927年発表の「殺し屋」である。
 ある平穏な町にやって来た不気味で暴力的な男二人組。彼らは町のダイナーで食事をしたあと、居合わせたニックと店の料理人を縛り上げ、店主のジョージを脅しながらその店にやってくるはずの元ボクサーのアンダースンという男を殺すために待ち伏せする。アンダースンが来ないために二人組はダイナーから去る。ニックは急いでアンダースンの住まいに行き、殺し屋の来訪を告げるがアンダースンは逃げようともせずその知らせを聞く、というのが短編小説「殺し屋」のストーリー。
 「殺し屋」のよく知られている映画化には、ロバート・シオドマーク監督『殺人者』(46年 脚本アンソニー・ヴェイラー、リチャード・ブルックス、ジョン・ヒューストン)と、そのリメイク的なドン・シーゲル監督『殺人者たち』(64年 脚本ジーン・L・クーン)がある。
 原作短編小説の内容だけでは一本の長編映画には不足であるため映画『殺人者』は大きく中身を追加され、なぜ男は抵抗せずに殺し屋に殺されたのかを殺害ののちに保険の調査員が調べていくという筋になっている。殺される男はバート・ランカスター。調査員はエドモンド・オブライエン。そこで浮上してくる過去に男が為した裏切りとその後の世を捨てた絶望を招き寄せたのはある悪女だという真相。この悪女を演じるのはエヴァ・ガードナー。このエヴァはファムファタル・オールタイムベスト級の悪さと妖艶さでものすごい。
 ドン・シーゲル版は調査員ではなく男を殺した殺し屋ふたりが事態に奇妙なものを感じて事の発端と真相を探ってゆくという筋立て。殺される男が悪女に騙されたのは同じ。殺し屋はリー・マービンとクルー・ギャラガー。殺される男はジョン・カサヴェテス。悪女はアンジー・ディッキンソン。女の情夫であり黒幕だった男にはロナルド・レーガン。テレビ映画として製作されながら暴力的すぎるとの理由でテレビ局に拒まれ、結果劇場公開されたという映画。マスターピース。ぶっといサイレンサーをつけた銃を構えるリー・マービンの姿は60年代活劇映画の象徴のひとつである。
 この旧ソ連製の短編映画『殺し屋』を初めて観たときに、ヘミングウェイ「殺し屋」原作映画のミッシングリンクだと思ったが、それは年代順の46年シオドマーク版→56年ベイク=ゴルドン=タルコフスキー版→64年ドン・シーゲル版という意味ではなく、そもそもの脚色ぶりから発生した原作とシオドマーク版の乖離をつなぐようなものとしてそう思った。
 ラストに、あなたを殺しに来た奴らがいると告げてもそれを受け入れる男を見て、そんな生き方はいやだ、と、少年は町を出ることを決意する。それがこの物語の要であるが、商業的アメリカ映画のフォーマットはそこをないがしろにして成立していた。そこを原作のままやっているのが短編『殺し屋』だ。脚本はアレクサンドル・ゴルドンとタルコフスキー。
 とはいえ映画学校学生のタルコフスキーが本作で探っているのはむしろアメリカ映画的ともいえる基本的で的確な撮影と編集、演出である。装いの面でも、どことなく帽子や背広が不似合いな若者がやっているアメリカ映画ごっこのようにも見えるがそれもゴダールはじめヌーヴェルヴァーグの関係者と、初期R・W・ファスビンダー映画などもが経る道だ。本作はヌーヴェルヴァーグより少し前の映画なのだ。タルコフスキーはゴダールより二歳若いのだが。......50年代ソ連の映画大学学生がシオドマーク版を観ているかどうかについては調べられなかったが、観てはいないけれど存在することは知っているとか、ジャンルとしてのギャング映画やフィルムノワール全般はそのルックも含めそれなりに知っていたということではないかと思われる。オーソドックスながら全くもたつきや不明瞭さのないショットの連鎖でこの『殺し屋』は進行する。セットがつくられ、35ミリフィルムで撮影されている。ダイナーの主人(共同監督のひとりであるゴルドンが演じる)と殺し屋たちが時間について会話するときにちゃんと時計をフレーム内に入れて撮影している。狙う相手が入店するか、というときに隠れて待ち伏せる殺し屋が小銃の遊底を閉じて構える鋭いカットとその音響。そのサスペンスのなか、店に入ってくる客の青年をタルコフスキーが演じている。サンドイッチを注文し、出来上がるまでのあいだ悠々と"バードランドの子守唄"を口笛で吹く。
 この口笛のことをすっかり忘れていて、今回久々に見直してすっかりやられてしまった。これは技術的にいえば主人がサンドイッチを作りにカウンターから厨房に行く、物陰にも銃を持つ殺し屋が隠れ、厨房の床には縛られたニック少年とコックがいる、主人は客に助けを求めるのか、カウンターにいるほうの殺し屋はそうさせぬように睨んでいる、という時間の持続と、カット割って人物とキャメラが別空間に行くけれどそれが隣接し連続していること全体をラッピングして補完する音響なのだろうが、そのジャズスタンダードを口笛で吹くタルコフスキーそのものに清々しく楽しくなってしまった。
 ♪ピューラララリーラ、ピューリラ、ピューリラ♪......の、ピューリラのところに変なコブシがあって、あら付け焼刃じゃなくタルコフスキー、こういうの聴いてたのね、彼の肉体のなかにこういう音楽があるのね、と感じた。映画大学入学前の彼はジャズなどのアメリカ文化を愛好する"スチリャーガ"と呼ばれる不良少年であったという(←ウィキ情報)。自伝的な『鏡』(75年)などでは父親に捨てられた母子の、原ロシア的な田舎風景のなかでのさすらいが描かれ、そこではタルコフスキー本人を仮託したと思しき少年ももっとプリミティブで年若い姿だが、実際にはその後の二十歳前後くらいにもうちょっとアーバンな文化不良少年時代があったわけだ。
 終盤の狙われている男の部屋での場面こそ、物憂げに横臥したままの人物、その陰鬱さ静謐さなどがいかにも......な感じでありながら、そこはゴルドンによって撮られたという(配給元ロシア映画社サイトの情報)。彼とタルコフスキーは59年にも共同監督で中篇映画をつくっている。ゴルドンも後に監督になり八本の長編監督作品を残している。現在88歳くらいで存命であるらしい。
 マリカ・ベイクの名を映画史上に見るのはこの『殺し屋』共同監督のクレジットのみ。彼女はもともとギリシャ人で、ナチスドイツの侵攻によって医学の勉強をやめてレジスタンスになり、内戦時代もギリシャ民主軍に属していた。49年の内戦終結とともにソ連に移り、52年からはモスクワのラジオ局で働きつつ映画大学にも通っていた。テオ・アンゲロプロスが苦渋と哀切を持って振り返るギリシャ近代史をもろに生き、タルコフスキーが『鏡』で素描したスペイン内戦を経てソ連に流れ来た人々(あのフラメンコの場面!)のような政治的なものを負う移住者だが、この『殺し屋』における彼女の役割は判然としない。しかし彼女は1925年生まれで31年生まれのゴルドンと32年生まれのタルコフスキーより数歳年上であるうえに人生経験がまるで違うところもあり、この現場は彼女のような人物なくしては回らなかったのではということも想像してしまう。彼女は晩年は帰郷できたらしく2011年にアテネで没している。
 単なる学生の課題実習短編作品であるし、これを観てあまり喜ぶのはタルコフスキー好きの贔屓の引き倒しではあるだろうが、あの"バードランドの子守唄"の響きと、自らの表現をつらぬき亡命し客死したアンドレイ・タルコフスキーの生涯を予告するかのような少年の宣言ゆえに、忘れがたい映画だ。
 
シネマヴェーラ渋谷「ソヴィエト映画の世界」にて上映