« previous | メイン | next »

May 1, 2019

フランス・キュルチュール「ラ・グランド・ターブル」2019年 4/15(月)放送
ジャン=リュック・ゴダール インタヴュー 第一部

[ cinema ]

 日本では(幸運にも!)4/20(土)に劇場公開されたジャン=リュック・ゴダールの最新作『イメージの本』、フランスでは、昨年のカンヌ国際映画祭で上映されたほかは、今のところテレビ局アルテで放映されるのみである。その放映日の4日前、2019年4/15(月)、公共ラジオ放送局フランス・キュルチュール(https://www.franceculture.fr/)の文化番組「ラ・グランド・ターブル」にてジャン=リュック・ゴダールへのインタヴューが放送された(Jean-Luc Godard : "Je suis un archéologue du cinéma")。
 メディアの場に露出することが年々稀になってきているゴダールが、同番組司会、オリヴィエ・ジェスベールをスイス、ロールの自宅兼作業場に迎えた。ジェスベールの質問に真摯に一つひとつ答えながらも、「自分の行っていること」ではなくゴダールという著名人をめぐる質問に、静かなる苛立ちを示し、ジャーナリスト、批評家の役割、その重要性について幾度か言及する場面も。
 以下は、同番組の中のオリヴィエ・ジェスベールによるナレーション、質問、それに対するゴダールの答え、反応をすべてではないにせよ、インタヴューの全体像が見えてくるように、聞き取れた範囲でなるべく書き起こし、訳出したものである。まずは第一部(しかしインタヴュー後半部分)をお届けする。

 (翻訳゠坂本安美)


■考古学の作業

「脚本は編集時に書かれる」とゴダールは述べ、その言葉をしっかり書き留めながら、この番組を構成するにあたり、まずは、インタヴュー終了後のシーン、そして後半部分から、前半は第二部としてお届けする。ゴダールは葉巻を吸いながら、10平方メートルほどの小さな作業部屋に私たちを招き入れる。ゴダールは映像、音を集め、保管し、それらによって世界を思考し、自分にとって重要なアーティストたち、それらの引用をよりどころに、自らの思考を更新し続けている。そこには自分の作品も含め、数多くの作品のVHS、DVDが保管されている。とりわけゴダールが「脚本」と呼ぶ重要な棚があり、そこにはまさに今のところ「シナリオ(scénario)」と題されている次回作の棚が埋められつつあった。


──今やタブレットですべて可能な時代だ、と述べられましたが、あなた自身はなぜ古い機材を使っていらっしゃるのですか?

JLG:デジタル技術に支配されすぎないためだよ。DVDも残念ながら徐々に消えていくだろう。Amazonでしかなくなるというひどい世の中で、映画史も終焉を迎えてしまうだろう。私の行っているような考古学的な作業ももうできなくなるだろう。

──アーカイヴの作業と考古学の作業はどう違うのでしょうか。

JLG:考古学はより高貴なる作業だ。アーキビスト(記録保管人)が分類するだけなのに対して、考古学者は、ミケランジェロやカミーユ・クローデルら、彫刻家たちのように歴史を彫り、探求する。偉大な彫刻者には、脚本はなく、大理石に挑戦するだけだ、山に挑戦するように。でも今日そうした「彫刻」もなくなってしまった。学校で彫刻を少し教えるくらいだ。彫刻をたどる3つの手、そこで思い出すのがフランスの哲学者レオン・ブランシュヴィックの言葉だ、「一方は他方の中に、他方は一方の中に、それで3者になる」。

──彫刻の学校は少ないけれど映画の学校はありますよ。

JLG:ああ、それは悲惨な状況だ。当初ヌーヴェル・ヴァーグは映画が大学で教えられることを望んでいたが、今じゃ悲惨なものだ。

──なぜです?教えられるものじゃないから?それとも教え方が悪い?

JLG:4人に3人はどうでもいいと思っているからだよ。


■母の写真、映画祭の役割とは

──あなたに映像の教育をされたのは誰でしたか?

JLG:写真を多く撮っていた母親から多少教わった。彼女はとてもいい写真家だったと思う。彼女は子供達それぞれに彼女の撮った写真で本を作ってくれたんだ。私のもらった本を失くしてしまい、できれば見たいものだが、それでも母親が幼年時代の私を撮った写真の何枚かは私の作品の中で使っている。写真というものの価値は認めているよ。しかしアルル国際写真フェスティヴァルのような場所は以前ほど評価していない。かつて写真が進化するためにそうした場があった。現在は、フェスティヴァルというのは、自分を誇示したい人たち、自分を語りたいがために写真を撮っている人ばかりだ。写真も映画のフェスティヴァルも歯医者や自動車業界の集まりと同じで、人々が集まってお喋りするためのアリバイになっている。カンヌ映画祭でもそうだ。私はフレモーと多少なり喧嘩をしたよ。「二流のパルム・ドールをもらったことは作品のためにならなかった」と彼に告げたら、気分を害していたよ。

──二流などではないじゃないですか、「スペシャル・パルムドール」でしたよ?

JLG:ルイ14世の話、「鉄仮面の男」の話を思い出すよ。フランスでは子供が2人生まれたら、最初の子が王位継承権を持つ。ルイ14世は自分と同じような顔をしている双子の兄を排除しようとし、顔が分からないように鉄仮面を付けさせた話だ。
カンヌに出品した目的はただひとつ。当初、スイスは製作援助を拒否していたが、スイス映画としてカンヌに出すということで、多少なりとも資金援助をしてくれたんだ。フランス側は、この映画は劇場公開できず、美術館ぐらいでしか上映できないだろうという理由で公開前の前払い金を出すことを拒否していたが、スイス映画としてカンヌに出すと聞いたら、お金を出してくれることになったよ。


■知的所有権、権利者の特権への異議申し立て

 首尾一貫した主張を持つゴダールは、トリュフォーや他の映画人たちと映画祭を中止させた1968年から50年後、2018年、(『イメージの本』正式上映時に)レッドカーペットを歩くこと、カンヌ映画祭への参加をすっぽかした。「映画はそれを作る者たちに属していて、彼らの意思に反して上映する権利はない。」『中国女』の監督は68年当時、そう述べ、上映を阻止した。しかし、それから、立場は逆転することになる。10年前、カンヌにて、ゴダールは知的所有権や権利保持者の特権化に対して反対の態度を明らかにした。

JLG:権利以上に義務が派生してしまっている。そんなことにしてどうなる、映画を上映したかったら上映し、握手すればいいことなんだ。
当時、作家とは脚本家のこと、つまりテキストを書く者のことであり、法律的に『勝手にしやがれ』の作家はトリュフォーとされた、彼がかつて書いた脚本をもとにしたから。後に著作権を譲渡してくれていないか彼に相談したが、彼にとっても不可能だった。フランスではそうした権利の譲渡ができないからだ。テキストなど再構築したり、書き直したりするならすればいいんだ、まったくかまわない、重要なのは想像し、創造することだよ。
アメリカでもヨーロッパ、フランスも著作権の重要性を主張しているが、誰もが著者、作家の時代なのに、今ではある建物を撮ったら、その建物の権利者に支払うことになる。私は相続という考えに反対だよ。

──それでは『イメージの本』の作者は誰になるのでしょう?作者はひとりなのでしょうか?

JLG:いいや、たくさんの作者がいる、たくさんの作者、作家たちがひとりの友人によって集められている。
著作権を問われたら......この作品には400以上の映画の抜粋が含まれている、たとえばゴーモンのニュース映画、ドイツ兵やトルコ兵たちが映っているその映像の著作権をゴーモンに支払え、というのは違うと思う。

──払うなら、ゴーモンが彼ら兵士たちに支払うべきだ、という立場でいらっしゃいるのですね?

JLG:その通りだ。ゴーモンはそうした映像をまとめて、ごっそり買い取り、自分たちのものにしてしまったからね。

──「友人」という言葉を先ほど使われましたが、つまりあなたのことですよね、

JLG:私は引用した作品の作家はエンドクレジットに記載しており、たとえばラオール・ウォルシュの名前が出れば、観客は、ウォルシュのどの作品だろう、と探すだろう。

──倫理の問題はあなたによって重要ですか、そうした作品の抜粋を選ぶ、集め、使用するにあたり重要ですか?

JLG:適切であること。どんな場合にも適切さ(justesse)という感覚をそれぞれが持っている、間違えっていようが、正しかろうが。


■戦時中の映画について

JLG:ブルターニュのBeg Meilに行った後、一年カンペールで中学校に通い、その後、パリにいる家族のもとに戻ったのだが、問題はスイスにどのように私を戻すかということだった。そこでまず、6 ヶ月、ヴィシーで過ごした、母方の祖父母の友人の家に暮らし、彼らはどちらかというとペタン派で、その家のひとりの女性が毎日、映画館に映画を観に行っていた。彼女と一緒に、当時の映画をほとんど見ることができた。シモーヌ・ルナンやオデット・ジョワイユなどが出演している作品だ。その後、スイスに安全に戻り、平穏に暮らした。
フランスではドイツ占領下でもそうして映画が作られていた。しかしロンドンではまったく映画が撮られることがなかった。後になって考えた、なぜロンドンで映画が撮られなかったのか、と。ロンドンでは映画を作ることがより困難だった、小さなカメラさえなく、レジスタンスの現場であるロンドンでされ、映画を作るなんて誰も思いつかなかった、思いつけなかったのだ。すべてが映画ではなく、テキストで作られていたんだ。


■題名、そして沈黙

──あなたにとってつねにタイトルは大切ですね。

JLG:そう、ほとんど、まずはタイトルを決めることで、方向性が決まる、森の中に入るのか、道路を進むのか、タイトルによる。

──次回作のタイトルは 「シナリオ」ということですが。

JLG:シナリオは最後にしか作り得ない、ということを示すためにね。私の目標は、シャブロルよりたくさん映画を撮ることかな(笑)。短編を合わせれば150本になったかな。

──このインタヴューのタイトルはどうしましょう?

JLG:アイディアが浮かんだら言うよ、浮かばなければ言わないよ。ウィトゲンシュタインが述べるように「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」。

──ではそろそろ沈黙すべきだと?でもあなたは沈黙するのがお好きじゃないですよね?

JLG:言い争い、口論する(disputer)のは好きだが、戦いは好きじゃない。アンヌ=マリーが以前言っていたことだが、もし墓を作るなら......作らないだろうけど、作るなら、私の墓には「その反対に(au contraire)」、アンヌ=マリーの墓には「疑わしい(jʼai des doutes)」と入れたいと。


ジャン=リュック・ゴダール監督最新作『イメージの本』、シネスイッチ銀座ほか全国ロードショー中



  • 青山真治×坂本安美トーク@横浜シネマリン 「ゴダールの60年代、そして現在」
  • 『さらば、愛の言葉よ』2D版 ジャン=リュック・ゴダール @横浜シネマリン 結城秀勇
  • 『ゴダール・ソシアリスム』ジャン=リュック・ゴダール@LAST BAUS 田中竜輔