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February 15, 2020

第49回ロッテルダム国際映画祭報告(2) 1970年代アンダーグラウンドの旗の下に
槻舘南菜子

[ cinema ]

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 ロッテルダム国際映画祭は、1966年からオランダのアート系映画館Wolfeのプログラムを手がけ、同映画館で若い世代の作家を紹介していたユベール・バルをディレクターとして、1972年に創設された。1970年代半ば、フィリップ・ガレルは、ロッテルダム国際映画祭でその後「彼の世代」の作家となるシャンタル・アケルマン、ヴェルナー・シュローター(*)に出会った。当時のガレルは、フランスですらほとんどの作品がシネマテークフランセーズなど特殊上映の機会でしか観客の目に触れることはなく、アンダーグラウンド、孤高の映画作家と見做されていた。アケルマンは『私、あなた、彼、彼女』に続き、『ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン』が批評的に大きな成功を収めたものの次回作の製作の大きな困難を抱え、シュローターもまた『Willow Springs』『Des Schwarze Engel』『Flocons d'or』と国境を超え立て続けてに作品を発表していたが、自身の方向性に疑問を感じ始めていた。彼らはロッテルダムで互いの作品に大きな刺激を得るとともに、ある種の連帯感を得たのだ。そして、映画における美学だけでなく言葉、物語への希求へ向かう彼らの道筋の同時期に重なるのは偶然ではないだろう。1978年、アケルマンは『アンナの出会い』、シュローターは『ナポリ王国』を発表、ガレルは『秘密の子供』の撮影を開始する。その後、ガレルとバルとの交流は、映画祭以後も続く。70年代の終わり、『秘密の子供』の資金繰りに行き詰まっているのを聞きつけたバルは、ある日現金を抱えてパリまでやってきたのだ。それらを矢継ぎ早に渡すと再びアムステルダム行きの電車に乗り込んだという。世界中の映画祭を駆け巡り作品を発見し、プログラムによって観客と作品をつなぎ、クリエーターの出会いの場を生みだすのに飽くことなく、自身の愛する監督たちのクリエーションまでも援助すること、その精神は、1988年ユベール・バルが心臓発作でこの世を去った後に創設された「ユベール・バル基金」に受け継がれている。これまでにこの基金によって400本以上の作品が製作され、そのリストには、アモス・ギタイ、シャルナス・バルタス、エリア・スレイマン、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン、カルロス・レイガダスの名前が刻まれている。
 ロッテルダム国際映画祭は創設以来、コンペティションなしのプログラムを特徴としていたが、1995年より初長編と2作目に絞ったタイガーコンペティション、その後、タイガー短編コンペティションと第2のコンペティションを含むブライトフューチャー部門を設立し、カンヌ、ベネチア、ベルリン、ロカルノ国際映画祭とは異なる新人監督の発見に力を注ぐ映画祭としての地位を現在までに確立してきた。とりわけ、ロッテルダムのプログラムの大きな特徴は、インディペンデントであり、実験的な作品、そしてアジア圏の作品を擁護しているところだろう。コンペティション開設初年度には、風間詩織監督『冬の河童』、翌年には橋口亮輔監督『渚のシンドバッド』などがタイガーアワードを受賞し、日本映画は大きな存在感を示していたが、ここ数年、コンペ部門には残念ながらその姿は見当たらない。今年のタイガーコンペティションのラインナップは、ヨーロッパ圏、スペイン、オランダ、ギリシャともに、南米、ブラジル、ベネズエラ、アルゼンチン、そしてアジア圏では中国、韓国、そしてインドの作品がノミネートした(複数国との共同製作作品が多いため監督の国籍を元にしている)。

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『The Year of the discovery El año del descubrimiento』(Luis López Carrasco監督)

 セレクションにおいて、異質なほど極端に商業の作風であったKim Yonghoon『Beasts Clawing at Straws』を除けば、全体の作品の傾向として。俳優を使わずドキュメンタリーの中に物語を発生させる、あるいは、俳優をインプロヴィゼーションに近い状況に投げ込む、そこに実験的な要素をある種のフォーマットとして部分的に、あるいは全体に包含するものが多い印象を受けた。低予算ゆえの世界のインディペンデント映画を巡るある種の傾向なのだろうか?ある種パターン化されているようにすら見え、どの作品にも徹底的な美学の追求は見られない。類型化されたメソッドの中でそれぞれの国の文化的背景や現在が見える、つまり文脈だけが異なっているのだ。グランプリを受賞した中国女性監督Zheng Lu Xinyuan『The Cloud in her room Ta fang jian li de yun』は、若い女性の日常生活を物語の軸として、モノクロームでのフィックスの長回しの撮影をベースに、ソラリゼーションや異常なクロースアップが挿入されていく。すでに欧米の作品で何度も繰り返されてきたメソッドを組み合わせ、部分的に取り入れられた「実験的」な表現方法は、作品全体の先鋭性にはまったく繋がっていない。アジア映画であり女性映画であるという枠組みでの新しさとして評価されたと言わざるえないだろう。フォーマットの特異性に作品の力が依拠してはいるが、アンディー・ウォーホル『チェルシーガール』のごとく分割されたダブルスクリーンに、現代のスペイン、あるいは、過去のアーカイヴをはめ込み、ときにはスクリーン同士が対話、あるいは、暗転し続ける200分、Luis López Carrasco『The Year of the discovery El año del descubrimiento』や、ジャン=リュック・ゴダール『中国女』とハロン・ファロッキ『Inextinguishable Fire』、アナ・メンディエタのパフォーマンスを再現しようと試みる若者のグループを描いた怪作『If I Were the Winter itself Si yo fuera el invierno mismo』のセレクション内における過激さが評価されなかったのは残念でならない。また、ブライトフューチャー部門の長編を含めコンペティション部門全体でのアジア勢の受賞が目立つつものの、その選択にはわかりやすい映画産業への目配せがチラついていびつに見え、過激な未知の若き新しい才能を発見しようという意思は感じられなかった。ロッテルダムの数週間後に開催されるベルリン国際映画祭が、元ロカルノ国際映画祭のアーティスティックディレクター、カルロ・シャトリアンの就任により、新たに第2のコンペ部門(Encounters)を設立、より先鋭性を持った作品を擁護し、同時に公式コンペティションには作家性のある監督作品の受け皿となる方向性を示しているのに対し、来年、ロッテルダム国際映画祭の50周年の節目に新たなディレクターとして就任したVanja Kaludjercicが、これから映画祭どのように変えていくのかを見届けたい。

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『If I Were the Winter itself/Si yo fuera el invierno mismo』


1987年、ヌーヴェルヴァーグ以後の自身の世代を巡るドキュメンタリー『芸術省 Les Ministeres de l'art』を制作する。この作品には、1966年のテレビ作品『Godard et ses émules』のために撮影されたジャン・ユスターシュへのインタヴューのアーカイブが使用され、シャンタル・アケルマン、ヴェルナー・シュローター、ジャック・ドワイヨン、ブノワ・ジャコ、ジャン=ピエール・レオ、ジュリエット・ベルトが出演している。

タイガーアワード長編受賞結果
グランプリ:The Cloud in Her Room by Zheng Lu Xinyuan
審査員特別賞: Beasts Clawing at Straws by Kim Yonghoon

ブライトフューチャ部門受賞結果
グランプリ:Moving On by Yoon Dan-bi
特別賞:A Rifle and a Bag by Isabella Rinaldi, Cristina Hanes and Arya Rothe