『ノマドランド』クロエ・ジャオ
結城秀勇
[ cinema ]
鉱山とともに生まれ続いた小さな街が、閉山とともに消滅する。商売がなくなれば人がいなくなり、人がいなくなれば街がなくなる、というのはどこの国でも同じだろうが、最後の住民が街を去るか去らないかのうちに郵便番号が消滅してしまうというのは、ひどくアメリカ的な光景に思える。人々に見放された建物はまだそこにあり続けているのに、その場所を示す番号はない。
ファーン(フランシス・マクドーマンド)は、新たな番号が割り振られた新たな土地に移り住む代わりに、手製の改造ヴァン「ヴァンガード」を住処としながら、季節労働者のように大陸を移動していく。ネヴァダ、アリゾナ、コロラド、ネブラスカ、サウスダコタ......。だが彼女が長年住み慣れた街を背に、「御使いうたいて」を口ずさみながら車をスタートさせた時点で、そうしたプランがあったわけではないようなのだ。最初に就いたアマゾン集荷センターの仕事が終わった後で、駐車場の料金がバカにならず近くの地域に留まり続けることの困難を知った彼女は、同僚のリンダ・メイに教えられつつもはじめは気乗りがしなかった、移動生活者たちの集会を訪れることにする。そこで仕入れた情報は彼女の次の行き先を決め、また次の場所でその次の行き先の情報を知る。その道行きの先=down the roadで、「またどこかで」と別れた人々と再会する。
ファーンの移動とともに、視界の遥か遠くにそびえる山の形や色が変わる。朝焼けに照らされた筋雲が、空に色鮮やかな地層のような模様を刻む。彼女が暮らすことに決めた「ノマドランド」は岩の国だ。すべては石になる。彼女が働いていた石屋で、放浪する若者たちが売り込みにきた綺麗な石のセットの中には、パームツリーの化石があった。そこで若者グループのひとりにあげたライターは、後になにかの動物の骨だという、綺麗な黒い石のついた別のライターになって返ってきた。バッドランズ国立公園で、デイヴ(デイヴッド・ストラザーン)に「なにか素敵なものでも見えるのかい?」と呼びかけられた彼女は、大きな声で「石よ!」と叫び返す。
木も動物も、かつて砂や土だったものも、すべてが石になっていく。ファーンが訪れた巨大な森にあった、幹に刻まれた筋がまるで地層のようにも見える巨大な倒木は、まさに石になる過程にあった。ファーンにノマド生活のイロハを伝授してくれたスワンキーの顔に刻まれた皺もまた、石に至る長い過程としての生の記憶を留めていた。もしかするとアマゾン集荷センターのあの山のように荷物が積み上げられた壁面も、やがて本当の岩山になるのかもしれない。その頃にはファーンと夫が暮らした、どこまでも広がる砂漠の縁に立つあの家も、やはり石になっているのだろう。
彼女たちが再会の約束を誓う「またいつかどこか」=down the roadとは、すべてが石になってしまうほどの遠い遠い先にある。だがそれは苦境ゆえに家を持たぬ生活を強いられた彼女たちを慰めるためだけの福音のような、ただ待っていればやがてやってくる救いの約束ではない。彼女たちはそうした生活を強いられただけではなく、選んだのだ。だからこそ、ファーンが旅する、人々に見捨てられ、番号を失い、価値を見過ごされたこの石の国=アメリカが、こんなにも美しい。