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February 8, 2020

第49回ロッテルダム国際映画祭報告(1) 遠藤麻衣子監督インタヴュー
槻舘南菜子

[ cinema ]

昨今の国際映画祭では、韓国や中国などのアジア諸国と比較しても日本映画、とりわけ若手監督の存在感は著しく希薄だ。そんな中、ロッテルダム国際映画祭ブライトフューチャー部門に、小田香監督『セノーテ』とともに遠藤麻衣子監督『TOKYO TELEPATH 2020』がノミネートした(本作は第12回恵比寿映像祭にて上映予定)。すでに初長編『KUICHISAN』でイフラヴァ国際ドキュメンタリー映画祭にてグランプリを受賞、長編2作目で日仏合作となる『Technology』を発表した、国際的若手監督のひとりである彼女に、現在の国際映画祭における日本映画をめぐる状況と自身の作品についてお話を伺った。


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『TOKYO TELEPATH 2020』(遠藤麻衣子監督)


ーー遠藤監督の作風や出自を考えてみると、これまでの作品をいわゆる「日本映画」と呼ぶには違和感を感じるところがあります。しかし一方で、国際映画祭ではやはり「日本映画」あるいは「日本の社会」の文脈で捉えられることが多々あるのではないでしょうか。ロッテルダムでの『TOKYO TELEPATH 2020』の上映にあたって、観客の反応をどのように受け止められましたか?

遠藤麻衣子 好きか嫌いかやはりハッキリ分かれるのではないでしょうか。今回、映画祭に来ていた撮影監督のショーン(・プライス・ウィリアムズ)に、「おまえの映画は見て反応するのに困る。見終わってからすぐ感想を出せないような映画だ」とは言われました。あとは「よくわからないけど、おもしろかった」という感想をよくもらいましたが、やはりその解明が難しいみたいです。いわゆる現代日本映画らしさから私の作品は離れているかもしれませんが、日本人であるということが、どうしても作品には現れると思います。その一つとして"立体感がない"ことが挙げられます。ただ、外国人から見ても、やはり私の作品はいわゆる「日本映画」ではないので、求められているものにそぐわないことは事実だと思います。

ーー国際映画祭において現代の日本映画に求められているものとはどのようなことなのでしょう?

遠藤 やはりわかりやすく日本らしいものの方が受け入れられるのではないでしょうか。海外で撮影を行い、日本人をひとりもキャストとして使っていない前作『TECHNOLOGY』は、そういう意味ではまったく求められているものではなかったです。今作は、わかりやすく東京での物語なので、前よりは映画祭も日本映画としてアクセスしやすいのではと思います。そもそも映画祭ってオリンピックみたいだなと思います。それぞれのお国柄を背負ってみんな出てるみたいな......。たまに作家性の強さからその辺は飛び越えて関係なく自由につくってる人もいますが、自分もそうでありたいです。

ーーロッテルダムは、若手監督、インディペンデント映画に特化した映画祭です。同世代の監督作品をご覧になって、何か共通点を感じたり、あるいは刺激を受けた作品はありましたか?

遠藤 全てではないですが、コンペ作品をスクリーナで見ました。多くが演出が大味というか、 デリバリーをビシっとしてこない印象を受けました。あと始まってすぐに、こいつはすごいと思えるような映画はありませんでしたね。同世代というか年齢が近い監督であるマティ・ディオップ『アトランティックス』は、最初の30分間くらいがとてもよかったです。言葉もわからずオランダ語字幕だったので何も言ってることはわからなかったんですが、それが手伝って映画の持つリズムをより感じることができましたし、時間の使い方が独特だなと思いました。あとやっぱりシグネチャー感がありましたね。ジブリル・ディオップ・マンベティ監督『トゥキ・ブゥキ/ハイエナの旅』を最近見て、ぶっ飛んでんなーと思っていて、その後『アトランティックス』を見て、彼女もその飛びのポテンシャルを持ってる人だなと。その感じが全作を貫いてたらよかったんですが。彼女の前作『千の太陽』を見た時に、何かちょっと違和感を感じたのは、彼女の血のルーツと育った環境とのあいだの距離感というか。存在自体がどうしても政治的というか、だからこそどのように彼女が撮るかということがいい意味でも悪い意味でもまわりに与える影響というのは大きいものになるだろうと思います。『アトランティックス』でもその間で撮っている感じが、今後どっちにも転びうる危うさを孕んでいるように見えました。今後も作品のたびに、その視点がどこから来ているのか、常に問いただされ注目される存在なのではと思います。

ーー逆に、日本の若手監督で、自分と何かしらの共通点があると感じる、あるいは関心のある監督はいらっしゃいますか?

遠藤 いません。

ーー私が遠藤監督作品を見て最初に頭に浮かんだのは、アルベール・セラ監督です。美学や作風ではなく、彼の作品を見た時の感覚、Déjà-vu(デジャヴュ)ではなく、決して見たことがない何かがあるところ、作品にまったく参照項が見えないところというか。もちろん、彼はとても知的で映画もたくさん見ているんですが、その蓄積からまったく別のものを生み出している。

遠藤 セラ作品を全作見ているわけではないので印象になりますが、「芸術のための芸術」という言葉が浮かびます。また、見たイメージが後々になっても消えることがありません。なにを見たかは忘れてもその空気と印象がずっと残っている。

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『TOKYO TELEPATH 2020』(遠藤麻衣子監督)

ーー『TOKYO TELEPATH 2020』の企画は、どのように生まれたんでしょうか?

遠藤 私の企画『TOKYO TELEPATH 2020』の始まりは、東京を舞台にした長編を撮ろうと思い、そのチーム作りのためと入り口を開くためでした。だから長編ありきです。2018年の夏、色んなものや人が自分にどんどん引き寄せられてきて、撮らない理由が見当たりませんでした。オリンピックの開催は、都市を変貌させ、同時にそこに生きる人々にも影響を及ぼします。政治的な意味だけではなく、オリンピックには、古代から人間の精神と肉体を鍛錬によって、ある頂点に持っていくための祭典という意味があると思います。その「超人感」というか、現代のパラリンピックも伴って、人間の生命がどう都市の変貌とテクノロジーの進化によって影響を受けるのか、そこに特に興味がありました。ですが、撮影の1ヶ月前まで撮りたい要素はあったにも関わらず、キャストもストーリーもなにも決まっていませんでした。特に参照にした作品はないのですが、最初、映画の構想を撮影監督のショーンに話した時に、クリス・マルケル監督『不思議なクミコ』のリンクが送られてきました。それを見て、ふーんと思って、当初からほぼゲリラ撮影であろうことはわかっていたので、音声を同時録音するのは最初の段階から重視しないようにしていました。それを踏まえた上で、ダイアローグの部分はあとから構築する可能性へのヒントはこの映画から得たんだと思います。

ーー遠藤監督の処女長編『KUICHISAN』は沖縄で撮影されていますが、場所のドキュメンタリーでありながら、時間感覚のない異世界のように映っています。そして『Tecnology』はインドとアイスランドを舞台にされていますね。この企画については、まったく現地での具体的なプランはなかったと聞いています。一方、新作『TOKYO TELEPATH 2020』は、場所と時代がはっきりと示された作品となっています。「東京」や「現在」といったものを撮ることにおいて意識された点はありますか?

遠藤 元々東京で育ったし今も住んでいるので、東京を客観視できないことはもうわかっていて、その中でどうそのまま東京であるか、ということを考えましたが、考えたところでもう素の状態でそうなのだから、そのまま撮れば、私なりの東京が映り込むのではと思いました。東京ってなんだろうと自問しましたが、結局正直わからなかったんです。なぜなら東京は私にとってもう場所を超えたもの、時間そのものであるからなのではと思いました。現在の東京を、現在の東京にいながらその場ですくっていくという作業が必要でした。

ーー「テクノロジー」という言葉は、長編2作目のタイトルにもなっています。『TOKYO TE-LEPATH 2020』でもこれはある種のキーワードになっていると思うのですが、前作と今作の間に、あるいはフィルモグラフィー全体に何か繋がりはあるのでしょうか?

遠藤 どの作品も起源と底に流れるものを同じくしています。場所は変われど同じことが起こっていて、行き来して見ると、何となくわかってくると思います。『TECHNOLOGY』ではAncient Technologyについて扱っています。そこから2018年の東京に来て、現代のテクノロジー、あるいは未来へと向かいます。今作と前作にも、前作と前々作にも繋がりがあり、前々作と今作、そして今作と次回作にも繋がりがあるので、すべて繋がっています。テクノロジーのおかげで人類は進化しましたが、元々人間にあった力がそれによって封じ込められている事は、多いにあると思います。その一つの例としてテレパシーを今作で扱っています。テレパスを制作後また 『KUICHISAN』を見た時に、新しく立ち上がってくる側面があったことに自分自身が驚かされました。また次の長編ができてから過去作を見直しても、相互にそれぞれの意味が立ち現れてくれば面白いなと思っています。

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『15日間』鈴木志郎康監督

ーー最後に、ロッテルダムで、鈴木志郎康監督『15日間』を監督と一緒に見たあと、遠藤監督が「突き抜けたい意思」についてお話されていたことが印象的でした。私は、カメラを介した創造することへの充ち満ちる欲望の生成の過程にとても感動しました。この作品についての感想と、今後の遠藤監督の創作への欲望、次回作についてお話し頂けますか?

遠藤 絶対この人みたいになりたくないなと思う反面、あの感じすごくよくわかりました。もさもさしててすごいかっこわるいのに、心髄を付きリアルでありながら、本気で遊んでる。ロッテルダム映画祭で見たどの作品とも一線を画していました。「突き抜けたい意思」については、映画をつくるという事に限らず、人生の中で突き抜けたい、つまり、生き方そのものが変わらないと、そこを突き抜けることはできないんじゃないかなという思いから来ています。映画作りについては、より遠くへ行きたい、遥か遠くへ行きたいです。ミューズとの出会いを求めています。次回作も東京を舞台にした長編で、内容はまだ秘密ですが今作ともまたがらっと違う、現在までの最初の集大成になるであろう作品だと思っています。

取材・構成:槻舘南菜子

第12回恵比寿映像祭にて遠藤麻衣子特集が開催予定
「《TOKYO TELEPATH 2020》──東京についての新しいSF映画」 2/9(日)11:30-、2/22(土)18:00-
「《KUICHISAN》──幻想記録映画[35ミリフィルム上映]」 2/21(金)15:00-
https://www.yebizo.com/jp/



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©︎Eléonore Hendricks
遠藤麻衣子(えんどう・まいこ)
1981年ヘルシンキ生まれ。東京で育つ。2000年にニューヨークへ渡り、バイオリニストとして、オーケストラやバンドでの演奏活動、映画のサウンドトラックへの音楽提供など音楽中心の活動を展開した。2011年日米合作長編映画『KUICHISAN』で監督デビューを果たす。同作は2012年イフラヴァ国際ドキュメンタリー映画祭にてグランプリを受賞。2011年から東京を拠点に活動し、日仏合作で長編2作目となる『TECHNOLOGY』を完成させた。現在、2020年夏に東京で撮影予定の長編3作目を準備中。