『東京のバスガール』(配信タイトル『若い肌の火照り』)堀禎一
二井梓緒
[ cinema ]
暗い日々が続いていますね、私はネットでピンク映画ばかり見ています。
といっても、そもそもピンク映画に特に関心があったわけでもなく、もっと言うなら苦手だった。が、それでもいくつか観ていくと、ピンク映画という私の概念が揺らいでいくような素晴らしい作品がたくさんあることに気づいたのである。エロがあってもなくても映画は映画であってそれだけでもう最高なのだ!
堀禎一の作品もそんな映画だった。どの作品もどこか現実離れしていて(例えば、『魔法少女を忘れない』(2011)は茫然としてしまうようなラストシーンがあっぱれであるし、遺作である 『夏の娘たち~ひめごと~』 (2017)は近親相姦パラダイスの映画で、もうモラル崩壊。何が正しいのか分からなくなる)もう笑うしかないのだが、そのなかでも『若い肌の火照り』(2008)は特に素晴らしい。あり得ない非常識さなのに泣けてしまう。
なんといっても堀禎一の描く夏はみずみずしく美しい。永遠に流れ続ける夏の音(セミの鳴き声、川のせせらぎ)だったり、延々と食べ続ける素麺、ペットボトルに入った麺つゆ、麦茶、夏の木陰にさす日傘。画面からいっぱいに伝わる夏はとても眩しくて、人物のセリフなんてひとつもなしにそれが伝わるなんて、なんだか狂気のようなものにさえ思えて、美しく、恐ろしい。
『若い肌の火照り』は相変わらず笑ってしまう物語設定で、主人公であるマヤは、年上の男と結婚、そしてその男が結婚後間もなく病死。現在は男と元妻の間に生まれた息子シュウヘイ(マヤと同い年!)と同棲している。そこで二人はセックスして楽しく生活をしているというところから映画は始まる。
ハッシャ~オーライ~!明るく~明るく~励むのよ~!
なぜか「東京のバスガール」を義理の家族の前で明るく笑顔で歌うマヤの表情は本当に眩しい(そして実際には「明るく走るのよ」である。マヤの愛嬌が抜群に表現されている!)。シュウヘイには彼女がいたり、マヤはともだちの家に遊びに行ったりする。二人の間にはセックスが介在するが、同時にそこにはきちんと生活が流れてもいる。麦茶を飲み干すシュウヘイに、「作っておいてね」と言い放つマヤ。帰りの遅いマヤを心配して、近所まで迎えに走るシュウヘイ。そこで描かれているのは、恋人だからセックスといったような狭っ苦しい愛ではなく、もっともっと雄大な愛である。まさしくビッグ・ラブ。
堀禎一の描く人物は皆憎めない愛嬌だったり弱さがある。マヤは亡き旦那の弟(シュウゾウ)と再婚するよう義父から勧められるが、帰り際、義母は「あなたの人生なんだから」とこっそりマヤの意志を尊重するように諭したりする。堀作品に出てくる登場人物は誰でもなんだかイイひとなのだ。終盤、なんやかんやしている間に、死んだ旦那の元嫁と旦那の弟(シュウゾウ)が我が家でセックスしているのを目撃しても「初めまして、マヤです♫」と明るく自己紹介できてしまうそのマヤの明るさに感服してしまう♫
いつまでもこんな生活を続けるわけにもいかず、ラスト夢の終わりかのようにマヤはシュウヘイに向かって「今までありがとう」と心を込めて、やっとの思いで言う。素晴らしいのは、その言葉にほとんど被さるようにシュウヘイが「わかってたよ!」と叫ぶのだ(二回ね)。その「わかってたよ!」はマヤの「今までありがとう」が発される前にすでにシュウヘイの心にあった言葉だ(吉岡睦雄の素晴らしい演技!)。二人は最後に明るく明るくセックスに励み、シュウヘイは笑顔で「ヤバい、出ちゃった!」と言う。
堀禎一の映画は全体を通じてのリズムが本当に心地よい。本作品におけるそれは夏特有のぐったりと流れる時間と、マヤの「ありがとう」に覆い被さるシュウヘイの「わかってたよ!」だったり「ヤバい、出ちゃった!」的速さとの交わりだ。最後の最後まで明るくしあわせな映画である。