『チワワは見ていた ポルノ女優と未亡人の秘密』ショーン・ベイカー
二井梓緒
[ cinema ]
この映画のラスト、主人公のジェーンは、道路脇に停めた車で待つチワワと老女ーーセイディーーを二度振り向く。一度目のあと車窓越しに彼女を見つめていたセイディは視線をそっと正面へずらす。反射する太陽の光に包まれたジェーンは少し立ち止まった後、老女の待つ車へと歩いていく。このシーンはふたりの関係性が変わっていくことを示すが、その先は誰にも分からない。映画の最後に観客に与えられた解釈の自由は、『タンジェリン』(2015)や『フロリダ・プロジェクト真夏の魔法』(2017)などの作品にも見られたものだが、iPhoneを効果的に使った撮影によってショーン・ベイカーの名を高めたその2作以前の作品である『チワワは見ていた ポルノ女優と未亡人の秘密』(2012)にも、すでにベイカー的というしかないよさがある。
本作は、ポルノ女優を生業にする21歳のジェーンとひとりで暮らす80歳過ぎの女性セイディの物語だ。ジェーンは、ガレージセールで買った魔法瓶のなかに大量の札束を見つける。持ち主であるセイディに一度は返そうとするものの彼女のぶっきらぼうな性格(「返品はしないと言ったでしょう!」と追い返されてしまう)により、札束を返すことができない。セイディの何かに惹かれたジェーンは彼女の買い物の手伝いだったり趣味のビンゴに参加し始める。
老人と若者、これでまず真っ先に思い出すのは『ハロルドとモード 少年は虹をわたる』(1971、ハル・アシュビー)であるし、この作品はそっとお互いを埋め合うという点からすればそれに近い。ふたりは突然親密になることはなく、スピードを早めたり緩めたりしながら徐々に距離を縮めていく。初め自宅で水しか出さなかったセイディが、ジェーンにインスタントコーヒーを注ぐシーンなどだ。歳の離れたふたりの関係性といえば『フロリダ・プロジェクト』でも管理人とムーニーの母親の関係はうまく描かれていた。お互いは過度に介入することなく、それでも持ちつもたれつ関係を築いていく。また、『タンジェリン』がとりわけそうであるが、本作も会話劇がとにかく面白い(ジェイムズ・L・ブルックスを想起させるテンポとカサヴェテス的な居心地の悪い空間を織り混ぜているような感覚)。終盤、荷造りをしながら、微笑みお互いを見つめるふたりが画面の中央におさまる瞬間は序盤のふたりとはまったく違った表情を見せている。ジェーンはセイディに母親的な何かを見出すし、セイディは亡くした娘を重ねたり、重ねなかったり。
ベイカーが描くこのような親密で、かつ繊細な人間関係にはカメラも関係しているのかもしれない。本作は一貫した手ブレから分かるようにほとんどのシーンがハンディカメラで撮影されていることがわかる。撮る側と撮られる側の距離が縮まり、カメラは親密さを持って目の前の状況を映す。後の『タンジェリン』、『フロリダ・プロジェクト』はiPhoneでの撮影によってさらに距離を縮めることが可能になっていた。
また、多くのひとが指摘するようにベイカーはアメリカにおける社会的弱者だったり少数者に焦点を置いている。『タンジェリン』『フロリダ・プロジェクト』の主人公がセックスワーカーであったことに加えて、KENZOのコレクションのため製作された『Snowbird』も廃車やキャンピングカーに住むホームレスをめぐる短編であった。本作の主人公もまたようやく軌道に乗ってきた駆け出しポルノ女優であり、加えて、登場するジェーンの友人たちはベイカー作品ではお馴染みになってしまったように皆揃ってヤク中だ(どの作品も友情関係が欠かせないのだ。今回登場する友人メリッサはジェーンと同じ境遇に置かれている。仕事がうまくいかず泥酔したメリッサを介抱するジェーンの姿や、その後ふたりが酷い言い争いをするシーンは、同じ状況下にいるふたりが、同じ檻のなかでどう生きるかを必死に模索しているようにも見える)。そんな社会からある意味では見放されている/不可視化されている人物たちからベイカーが引き出す魅力は、単なる社会的配慮によるものではないし、また単に被写体とカメラの距離を縮めたことに由来するのでもない。
そのために彼が行う繊細な演出は数え切れないほどあるのだろうし、真摯な眼差しを持って作品をつくりあげていくのだろうが、私が毎回グッとくるひとつの要素は、キャラクターにつける名前である。本作の主人公の愛犬のチワワの名前は「スターレット」(オスなのに!)で、それがそのまま作品の原題になっている(それゆえ邦題のナンセンスさが目立ってしまいかなり惜しい......)。「-let」はある語について、それよりもさらに小さいまたは、親愛の情を表す接尾語らしく、「スターレット」は主に「女優の卵」のように女性に使われるのだそうだ。普通に考えて、主人公であるジェーン自身にこそふさわしい名前だ。でもそれがオスの飼い犬の名前なのも、何よりこのチワワが雑種であるというところも、この映画のよさを示している。別にみんなが思い描く通りの大きな「スター」にならなくたっていいんじゃないか。メインストリームからはみ出してても、純血じゃなくても、みんなが「小さな星」のままで輝いている。
ところで、本作の「スターレット」は現在ベイカーと生活をともにしているようだ。スターレットの演技も見どころのひとつだろう。