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February 15, 2020

『いま、ついに!』ベン・リヴァース
結城秀勇

[ art ]

 休日の午後、スクリーンに映し出された16mmモノクロフィルムで撮影されたナマケモノの姿に、子供たちは「目がぱっちりしててかわいいね」「ツメがかわいいね」などと口々に言っていた。たしかにかわいい。しかし、そんな子供たちも作品に飽きて部屋を出て行った頃、あんなに意外とぱっちりしていたはずのナマケモノの目は、いつのまにか目蓋の下に隠れ、目の周りの黒いクマにすっかり埋もれてしまっている。そしてその頃には、ビーンバッグチェアにもたれてこの作品を見てきた観客にとっては、彼女(ナマケモノはチェリーという名前らしいが、もしかすると彼、だろうか)が目を開いてようが閉じていようが、動いてようが動いていまいが、さして関係はない。重要なのは、ほぼ微動だにしない彼女に我々怠惰な観客に代わって活発に動くことを望むことではなくて、我々自身が彼女以上にナマケモノ化して、身動きするのをやめてしまうことなのだから。
 だから、たとえいきなり画面が三色分光のカラー画面になり、ライチャス・ブラザーズの「アンチェインド メロディ」が流れ出したとしても我々は取り乱したりはしない(ネタバレ的な意味で、このカラーへの変化と流れる曲についての言及を避けようかとも思ったのだが、しかしナマケモノの境地に達するよりも人間的な驚きを欲するような観客には、前もってこのことを知っておいたほうが、40分の上映の間により驚きがある気もするのだ)。「♪Oh〜 my〜 love〜」とあのあまりに有名なメロディが流れ出しても、「times go by so slowly」とまるで自分のことについて言及されているような箇所がやってきても、チェリーはまったくどこ吹く風。我々もそれに負けじと、どこか遠くのできごとでもあるかのように、そしらぬ様子で放心し続けるのだ。
 してみると、タイトルにある「ついに!」という感動とともに訪れる「いま」という瞬間は、このカラーになり「アンチェインド メロディ」が流れ出す瞬間ではありえない。ならばその瞬間はいったいいつだったのか。むりやりに考え出そうとすれば、作品が始まってすぐの、チェリーが樹に登り出そうとする瞬間こそが、おそらくかなりの長時間待機したに違いない撮影者にとってそうだったのではないかという気もする。だがそれはチェリーを見習ってナマケモノ化する我々観客にとっては、知覚しようのない、すでに過ぎ去った時間でしかなく、その「いま」を「ついに!」という感嘆とともにとらえることはできない。さらにベン・リヴァースは念入りにも、作品の中でもう一度、再び樹に登るチェリーの姿を挿し込むのだが、それによってなおさら、樹に登ることが「ついに!」なのでもなく、動き出すことが「ついに!」なのでもないと明らかになる。
 このゆったりと流れる時間の中で、我々はなにか待ちかねた瞬間が「ついに!」やってくるのに立ち会ったりはしない。だからこそ、動物と植物の境目がほとんど見分けのつかなくなる樹の枝に食い込むツメのアップや、かわいいけれどじっと見ていると細部の毛の流れにゲシュタルト崩壊してくる顔のアップなどに、どこまでも没入していけるのだ。そのとき「ついに!」、待ちかねた特別な瞬間ではない、なんでもないあらゆる「いま」が、我々の前に立ち現れてくる。


第12回恵比寿映像祭にて展示
アノーチャ・スウィーチャーゴーンポンとの共同監督作『クラビ、2562』は第12回恵比寿映像祭にて2/23にも上映あり

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