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March 31, 2020

『金魚姫』青山真治
梅本健司

[ cinema ]

 ある女性が目に涙を浮かべ、もはやどうすることもできないことを言葉にするとき、隣でスマホを食い入るように見ている男がいることを気にかけることなく、カメラは彼女ひとりに寄っていく。一見このショットは、その空間にいるふたりの関係を切り裂いてしまうショットに見える。そして彼女の語りだけが聞こえてきて、ひとりの女性のモノローグが始まるのだと確信さえする。しかしこのショットはモノローグで終わることはない。カメラは、スマホを見ていた男、つまり本作の主人公である潤(志尊淳)の顔にパンして、彼は彼女の言葉に答える。そして続くショットでは、潤が先ほど見ていたスマホが映し出され、その画面が、目の前にいるその女性、潤の元カノ、あゆ(唐田えりか)が先ほど自殺したことを告げる。だから、この長いワンショットは、前述した通り、ふたりを切り裂く、別離を示すショットであるとやはり言えるだろう。ではなぜこの場面に、あゆへのズームから、驚く潤の顔へのパンと移行する、回りくどいとさえいえる奇妙なワンショットが選択されたのだろうか。
 そのために『金魚姫』が描く物語の構造を考えてみる。一時間半の間にかなり激しいテンポで幾つかのエピソードや場面が展開され、我々は潤と共にそれらに立ち会っていく。それらは一見関係のない別々の事柄に見えるのだが、周りまわって連関しているのだということが明かされる。たとえば墓地で墓参りをしている女に出会う。次の場面でその女が幽霊だとわかる。次の次の場面で、幽霊が見えるようになったのは金魚姫に出会ったためだとわかる、といったように。様々な場面が一体なんだったのかということを、我々はつねにその場面が終わった後でしか知ることができない。『金魚姫』とは、人はつねに決定的な出来事に遅れてしまうということ、つまり「間に合わないこと」についての映画であるからだ。金魚姫・リュウ(瀧本美織)と潤の宿命をふたりが知るのは、ふたりが互いに愛し合っていることを知った後だというのがなによりもそれを雄弁に語るだろう。
 そのような『金魚姫』の物語構造全体が件のショットに折り返されている。カメラがたどる回りくどさは、潤とあゆが互いにもう別世界の住人であると認識することの、あるいは再会することの遅さと同期している。あまりに唐突に起きる出来事を、人はいつも遠回りにしか知ることができない、とそのショットは告げている。しかし『金魚姫』が人々の「間に合わなさ」を原動力としてひとつひとつのシーンをひとつの物語に連結していくように、これは別れのショットであると同時に、別々のものをひとつの画面に共存させるショットでもある。確かに潤とあゆの再会は遅すぎたかもしれないが、それによりふたりが一線を越えてめぐり合う、生と死が同居した奇跡のショットが生まれるのだ。
 青山真治は、別れによってなんらかの境界を乗り越えること、人が去ってはじめてそこに立ち現れる繋がりをつねに見せてきた。『ユリイカ』で、それまで別々のショットにおさまっていた役所広司と国生さゆりが、役所広司が離婚届の入った封筒を差し出す動作によってはじめて同一画面に映し出されるあの美しいショットのように。別れの先に待つ孤独さと共に、あらゆる境界を乗り越え、誰かと、別の世界と接続していくこと、このフイルムが描くのもまたそういったことである。

NHK BSプレミアムにて3月29日(BS4K:2020年3月30日)に放映

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