釜山国際映画祭日記2019
森本光一郎
[ cinema ]
2019年10月6日
人生初の釜山は少し肌寒い。空港に降り立ったのは13時だが、次の飛行機に乗ってきた友人と待ち合わせしていたのは17時だったので、先に海雲台のホテルに向かう。海雲台は今回のメイン会場であるセンタムシティとジャンサンのちょうど間にあり、夜遅くまで開いている店も多い。23時くらいまで映画を観ている身としては好都合だ。
海雲台の駅を出ると、大きな通りが海まで続いている。そして、大小様々な店が通り沿いに店を構えている。まずは水を買いにコンビニへ立ち寄ると、もう一本あげると言われた。韓国では一本買うと一本貰えるのは普通のことらしい。店にも依るみたいだが。適当にお土産を探しつつ、ホテルにチェックインし、友人との待ち合わせまで会場や取れていないチケット、間を埋める映画などを調べる。昨年と異なり今年のラインナップは、英語圏の映画が限りなく少ない。英語字幕ばっかり観るのも疲れるだろうな。
友人との待ち合わせ場所であるセンタムシティへ向かう。空港で両替したら大量の5万ウォンを渡され、使い道のなさに呆れる。これから何度も使う地下鉄のチケットは1000ウォンしか使えないので、ひたすら5万ウォンを崩す日々を送ることになる。
17時、センタムシティ。ここには釜山シネマセンター、CGV、ロッテシネマ、ソヒャンシアターがある映画祭の中心地であり、特に釜山シネマセンターは映画祭のために作られたんじゃないかというレベルでお祭り感を煽ってくる。3つの巨大な映画館と野外イベント用の巨大ブースがあり、公開トークや出店が立ち並び、そこかしこから声が聞こえる。気分も次第に高まっていく。会場の外にはポスターが並べられていて、夜になると裏から光るようになっている。シネマセンターもライトアップして存在感が増してくる。そして、野外上映の音はどれだけ離れても聞こえてくるのだ。これはいい。これが本当の"映画の祭"なのかもしれない。
友人とともにチケットの発券と当日券を購入。ペドロ・コスタ『Vitalia Varela』とブリュノ・デュモン『Joan of Arc』は持っていたため、パブロ・ラライン『Ema』とラジュ・リ『Les Misérables』(GV付き)を購入。一枚700円ほど。安い。そして、ここで5万ウォンを消費する。今度は1万ウォンが増える。センタムシティには食事場所が極端に少ないので、少し中心地からは離れつつトッポギを食べる。シンプルに辛い。こんなとこで体力使ってる場合じゃないんだが...。
一本目、ペドロ・コスタ『Vitalia Varela』。前作『ホース・マネー』のヒロインであるヴィタリア・ヴァレラを主人公に据えて、夫の死を聴いてカーボヴェルデから飛んできた寡婦を描く。勿論、ヴェントゥーラも神父として出演している。画面が暗すぎるため、物語の内容も判別しづらく、半数の人が寝るか帰るかしていた。そんな中、次第に画面が明るくなり、完全な太陽光が画面に登場したとき、映画は闇の呪縛から解放され、ヴァレラの故郷カーボヴェルデへと戻る。会場は途中退場と鼾の嵐だったものの、観終わった観客は嬉しそうに今目撃したものが何だったのかを同伴者と語り合う。何ヶ国語もの会話が終映と同時に無数に生まれるのだ。映画よりも寧ろそっちの方に感動し、帰途につく。
友人はオリヴァー・ラクセ『Fire Will Come』を鑑賞しており、両者秀作を観たというテンションで飲み会に興じる。焼き肉とビールで盛り上がりつつ、今回の目的であるセリーヌ・シアマ『Portrait of a Lady on Fire』がどんな映画なんだろうかと思いを馳せつつ就寝。体力がないのは分かっているので無理はしないというのも今回の目標。
2019年10月7日
残念ながら小雨が降っている。微妙に意気消沈しつつ釜山シネマセンターへ翌日のチケットを買いに行く。しかし、昨日は買えたのに今日は買えないと言われた。係員によっても違うのか?昨日は一般ではなくゲストと勘違いされたのか?完全に無駄足を踏んでしまったが、当日分の星取表をゲットして一応満足。友人は11時のジェシカ・ハウスナー『Little Joe』を観るためここで別れ、一人でジャンサンのMEGABOXへ。時間があるので適当にデパートをフラフラしつつ、13時からの映画に備える。
二本目、ブリュノ・デュモン『Joan of Arc』。前作『ジャネット、ジャンヌ・ダルクの幼年期』の続編であり、終幕でもある。音楽がIgorrrからクリストフに変わったため、歌の役割はヘビメタミュージカルバトルではなく、神との交信という形に変わった。甲冑が重いらしく、ジャンヌが終始フラついているのにキューンとなりながら、ジャンヌが逮捕されての裁判シーンでの罵り合いに驚く。一度負けた戦いを槍玉に挙げて、一点突破でジャンヌを叩きまくる審問官たちは、まるで凡人が自分の見えている範囲で相手を断罪し、自身の正しさをあの手この手で証明しようとしているようで惨めに思えてくるのだ。矢継ぎ早に繰り出される下らない質問に、しっかりと受け答えするジャンヌであるが、正直端から勝敗は決まっているようなものなので少々長い。2時間半は長い。100人くらいの箱に20人程度だった(平日の真昼間だからというのも大いにある)が、途中退場者が続出して最後には8人しか残っていなかった。謎の連帯感に包まれ、目配せし合う8人。友人と合流して冷たいビュッフェを食べる。安いけど、冷たい。
そのまま三本目、パブロ・ラライン『Ema』。ヴェネツィアでは評判良くなかったが大傑作だった。養子縁組をしたコンテンポラリーダンサー・エマと演出家ガストン夫婦であるが、養子に来た少年がエマの妹の髪を燃やしたため、縁組自体を破談にされていたところから物語はスタートする。互いに罵り合う夫婦。そして、エマは夫婦という軌道から外れたかのように外で誰彼構わず寝まくる。しかし、誰彼構わずと思われたものがあっという間に計画のうちだったことが分かり、エマが情熱的に踊る分だけ、我々もエマに踊らされていたことに気が付く。ラストの珍妙な面持ちをした面々は最高で、"母親"が世界を征服した瞬間でもあった。実はこの時間はアンゲラ・シャーネレク『I Was Home, But...』を観る予定だったが、命拾いをしたと思っている。シャーネレクが傑作だった可能性もあるが、『Ema』は超えられないと私の中の何かが言っている。
今日はこのまま帰って寝た方が身のためなのかもしれないと思いつつ、センタムシティに戻って四本目、ラジュ・リ『Les Misérables』。人種混合地区にやってきた新人警察官と乱暴な先輩刑事から始まり、ありがちなジャンル映画の仮面を被る。ロマの運営するサーカス団からライオンの赤ちゃんが消え、それを黒人の少年が奪ったとしてロマたちと黒人たちが小競り合いになり、人種のサラダボウルとなった地区の軋轢が浮き彫りになり始める。そして、犯人を見つけた警察たちは少年を取り押さえるが、興奮状態になった周りの少年たちに反撃を食らい、犯人の少年を誤射してしまう。しかも、その映像をドローンで撮影されてしまったのだ。ここまでもありがちな話だ。人種・宗教・警察と市民の軋轢を描き、ド正論で終幕を迎える。しかし、この映画はここでは終わらない。最後に想像を超える展開が待ち構えているのだ。一番大きなメインシアターでの上映だったのだが、途中退場者がほとんどいないばかりか、上映終了後割れんばかりの大喝采を受けて監督が登場。会場はある種のトランス状態となって映画の熱狂そのままに監督の声に耳を傾ける。フランス語と韓国語なので一切分からないが雰囲気で頷く。監督、足がめっちゃ長くてかっこいい。
『Ema』『Les Misérables』という大傑作を得て、圧倒的な幸福感の中で飲み会。明日に備えて1時には就寝。
2019年10月8日
平日だったせいで午前中の上映が絶望的に少ない。そんな中、一番動線を組みやすかったという理由で二本の映画をピックアップ。チケットセンター周辺では、その日の夜にティモシー・シャラメが登壇する『キング』の野外上映イベントのチケットを前日夜から並んで購入した上で燃え尽きた人々が多数うずくまっており、彼の人気の高さを思い知らされる。しかし、『キング』のチケットは売れ残っており(なぜ!)、代わりに『Portrait of a Lady on Fire』だけが当日券売り切れになっていた。韓国でもシアマは人気らしい。
その日の一本目はカザフスタンの映画、Mirlan Abdykalykov『Running to the Sky』。カザフスタンの田舎でぐうたらな父親と暮らす、走ることが得意な少年の話だ。しかし、小ボケが滑り散らし、重要なシーンを端折り、そもそも少年の足が速く見えない(後ろに写ってる他の生徒は明らかに手を抜いている)ため、睡眠時間に。ごめん。釜山映画祭のコンペに選出されているため、なかなかの集客だったが、上映後のトークセッションがあるにも関わらずほとんどの観客がエンドロール中に帰っていた。観客投票も無残な結果に...友人とともに同じ時間帯の別の映画を観とけばと後悔。
別の映画を観る友人と別れ二本目、Mélanie Charbonneau『Fabulous』。カナダの軽妙なコメディで、ライター志望の女性とインフルエンサーの女性が友情を育む話。結局、SNSのフォロワーは一緒にソファを運んでくれないというラストに帰結させる安直さが好きになれず、トークでも"デビュー作なんで..."と監督が連発していたのも印象を悪くした。前日に『Les Misérables』観てるもので、デビュー作というのは言い訳にならないことは知っている。インスタグラムのインフルエンサーを映画に出したくらいで現代の映画を気取らないで欲しい。
三本目は最大の目標であるセリーヌ・シアマ『Portrait of a Lady on Fire』。これが涙なしには語れない超絶大傑作だった。結婚したくない良家の女性と結婚用の肖像画を描く女性画家の数奇な恋愛物語。孤島の絶景を舞台に徐々に打ち解け合う二人の感情の機微に心が締め付けられる。未だに心の整理ができていないのでこれくらいしか書けないが、なかなか顔を見せないアデル・エネルが崖まで走っていってズバッと振り返るシーンの美しさが私の限界値を超えていたので、やはりシアマはエネルの魅せ方を深く理解しているようだ。
もうここで終わりにしていいのでは、と呟きながら四本目、Arden Rod Condez『John Denver Trending』。今年、どの映画祭にも出品されていないのに非常に評価の高いインディーズのフィリピン映画。普段温厚なジョン・デンバーくん14歳は、同級生にいじめられて早退しようとしたところ、ボンボンのiPadを盗んだ濡れ衣を着せられる。ジョンはボンボンを殴って鞄を奪い返すが、殴った部分だけSNSに載せられて拡散、フィリピン中から猛烈なリンチを受けることになる。しかし、暮らしている田舎にはそもそもスマホがないため、世代が上になるほど何事もなかったようにジョンに接し、逆に世代が下がるほど"あいつジョン・デンバーじゃね?"と噂するようになる。身体的行為の欠如したSNSリンチの実態と恐怖にフィリピンの現状を重ね合わせた見事な作品だったが、観た順番が悪かった気がする。
ヴェルナー・ヘルツォーク『Family Romance, LLC』を観ていた友人と合流し、シアマの美しさについて語る飲み会。心地よい睡眠が取れた。
2019年10月9日
腹痛によって目覚めたため、海岸散策は諦める。朝食を適当に取りつつ、最初の作品の会場へ。前日に比べて気温も上がっており、壊れた胃にはちょうどいい。そのままジャンサンへ向かい、今回の目玉を鑑賞。
一本目、カンテミール・バラゴフ『Beanpole』。二次大戦従軍のPTSDで体が動かなくなる発作を抱えた看護師のイーヤ。前線に向かった親友マーシャの子供を誤って殺してしまい、帰還したマーシャは妊娠できない体になっていた。身体の機能欠陥から生きることの無意味さを噛みしめるマーシャは、イーヤに対して私の子供を産んでくれと言う。戦後の狂気として片付けられることもなく、"生きる意味"の模索という物語を現代にも通ずるよう組み替えられたのは、やはり主演女優二人に依るところが大きいだろう。ただ、全身麻痺の兵士の挿話など主軸から微妙に浮いている部分もあり、そこらへんは前作『Closeness』と変わってないバラゴフらしさなのかもしれない。
そのまま二本目、Barnabás Tóth『Those Who Remained』。ハンガリー旅行中には時間が合わず、結局釜山の穴埋めに観ることになった、ハンガリーのアカデミー賞代表作。ナチスのせいで親を失った少女と妻子を亡くした中年男性の擬似的な親子関係が恋愛に発展するというロマンス映画。舞台となる1948年はハンガリーで社会主義政権が発足した年でもあるのだが、映画では特に社会的な変化に言及はなく、ただの恋愛映画として処理される。特に『Beanpole』を観た後だと粗さが際立つ。戦争も戦後も知らない世代が何も調べずに作った映画みたいだった。残念。
センタムシティまで移動して軽食。CGVのホットドッグは他の映画館よりはマシということで、ホットドッグで腹を満たす。そして三本目、ベルトラン・ボネロ『Zombi Child』。スタリウムというCGVでは一番大きな会場で、スクリーンが大きすぎるため、前から10列くらいは席がない。それでもK列くらいまである巨大な劇場だ。しかも4Kスクリーン。正直そんな高画質必要な映画とは思わない(シアマを高画質で観たかったのに)が、初めてのボネロを堪能する。ハイチのゾンビ労働者とフランスのJKの生活が重なる、ある種のお伽噺的な物語なのだが、JKたちのキャッキャウフフに前半の1時間を割くため、正直意識を保っていられなかった。後半、ある少女が悪夢にうなされたのか大声で叫ぶシーンで飛び起きると、ハイチ出身のJKがブードゥーのゾンビ労働者について言葉で解説し始める。お伽噺は口頭伝承という形態を変えることはなかった。もう一度観る機会ができそうなので、そのときに寝た部分は回収したい。
アルベール・セラ『Liberte』を観るために遠くの劇場へ向かった友人と別れて、同じスタリウムで上映のジュスティーヌ・トリエ『Sibyl』で釜山の最後を締めくくる。小説の執筆のためにセラピストを半分引退したシビル。職業倫理が希薄なようで、引退後にやってきた患者の女優マルゴについて、彼女の発言や体験を全て本に書き始める。そして、彼女に振り回されつつ、彼女の恋愛事情を聴いて自分の恋愛事情を思い返す。遂には孤島でのロケ撮影に同行する羽目になり、抽象的な指示を飛ばしてパワハラしまくる監督(これはこれで面白い)の補佐を務めることに。孤島での小ボケに対しては会場も爆笑の嵐だったが、シビルのキャラ設定に無理があって首をかしげる展開もしばしば。カンヌ国際映画祭のコンペに並ぶほどの強度はなく、この作品に対する微妙なレビューはケシシュの酷評に隠されたと言えるだろう。
友人と合流して最後の飲み会。人生最悪の映画を観たという友人にシアマの話をして慰めつつ、就寝。
2019年10月10日
帰国便までに時間があったので荷物を転がしつつセンタムシティへ向かう。前日のレビュー冊子は表紙がティモシー・シャラメだったせいか即完売で、翌日の増刷分を確保。ついでに当日分も確保して空港へ。早く着きすぎてやることもないので、『Ema』のダンス動画を観て思い出しつつ各映画の個別レビュー記事を書く。今回の釜山映画祭をまとめると、私好みだろうと予測していたシアマ、バラゴフは見事ホームラン、作品を変更したラライン、ラジュ・リの作品も素晴らしいものだった。しかし、それ以外の作品はハズレも多く、想像した通りの結果に終わってしまった感じはある。なんとかこれからも参加したいものだが、来年以降は厳しくなってしまうのか。