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July 13, 2021

第74回カンヌ国際映画祭報告(4)フランスの新しい才能ーー三本の初長編 マキシム・ロワ、エマニュエル・マール (&Julie Lecoustre)、ヴァンサン・ル・ポール
槻舘南菜子

[ cinema ]

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マキシム・ロワ『LES HÉROÏQUES』©TS Productions - Marianne Productions - 2021

 今年のカンヌ国際映画祭では、カメラドールの対象になる処女長編が、公式部門、併行部門、監督週間と批評家週間を合わせて31本ノミネートされた。フランスのみならずヨーロッパでは、短中編でデビューした後、それを足がかりに初長編に至るのが一般的なプロセスとなっている。マキシム・ロワ、エマニュエル・マール、ヴァンサン・ル・ポールは、すでに短編の世界で確実なキャリアを積んでおり、彼らの初長編は、撮られるべきして撮られたと言えるだろう。
 特別上映部門にセレクションされた、マキシム・ロワ監督『LES HÉROÏQUES (THE HEROICS) 』はセザール賞でのノミネートのほか、10以上の国際映画祭にセレクションされた短編『Beautiful Loser』(2018)をほぼパイロット版として長編化した作品だ。ロワは、初長編に至るまで、『Sole Mio』(2019) 、『Des gens bien』(2020)と精力的に短編を制作してきた監督だ。長編『LES HÉROÏQUES』では、主演のフランソワ・クレトンと、実の息子であるロメオ・クレトン以外のキャストは大幅に変更されたが、薬物中毒でセラビーに通う男と元妻、長男、別れる直前に授かった生まれたばかりの子供との間で不器用に葛藤するという筋書きは同様だ。ロワの演出の特徴である、登場人物に寄り添い、時に彼らとともに運動するカメラの動きはカサヴェテスを思わせ、彼らの間に生まれる激しい感情、苦悩、痛み、幸福な瞬間までをも強く現前させることに成功している。ここまで正確な俳優の演出に長けた若手作家は稀有にも関わらず、コンペティションのない公式部門で上映されるのは残念でならない。

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エマニュエル・マール『RIEN À FOUTRE』

 批評家週間のコンペティションに『RIEN À FOUTRE(ZERO FUCKS GIVEN)』がセレクションされたエマニュエル・マールにとって、最初の大きな転機となったのは、短編『サマーフィルム(Le Film de l' été)』(2016) だ。この作品は、世界最大級の短編国際映画祭クレルモンフェランの国内コンペティションでグランプリを獲得し、2017年にジャン・ヴィゴ賞を受賞した。映画監督を続けることを諦めた男と偶然が重なってしばし預かることになった友人の子供とのバカンスのひととき、変わっていく風景、そこでのいくつかの小さな他愛もない出来事の集積は、確実に二人の間に生きた時間があったのだと信じさせてくれる。そして、ロカルノ国際映画祭の短編部門で大賞を受賞した『D'un chateau l'autre (Castle to castle) 』(2018) は、パリのビジネススクールに入学した主人公ピエールが、2017年の大統領選、右派と左派のキャンペーンに立ち会うシーンから始まる。彼は、パリ郊外の年配の女性の家の一部屋を彼女の日常生活の世話をする代わりに少額の家賃で間借りしているのだが、この女性であり3人の子供はマールを含めた彼の家族が演じている。選挙のシーンは現代のフランス映画にありがちな社会的な意味に寄与するのではなく、不安定な状況下における世界の大きな渦、変化の中に取り残された孤独を強化するために機能している。
 彼の作品の大きな特徴となる現実にフィクションを介入させる演出やキャスティング、携帯や手持ちカメラで撮影されたフォーマットの異なる映像の挿入といった初長編に繋がるスタイルの萌芽は、ここで見出すことができるだろう。そして初長編『RIEN À FOUTRE』では、2013年カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞し注目された、アブデラティフ・ケシシュ監督『アデル、ブルーは熱い色』(2013)のアデル・エグザルホプロスを主演に迎えている。ローコストの航空会社の客室乗務員としての日常は、機械的な動作と言葉の反復だ。安全確認、お決まりのセリフ、飲食&機内販売サービスのルーティーン、、、その中で感情を押し殺せない瞬間をどう生きるか、他者に対して人間的であり続けられるかが問われるのだ。エグザルホプロスの、一つひとつの動作のディテール、眼差し、感情をあらわにすることなく、ためらいながら発する言葉一つひとつが見せるささやかな世界への抵抗の瞬間に涙せずにはいられない。私たちの立っている世界の不確かさを結晶化した、この作品の演出の繊細さは決して弱さではない。

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ヴァンサン・ル・ポール『BRUNO REIDAL, CONFESSION OF A MURDERER』

 ヴァンサン・ル・ポールは、ドキュメンタリーと実験映画から映画制作を始め、初のフィクション、モノクロによるゴシックホラーの中編『Le Gouffre』で2016年にジャン・ヴィゴ賞を受賞した監督だ。初長編『BRUNO REIDAL, CONFESSION OF A MURDERER』は、20世紀初頭、実在した人物、ブルーノ・レイダの手記にインスピレーションを受けている。農家出身の17歳の神学生、ブルーノが12歳の少年の首を切断し殺害した罪で逮捕されたシーンから始まり、独白形式で物語は幼少時代から遡行する形で語られていく。彼の行為を裁く、あるいはその動機の解明は、この作品が目指すところではない。彼が自身の欲望にどのように対峙し、葛藤してきたのかを、彼の視点と言葉で時系列に語っていく。
 低予算にも関わらず、事前の詳細な調査による時代考証、相応しいロケーション、巧妙な光の演出は、私たちを1905年に誘うことだろう。三つの時間軸にいる主人公を演じるそれぞれの年齢の俳優はまさに映画的な顔であり、凄まじい存在感を放っている。とりわけ、17歳のブルーノ・レイダを演じたディミトリ・ドレは、大きな発見であり、本作は今年のカンヌで、もっとも強烈なオリジナリティーを持つ「演出」の映画と言えるだろう。

カンヌ国際映画祭公式サイト