『ミッドナイト・トラベラー』ハッサン・ファジリ
千浦僚
[ cinema ]
『ミッドナイト・トラベラー』は、アフガニスタンを脱出した映画監督一家がその逃避行、流浪を撮影したドキュメンタリー映画だ。
2015年、アフガニスタンの映像作家ハッサン・ファジリ氏が制作したドキュメンタリーが国営放送で放送されると、タリバンはその内容に憤慨。出演した男性を殺害し、監督したファジリ氏にも死刑を宣告。ファジリ氏は、妻で同じく映像作家のファティマ・フサイニさんとふたりの娘ナルギス、ザフラと共に安住の地を求めてアフガニスタンを離れ、難民となってさすらう。
ファジリ一家は、タジキスタン、トルコ、ブルガリア、セルビア、ハンガリー、ドイツを5600km移動し、3年近くの難民生活を送るがその過程をスマートフォンによって撮影した。各国の協力者に撮影映像が記録されたSDカードを預けて保管してもらいながら、300時間以上の映像素材を生み出し、そこから87分の本作を作り上げた。
本作は、この2021年のアフガニスタンからの米軍撤退とタリバンによる政権奪取以前の出来事を描きながら、それを予見するかのようなドキュメンタリーとなっている。もっとも、アフガン離脱以降は主題が難民の実情を表すものとなるが。
流浪が始まる時点で、回想のように挿入される、ファジリ氏とごく親しい、良心的で好ましい人柄の人物が、アフガニスタンの政治腐敗に憤るあまりタリバンに参加したこと、ある日その友人からファジリ氏がタリバンに要注意人物として狙われているから逃げろという密告が来ること、窮地を救いつつも彼は「上官に命令されれば、もう私は次にはきみを害してしまうかもしれない」と告げる、後に彼はその件ではないが投獄され獄死した、という逸話などは、進行中の恐怖政治と粛清のなかを生きる市民の生々しい姿を表している。
監督のファジリ氏に娘がふたりいることも、タリバン支配が強まるアフガンを離れる強い動機となったことは疑いがない。
まったくの余談だが、ファジリ氏の上の娘さんの名前「ナルギス」を、私はインド映画の大女優、『放浪者』(51年)などのラージ・カプール作品のヒロインを務めたナルギスと同じものだと思い、親しみを感じた。ナルギス、はおそらくナルキッソスとも語源の由来を同じくする、ペルシャ語の「水仙」のことだ。女優ナルギスはムスリムだったがキャリア途中でヒンドゥー教に改宗した。イスラム文化に関する私の断片的で些末な知識はインド映画への関心に由来するものが多い。
このドキュメンタリー中のナルギスは、車中泊、野宿、難民キャンプ泊を繰り返す生活のなかにありながら活発さを失わない10歳~ローティーンであり、初めて見る海と波に「水が怒ってる!」と興奮し、スマホで見るYoutube のマイケル・ジャクソン「ブラック・オア・ホワイト」でダンスする。ファジリ氏が守りたいのはそのような彼女の自由と未来だろう。現在国際社会が注目するタリバン政権下における女性の権利にも関わる問題が、自然に、血肉化された日常のこととして本作中に散見される。
難民キャンプのなかで将来について会話するファジリ母娘が、「将来チャドル(頭と肩を覆う頭巾。イスラム教女性の服装規定)をつけるかどうか」についてやりとりする一幕もある。母のファティマさんは自身も映像作家、女優であり、タリバンに閉鎖されるまでは夫とともにカルチャースポット的なカフェを運営していた方で、夫とも激しくケンカし、道中の多くの映像素材を撮影もしており(監督ファジリ氏自身が映っているパートが多くある)本作における監督と対等な共作者で、西欧的な教養と感性を身につけて自由に振舞っているが、常にチャドルは着けている。
そのように、厳しいイスラム教徒ではないが否定もせず、その規範に従っているイスラム文化圏の人々の実像も本作から垣間見られる。序盤に、ファジリ氏は一族代々、自分の兄弟も皆が宗教指導者で、それに馴染めなくて映像作家になった、と自分語りするのに、後半、ある難民キャンプでは人々に請われたらしく、その素養から流暢にイスラム教的な講和をやり、ファティマさんに、「普段祈るわけでもないし、そうゆうの嫌ってたのに結構熱心で本気だったし、おかしなものね......」、と言われたりする。
恐らく、イスラム原理主義がもたらすネガティブさに対して名誉回復とレジスタンスを行なっているのはそういう世界中のささやかな、ゆるふわイスラムなのだろうとも感じた。
一家は、やむをえず移動の一部分では密航業者の仲介を受けたり、手っ取り早い非合法的な入国の誘惑に耐えて、合法的な入国手続きを経るための待機で難民キャンプや収容所で数百日を過ごす。それを当事者が、内側から、その目線その主観、衝迫力で撮影・提示することも本作の興味深さ、凄さだ。そこから伝わってくるものは、現在国際社会から非難を受ける日本での難民認定の狭量さ、最近注目を浴びている名古屋入管でのスリランカ人女性の死亡事件に代表される本邦の出入国管理庁の非人道的な対応に接続し、再考の契機となる。
スマートフォンで撮られた、その撮影に始まりも終わりもないような映像断片の集積はジョナス・メカスの映画を思い起させる。その美学に近い、小さなカメラのみが撮影しうる温もりと安らぎに幾度も遭遇する。息を切らせて走る国境越えのような、ドラマチックな盛り上がりもあるが、こまごまとした日常の一コマやブツ撮りがそれと並置される。
だが、良いものばかりではなく、映像に憑かれた人間の魔もある。監督は難民キャンプのなかで、下の娘がふといなくなったときに、その頃起きた少女強姦殺人事件を連想し、戦慄する。そこから彼は、俺は撮影しながら捜索をすべきだろうか、そうしてもし娘が殺されていたなら俺はある意味すごい画を撮れるぞ、と考える(ナレーションで語られる)。これは彼がこの旅のなかで難民移民排斥の暴力に幾度も直面していたことと、それに抗う手段が撮影であり、はっきりと見せるときのことまで考えていることを表す。実際撮ったのか撮らなかったのか、娘の死体を探して森を歩くカットはない。星のない夜空が映るのみ。そういうセンス、魔を知り、それとも闘うことを信頼する。娘も死んでいない。彼らは生き延びてこの記録を残した。それはとりあえずの、ギリギリの、確固たる勝利だ。