« previous | メイン | next »

March 2, 2021

『二重のまち/交代地のうたを編む』小森はるか+瀬尾夏美監督インタビュー

[ cinema , interview ]

 つくり手たちは四人の登場人物ーー彼らはまちの外からやってきて、まちの人に話を聞き、まちについて書かれたテキストを朗読するーーを「旅人たち」と呼ぶ。バスに揺られる若い女性の姿に、彼女の声のナレーションがすうっと被さるとき、それを見る観客たちもまたこの「まち」に漂い着いたひとりの旅人になる。
 このまちには、地面の下にもうひとつのまちがあるらしい。このまちの少し遠い未来を描いた物語があるらしい。旅人たちが歩くまちの風景は、過去の出来事が新たなかたちで語り直される場であると同時に、未来の物語が繰り広げられる舞台となる。そこでは実際に過去に起きた出来事も、それを基に描き出された物語も、絶えず迷い悩みながら紡ぎ出される語り手たちの声と身振りの中で、ひとつの大きなーーあるいは無数の小さな?ーー語りの一部をなす。

kotaichi_sub01.jpg
(C)KOMORI Haruka + SEO Natsumi


ーーこのプロジェクトの発端についてうかがえますでしょうか。

瀬尾夏美 震災から時間が経過して、陸前高田でも嵩上げが進んで、新しいまちが見えてきたのが2017年ごろでした。それ以前はまだ被災の風景を見ながら暮らす時間だったので、まちの人たちも震災の話を日常的に話していたし、「未来」みたいなものがすごくぼやっとした感じだったと思うんです。でも実際に嵩上げが進み、新しいまちでお店も開店したりすると、具体的にやらなきゃいけないことが目の前に出てきて、どうしたってそちらを考える時間が増えます。それはとても力強いことです。
 一方で、震災から時間が経っていくにつれて、「震災当時に自分は何もできなかった」という語り方で話しかけてくれる、とりわけ若い人たちに会うようになったんです。被災地でも、被災地以外でも。震災当時はまだ小学生だった学生さんが展覧会に来てくれた時に、「私子供だったから何も気づきませんでした」と言われたこともありました。そうした声をよく聞くようになったのも、同じく2017年ぐらいという感覚です。その時に、自分は当事者ではないと強く思っていたような若い人たちが、あの時何もできなかったという思いを抱えてモヤモヤしているのもなんだか不健全な気がしました。だったらなにか動いてみてもいいんじゃないのかなと、そういう人たちに聞き手としてまちの人たちの話を聞いてもらうのはどうかと思いました。まちの人たちも、もう日常的には話さなくなっているけれど、震災のことをまったく話したくないというわけでは多分ない。そこに新しい聞き手が来ることによって、まちの人たちにとっても新しい語りを生む契機になるだろうと。陸前高田に新しい聞き手を連れてくるというのが最初の狙いですね。

ーーその時点で「二重のまち」というテキストを読むことも組み込む予定だったのでしょうか。

瀬尾 そうですね。もともと「二重のまち」は2015年、嵩上げの最中に書いたお話で、震災から20年くらい先のすこし遠い未来に設定していました。ですが、実際に2017〜18年頃に新しいまちができてくると、まちの人ですら「下のまちがね」みたいな語り方をし始めていることに気づいたんです。その時、「二重」ということはもう始まっている、つまりそうやって物語を持たなければ下のことを想像できなくなる時期が来ているのだと思いました。
 たまに友人が高田に来てくれた時に、「嵩上げってどこのこと?」と聞かれることがあるんですが、風景を見ただけではわからなくなっているんだなと。あくまでレイヤーとして重なっていて、物理的にも地層としてレイヤーになっているし、時間的にも層になっている。そのことを理解しないまま、まちの人の話を聞くことは難しいと思います。だから、この「二重のまち」という物語をうまく使うことで、やってきた旅人たちがまちの人に対峙しやすくなるというか、まちの人が持っている記憶をおざなりにせずに聞く身体みたいなものができるかもしれないと思い、「二重のまち」を組み込むことを思いつきました。
 「二重のまち」の朗読会を2015年からやっているんですが、自分が読むこともあれば参加者が読むこともあります。その時の経験で、「二重のまち」を読むと必ず読み手本人たちの記憶が重なってくるということに気づいていました。例えば広島で朗読会をしたときには、広島の二重性が見えてきたりもする。そうした物語の効果のようなものを、今回もうまく使えるんじゃないかと思っていました。

ーープレスシートに書かれている小森さんの文章の冒頭で、「『二重のまち/交代地のうたを編む』は、映画である前に、震災から7年が経過した陸前高田でわたしたちが試みた、一つのプロジェクトである」と書かれていたのが、印象的だったのです。
 『二重のまち/交代地のうたを編む』は、プロジェクトのたんなるドキュメントとは呼びがたい構成になっている気がするし、かといって映画をつくる目的のためにプロジェクトが行われたわけではない。この「プロジェクト」と「映画」が、直線的な因果関係というよりももっと複雑な重なり方をしている気がしたんです。

小森はるか もちろんそのふたつはセットではあるんですけど、映像作品を制作することが先行していたわけではないということを言いたかったんです。

瀬尾 プロジェクトを企画するときに、現場を作ることとアウトプットを考えることは同時にやることですから、最終的に映像作品というかたちをとるだろうことははじめから想定していました。「小森はるか+瀬尾夏美」は映像作品をつくることの多いユニットなので。ですから、最初から「出演者」を募集する、というかたちをとっています。そうしてアウトプットを明確にしたワークショップを組むことは、参加者の安全を担保することにつながるんじゃないかと思います。そこで行われることは現場の秘密として保持されるのではなく、きちんと外に開かれるのだと明示しておく。このプロジェクトは「継承のはじまりの場」をつくるトライアルですが、そこで行われたことをさらにだれかに引き渡すことも同時に試みられている。参加者たちには、あなたはこの継承のトライアルを外に伝えるための媒介でもあるということを伝えたうえで、来てもらっています。

小森 撮影の時には、これがどういうかたちにまとまるのかはあまり考えずに、それでもなにかしらの映像にするための工夫を考えながら撮っていたのですが、それがたぶん編集の考え方にもつながっていったのだと思います。プロジェクトのドキュメントになりすぎず、かといってその映像だけが独立して、彼らが実際経験したことやこちらがやろうとしたこととズレないように、でもどこかこれがある種フィクションとしても見えるように、そんな合間を縫ってつくっていった作品です。
 今回、劇場公開というかたちで見られる時に、必ずしもこういうかたちで見られることを前提としてつくったわけではないことは言っておきたかったんですよね。

ーー4人の旅人たちが話を聞きに行く方々は、彼らが朗読するテキストのモデルになった人たちなのでしょうか?

瀬尾 必ずしもそうではないです。モデルになった人の中にはもう亡くなられた方もいますし。ただ、モデル本人ではなくても、似たような感覚を持っている人だったり、その死者のことを知っている人だったり、密接な関係にある方を選んでいます。

ーー朗読される「二重のまち」は春夏秋冬の4つのパートに分かれていますが、誰がどれを読むかというのはどうやって決まったんでしょう。

瀬尾 オーディションの段階で決めました。
 割り振りは全体のバランスを見てというか......。例えば夏の章は、私がとてもお世話になった人がモデルになってるんですが、その人はもう亡くなっています。だからこれを読むためにリサーチしようとすると、どうしても重くなってしまうところがあると思うんです。それを今回、米川幸リオンさんにお願いしたのは、彼が間に入ってくれることによって、ちょっとフィクショナルになるかなという気がしたんです。彼のあの身体があるだけで少し明るくなるというか。
 他の人も、オーディションの時にテキストを朗読してもらったのですが、いわゆる演技として上手に読む人は選んでいません。それよりも書かれていることに対して、迷ったり、弱くあれる人かどうかを大事にしました。それを基準にして選んだのがこの4人です。

ーー4人の旅人たちはそれぞれ二組の人に話を聞きに行っているということで合っていますか?必ずしも映像として全員出てくるわけではないと思うのですが。

小森 そうですね。映像で出てこない方もいますし、話の中にも登場しない方もいます。

ーーどういった意図でこういう編集になったんでしょう?

小森 基本的にひとりずつ話を聞きに行く現場は、4人同時に違うおうちに行っているので、撮影としては全部追えないんです。それにカメラがない場の方がいいと希望されて、撮影自体行なってない人もいます。だから彼らが聞いてきた話、語り直してくれた話には、撮影している私たちが一緒に聞いていない話も多くありました。だから、話をしてくれた人たちの姿を見せることよりも、それを聞いた人がどのようにあるのかということのほうがこの映画では重要なんだと思います。彼らが語り直すことで、いろんな人の像が思い浮かぶかもしれないですし。そして彼らが迷いながら話しているということ自体が魅力的だなと思いました。彼らが話の中から何かを受け取ったからこそ、こういう語り方になっている、そう感じる部分を選んで構成していったのだと思います。

ーー先程瀬尾さんが、「嵩上げってどこのこと?」と聞かれるとおっしゃってましたが、この作品の中でも、土盛り工事の風景は映されていても、ここが下のまちになる部分です、ここが新しいまちです、という対比を強調して見せるわけではないですよね。

小森 たぶんそういう風には映像に映らないんです。それはいままで撮ってきて感じたことなんですけど、上の地面と下の地面が両方フレームに収まる風景を撮ったとしても、それが二重には見えない。二重というのは視覚的にわかることじゃないんです。
 おっしゃった土盛り工事の風景が、埋められていくということが視覚的に一番よくわかる映像だと思うんですが、いったん埋められてしまうと、境界はすごく曖昧なんです。「二重性」はあくまで身体的な感覚としてあるというか、目で見てわかるものじゃない。おそらくまちの人たちにとっても、地面の下にまちがあるという感覚はそういうことなんだと思います。だから4人もそれを想像するしかなくて、自分の中でいかに下のまちの存在を捕まえていくのか、という試みだったのだと思います。
 「二重のまち」という物語の中に描かれているまちの風景が、2017年頃から実際に現われてしまったので、ある意味でまちが物語の舞台になってしまった。だから彼らがこの場所を歩いている姿を撮ることが、物語の中で下のまちについて語ることとうまくつながっていけばいいなという期待がありました。
 彼ら4人が歩くのが好きだったというか、自由気ままに歩ける人たちだったのも大きかったですね。撮影されていることは意識しつつも、こちらの想定以上に自由度があったんです。聞いてみると歩きたい道が結構明確にあって。だから、彼らが見たいものを追いかけることで新しい風景が見えそうだと、撮影しながら感じていました。

kotaichi_main.jpg
(C)KOMORI Haruka + SEO Natsumi

ーーこの作品には、まちの人から聞いた話を語り直す場面と、「二重のまち」のテキストを朗読する場面の他に、自分が朗読するテキストについて読み手自身が「これはこういうお話です」と語る部分がありますよね?その部分は単なる朗読の説明ではなくて、すごく重要な独立した要素のような気がしたんです。

瀬尾 文章が与えられて朗読する時に、本人にとって「これはこういうお話です」ということが語られたらいいなとは最初から思っていたんです。なので、毎日の読み合わせで試していたんですが、とにかくできないんですよね。それはもちろん作者である私を前にしての難しさかもしれないし、聞き手がもしかしたら高田の人かもしれないことがすごく慎重にさせるということもあったのかもしれません。当初私はそれが無茶振りだと思っていなかったんですが、「こんなに難しいことだったんだ!」と気づきました。
 プロセスとしては、ワークショップが二週間あるうちの前半、最初の一週はとにかくまちの人たちの話を聞いてもらって、その後にその話を仲間の間で共有していくというものだったんです。その合間に私と面談を何回も行うんですが、そこで気づいたのは、旅人たち本人の話を聞くことが足りていなかったということです。つまり、聞いてきた話で彼らはいっぱいになっているけど、まず聞いてきた話をどうしようかと迷っている自分を受け止めてあげないと、話自体を本当に受け取ることができないんだなと面談の中で気づいたんですね。それで、「あなたのふるさとについて聞かせてください」という話を結構繰り返してしました。その中で彼らが思い出したこと、こんなことがあったという記憶が、おそらく、自分がこのテキストのこの部分を引き受けるとしたらこういうふうにしたい、という姿勢のようなものをかたちづくっていったんじゃないかと思います。
 だからあの語り出しは一番最後にできたテキストで、私としては、このプロジェクトから生まれた最も重要なものだと感じています。もちろん朗読の声自体も重要なんですが、引っ掛かりとしてこれがないと生まれなかった声だと思います。

ーー4人の朗読が終わった後に、彼らが自分たちの聞いた話を継承することの難しさについて話し合う白い部屋のシーンがありますよね。あれは撮影の順序としても、朗読を行った後なんでしょうか。
 あの場面で「継承のはじまり」のような問題が改めて浮き上がる気がするんです。

小森 あそこは本当にワークショップの最後、帰る直前に撮影した場面です。みんなそれまでとは全然違う服装をしてるのがいいと思います(笑)。

瀬尾 私はワークを組んでいる側として、朗読をして終わりというのはズルいなと思ったんです。先程も話した、彼ら自身の声を拾えていないんじゃないかという問題があって、彼らが惑ったりつまづいたりしたことそれ自体について語ってもらう必要があるんじゃないかと。ちゃんと語り終わりをしてもらわないと危険だなというか、ワークショップを締めるためには必要だった気がしました。

ーー「語り終わり」という表現はすごいですね。

瀬尾 ワークショップという夢の時間は、やっぱりきちんと覚めてから帰ってもらわなきゃいけない。そこまで映すのが、人間としての彼らをちゃんと見せるということなんじゃないかと思いました。

聞き手・構成:結城秀勇

kotaichi_sub03.jpg
(C)KOMORI Haruka + SEO Natsumi


小森はるか (こもり・はるか)
映像作家。1989 年静岡県生まれ。映画美学校 12 期フィクション初等科修了。東京藝術大学美術学部先端芸術表現科卒業、同大学院修士課程修了。長編ドキュメンタリー映画『息の跡』(2016 年)、『空に聞く』(2018 年)が劇場公開される。

瀬尾夏美 (せお・なつみ)
画家、作家。1988 年東京都生まれ。東京藝術大学美術学部先端芸術表現科卒業、同大学院修士課程油画専攻修了。著書に『あわいゆくころ----陸前高田、震災後を生きる』(晶文社/2019 年) 、『 二重のまち/交代地のうた』(書肆侃侃房/2021年)。文学ムック『ことばと』vol.2(書肆侃侃房/2020 年)で小説『押入れは洞窟』を発表。


『二重のまち/交代地のうたを編む』
2019/日本/79分
監督:小森はるか+瀬尾夏美
撮影・編集:小森はるか 福原悠介
録音・整音:福原悠介
作中テキスト:瀬尾夏美
ワークショップ企画・制作:瀬尾夏美 小森はるか
スチール:森田具海
出演:古田春花 米川幸リオン 坂井遥香 三浦碧至
2021年2月27日(土)より、ポレポレ東中野、東京都写真美術館ホールにて公開、ほか全国順次
www.kotaichi.com

2021年3月6日〜19日、特集上映「映像作家・小森はるか作品集 2011ー2020」がポレポレ東中野にて開催、ほか全国順次開催


  • 『二重のまち/交代地の歌を編む』小森はるか+瀬尾夏美 結城秀勇