『小さな泊まれる出版社』真鶴出版
隈元博樹
[ architecture , book , current montage ]
神奈川県足柄郡下真鶴町。2018年に県で唯一の過疎地域に指定された、人口約7300弱の小さな港町。この町にある真鶴出版を知ったのは、横浜国立大学大学院都市イノベーション学府の広報誌「YNU YEARBOOK2019-2020」に掲載された「人と地域をつなぐこと」という座談会だった。そこでは真鶴出版の川口瞬と來住友美、同出版2号店のリノベーションを担当した「トミトアーキテクチャ」(以下、トミト)の伊藤孝仁と冨永美保によって、真鶴に息づくコミュニティ、2号店を囲む地理的背景、ローカルメディアとしてのあり方や今後の課題について語られていた。窓越しに映る背戸道(せとみち)と呼ばれる路地の写真や2号店の建築のたたずまいにも惹かれたせいか、並々ならぬ興味を覚えた私は、すぐさまこの『小さな泊まれる出版社』を真鶴出版のウェブサイトでポチったのだった。真鶴出版のはじまりは、川口と來住が真鶴町に移住した2015年に遡る。しかし『小さな泊まれる出版社』は、真鶴との出会いから2号店が完成するまでのできごとだけに言及されたものではない。彼らが育ったニュータウンや都市に対する違和感の正体を紐解く形で、來住が大学時代に訪れたフィリピンのルソン島にあるスーヨーや、卒業後に日本語教師として滞在したタイ南部のトランでのローカルな暮らしがレポートされている。このようにして本書は、極めてローカルな場所で経験した人と地域による親密なコミュニティに着目することで、自らが追求する「幸せな暮らし」のあり方に端を発する。そこから「泊まれる出版社をつくる」と題し、來住による真摯な文体に導かれるようにして、施主としての具体的なプロセスやアプローチ、あるいは包み隠すことのない日々の反省との繰り返しを経て、真鶴出版は出版社としての容貌を本書の中で露わにしていくのだ。また、トミトや地元の職人たちとの綿密なやりとり、2号店の施工過程、設計図の変遷、さらにはかかった予算と実績を事細かに掲載していることからも、限りある資金から少しずつ事業を動かしていく「スモールスタート」を含め、このプロジェクトの言わば事業計画書としても読み解くことができるだろう。
「泊まれる出版社」と謳われているように、真鶴出版は出版業と宿泊業のふたつの事業によって支えられている。しかし、真鶴で出版することや真鶴に泊まってもらうことが人と地域とをつなぐ存在であるかぎり、それらはたがいに共通したひとつの「リローカルメディア」であると彼らは語る。1993年に真鶴町で制定された『美の基準』というまちづくり条例は、そうしたリローカルメディアの骨子的存在にほかならない。クリストファー・アレグザンダーの『パタン・ランゲージ』を元にしたこの69個の基準は、それが地元の住民か観光客であるかを問わず、地域の魅力を通して自身の考え方や関わり方を変えていくためのバックグラウンドとして、人と場所そのものをつなぎとめているのだ。
だからこそ『美の基準』あるいはリローカルメディアを通して生まれる暮らしの賜物として、真鶴には「日常的な行為として繰り返されることの強度」(本書P134)が宿っている。たとえば街の夜中に開いているコンビニの存在と、誰かしらが必ずそこにいるから開いているはずだという草柳商店(角打ち)の存在の強度は、似ているようで違うものなのだとトミトの伊藤は指摘する。つまり都市のコンビニが巨大なシステムやネットワークの中で支えられた資本主義による強度であるならば、真鶴の草柳商店とはローカルな場所と人とのあいだで繰り返される「暮らし中心主義」によって支えられた強度であるということだ。もちろんそこにひとつの経済の形があるかぎり、ここで挙げられた暮らし中心主義とは、単に自給自足を求めて地方への移住を図るスローライフとも異なる。またインタヴューでも語られているように、真鶴出版2号店は設計や計画中心の「モノづくり」を目指す建築と、その地域の中で起こりうる偶然性に賭けた「コトづくり」を目指す建築とに切り離されているのではない。ともに共犯関係を結び、また時にたがいの融合を受け入れているからこそ、彼らの掲げる暮らし中心主義のひとつとして成立している。2011年の震災を経て見える新たな建築の様相を、真鶴出版やトミトはこの2号店を通して体現しているのだ。
「町歩き」(真鶴出版へ泊まった際にオプションで付いてくる)に身を委ね、背戸道や岩道を練り歩き、ひとたび地元の魚屋や肉屋を訪れてみたい。真鶴出版の共有スペースでしばらくのんびりと過ごしたならば、少し離れた海岸沿いや呑べえたちの集う草柳商店にも足を伸ばそうか。何だか真鶴出版やトミトの術中にはまってしまったようだ。真鶴を訪れる日がとても待ち遠しい。