« previous | メイン | next »

July 9, 2021

第74回カンヌ国際映画祭報告(2)それぞれの開幕上映作品たちーーレオス・カラックス『ANNETTE』、アルチュール・アラリ『ONODA』、エマニュエル・カレー『OUISTREHAM (BETWEEN TWO WORLDS) 』、コンスタンス・マイヤー『ROBUSTE (ROBUST) 』
槻舘南菜子

[ cinema ]

anette_CG Cinéma International.jpeg
レオス・カラックス『ANNETTE』©CG Cinéma International

 第74回カンヌ国際映画祭待望の開幕上映作品、レオス・カラックス『ANNETTE』。ドライバーとコティヤールの二大スターをキャスティングしたミュージカルコメディ?ほぼ全編に響く歌声は、感情の高揚や、劇的な展開を演出するためには機能しない。緑色のバスローブを纏うアダム・ドライバーはドニ・ラヴァンを彷彿とさせ、『TOKYO!/メルド』(2008)が、観客に向けて、どうだ見てみろ!と文字通り大きな糞の塊を殴りつけるかのような作品だったように、『ANNETTE』は、私たちを唖然とさせ、当惑させ、挑発するだろう。この作品は、何かを与えたり、それに対する返答を待ってはいない。解釈を拒むというレベルを越えて、理解すること自体がほとんど無意味と言わんばかりに、作品に散りばめられた記号は無数の断片としてどこにも到着点を見出すことなく、アダム・ドライバーとマリオン・コティヤールを呑み込んだ真っ黒な波の中に消えていく。「カンヌ」で上映される多くの作品に欠けているものすべてがここにあるのだ。作品の登場人物への自己同一化はもちろん、感情も時間も空間も物語も何もかもを共有することがない、そんなものは溝の中に捨ててしまえばいい。『ANNETTE』はレオス・カラックスという映画作家の紛れもない「作品」であり、強烈に自立して存在する。まさに、今年のコンペティション作品全体のみならず、映画産業全体へのアンチテーゼだと言えるだろう。

onoda_bathysphere.jpeg
アルチュール・アラリ『ONODA』©bathysphere

 同様に、ある視点部門の開幕上映作品、アルチュール・アラリ『ONODA』は、若手フランス監督作品として、今年のカンヌでもっとも待望されていた一本だ。仏批評家からの圧倒的な絶賛を受けた処女長編『汚れたダイヤモンド』(2016)は、カンヌを含むすべての大規模国際映画祭に落選し不遇の扱いを受けたが、ついに今作で大きく躍進した。主要な俳優は、オール日本人キャストであるにも関わらず、日本人監督が仏で制作した作品に散見される演出と俳優の演技の齟齬や、俳優自身の持つ資質のみに頼った演出の不在からはほど遠い。『汚れたダイヤモンド』の主演俳優ニール・シュナイダーが変貌を遂げたように、『ONODA』の俳優たちは、アラリの演出によって、「別の」誰かになるのだ。フィリピンのルバング島で太平洋戦争終結後も30年近く任務解除の命令を受けられないまま、潜伏を続けた小野田寛郎。この異常な強迫観念に取り憑かれた男という主題は、『汚れたダイヤモンド』の延長線上にもあると言える。『汚れたダイヤモンド』で見せた狂気に近い執着は、眩暈のようなカメラの動きや色彩の演出によって語られていたが、『ONODA』では、際立ったカメラワークや光の演出というよりむしろ、カメラの前で集積する時間への無頓着にも見える軽さと平坦さによって増幅していくように見える。実在する人物や物語を越えて、何かを信じること、信じ続けること、その信念の本質を「演出」で見せた秀作だ。

OUISTREHAM.jpeg
エマニュエル・カレ『OUISTREHAM』ー

 併行部門、監督週間と批評家週間の開幕上映作品は、カラックスの持つような映画としての破壊力やアラリ作品の持つ大きな野心はないが、二作品には、世界への眼差しであり、仏の有名俳優を巡るある種のドキュメンタリーという共通点が見える。監督週間の開幕作品『OUISTREHAM (BETWEEN TWO WORLDS) 』のエマニュエル・カレーは、ジャーナリストとしてキャリアをスタートし、小説家に転身。その後、ドキュメンタリー作品を監督し、1986年に出版された自作「口ひげを剃る男」を2005年に映画化し、本格的に監督としてデビューした。『OUISTREHAM』は彼の第二作目のフィクションにあたる作品だ。主演のジュリエット・ビノシュ扮する有名作家は、夫と離婚後、身分を偽りながらも掃除婦としての職にありつき、その体験をルポルタージュとして綴っていく。未知の世界に飛び込み、不条理に罵られ、汚物に塗れるビノシュの姿を見るのは、ブリュノ・デュモン『カミーユ・クローデル ある天才彫刻家の悲劇』(2013)で描かれた同様の快楽を彷彿とさせる。

ROBUSTE.jpeg
コンスタンス・マイヤー『ROBUSTE』

 一方、批評家週間の開幕上映作品『ROBUSTE (ROBUST) 』は、女性監督コンスタンス・マイヤーの初長編だ。すでに監督作品である3本の短編『Frank-Étienne vers la béatitude』(2012) 『Rhapsody』(2016) 『La belle affaire』(2018) でも、ジェラール・ドパルデューが主演を務め、今作では、彼が大御所俳優を演じる。撮影準備中の傍若無人な振る舞いであり、アルコール依存と私生活での孤独、菜食主義のエコロジストに襲われた際に発する「肉がなければフランスは存在しない」という発言など、そのほとんどは彼自身を投影していることだろう。彼の運転手兼、ボディガードの代役を務める若い黒人女性との交流が、世代、人種、性別、幾重にも重なる差異の間で展開される。だが二作ともに、主人公が生きる世界と別の世界の人々との関係性の構築に多くの時間が費されるにも関わらず、二つの世界は、分断されたまま、交錯することなく、時間とともに終わりを迎える。『OUISTREHAM』のジュリエット・ビノシュ演じる作家は、掃除婦として働く同僚との間に生まれた友情に涙しながらも、執筆が終われば彼女たちと再び共に過ごすことにはっきりと「Non」を発するし、『ROBUSTE』のドパルデューは去っていく黒人女性のアシスタントを無関心に見送る。安易かつドラマティックな展開に陥らず、世界に漂う当たり前の残酷さと皮肉を見せるという点では興味深い。しかし、出会った新しい世界を、他者を、彼らとの間に生まれた感情を繫ぎ止めることの困難を引き受けず、容易に手放してしまう姿勢は、やはりアラリの『ONODA』が持つ信念や、カラックスの『ANNETTE』が放つ絶対的な自身の「映画」への執着からはほど遠い。

カンヌ国際映画祭公式サイト