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September 13, 2021

第78回ヴェネチア国際映画祭 山下つぼみ監督インタビュー《前編》

[ cinema , interview ]

yamashita_the_last_day_0.jpeg第78回ヴェネチア国際映画祭、オリゾンティ部門の短編コンペティションに、山下つぼみ監督の新作『かの山』がノミネートされた。
複数の短編を制作しながらも、まだ私たちにとって未知の若手監督である彼女に、ここに至るまでの道のり、新作に込められた思いを伺った。

*インタヴューは前編、後編に分けてお送りします






ーー『かの山』に至るまでの映像、あるいは映画との関係を教えていただけますか?

山下つぼみ 子供の頃から、映画は現実逃避の手段、あるいは、人生勉強になったり、私にとって特別な存在でした。家族で映画に行くことも度々あり、上映後に感想を話し合った団欒の場はとても良い思い出です。アートに関心はあったのですが、将来を考えて人体解剖学や環境学、遺伝子学、進化学を、アメリカのユタ州のウェバー州立大学で学びました。この州は、モルモン教徒が多く、宗教を基盤にした価値観の元に生きていて、非常に保守的な地域です。進化学の授業で「アダムとイブから我々は生まれたのではないか。進化学は嘘ではないか」という質問が出るような自分にとって異質な世界で、居心地の悪い思いをしていました。そんな中、年に1回開催されるサンダンス映画祭の時、外部から人がやって来ることで、ユタ州にはない価値観が街に入って来たので救われる思いでした。その時期だけはユタが過ごしやすい州になったように感じました。同時に、舞台挨拶をする監督たちを前にして、彼らもまた、自分と同じように手足のある人間である事実に衝撃を受けました。夢の世界にいると思っていた人たちが現実に存在していることを知り、いつか私も映画を撮れるかもしれないと思い始めたのです。大学修了後、縁あってTVドキュメンタリーの制作会社にアシスタントとして入社しました。当時、是枝裕和監督がドキュメンタリー制作会社に所属していたので、映画制作への道が開けることを期待していたのですが、難しいことがすぐにわかりました。ある程度ディレクターとして働いた後、入社3年後に会社を辞めて、短編『小太郎』(2003)を見様見真似で制作します。創作の過程があまりにも辛く、映画制作への志が折れそうになっていたのですが、水戸短編映画祭にノミネートしたのをきっかけになり、テレビ番組の仕事をしつつ、短編の制作を続けることにしました。2011年には、文化庁委託事業で、プロの映画スタッフと短編映画を作る機会を得ましたが、自身の映画についての知識のなさを実感するとともに、プロの世界の映画の考えとの違いに戸惑いました。
 その後、映画についての本を読んだり、多くの名作を見て作品を分析し考える癖をつけるようにし、少しずつですが、以前と違った目線で映画を楽しめるようになりました。その折にジョナス・メカス監督『リトアニアへの旅の追憶』(1972)を見て、衝撃を受けます。自分が今まで見たことのない映画で、感情を強く揺さぶられ、自分が考えていた映画という概念がとても小さいものだと気付いたんです。それまで、映画とは起承転結があり、画角もしっかり決めて撮影する、ある種の客観性というか、観客へ寄り添うものだと思っていました。一方で、『リトアニアの旅の追憶』は、主観的で、台詞も説明的なナレーションもなく、独白と詩で構成されていました。言葉を追うのではなく、独白と映像の間にある行間に目を向けると、主題の切実さであり、メカスだからこそ表現できる作品になっていることに驚きました。物語がないにも関わらず、どうしてこんなに感動させることができるのか、今でも考え続けています。ちょうどその当時、俳人の夫婦についてのドキュメンタリーをちょうど撮影していました。「五・七・五」という少ない文字に宇宙や歴史さえも包含する力があることを学んでいたところだったので、メカスの作品に共通する、行間の可能性に興味を持ったのだと思います。しかし、どのように撮ればそれが実現できるのかははっきりとわからず、それを模索しながら『かの山』の脚本を書きました。最初は自分でカメラも回そうと考えていて、iPhoneを固定して撮影するつもりでいました。ですが当時偶然知り合いを介して、今回撮影を担当した長谷川友美さんに出会いました。彼女に作品について話したところ、撮影を引き受けてくれると仰ってくださり、それならば役者も、と企画が展開していきました。

ーーフィルモグラフィ全体を見渡すと「羨望」とそれに伴う「欠如」が、常に主題になっています。たとえば、『小太郎』では、理想の男性であり、『かみきれいちまい』(2010)では、結婚、『かの山』では、子供がそれに当たります。この主題を選択した理由は何なんでしょうか?

山下 恥ずかしいのですが、恐らく、私自身が主題に投影されているからだと思います。太宰治が「自分の恥部を曝け出すことが小説を書く上で一番大切なこと」と言っているように、作品としてそれを昇華しようとしている面もあります。私自身、何か「欠如」を感じた時に制作意欲が湧いてくるように感じています。どう処理していいかわからない感情を作品として形にしているのではないかと。同時に、「羨望」も「欠如」は、多くの人にとってもある種、行動の動機となっているように見えます。他者の行動の裏には常にその二つがある。それを考えると、目の前にいる人物が、一体どういう家庭環境で育った人なのか、どんな人生を歩んで来たのか、とても想像力を掻き立てられます。私はある人の背後にある歴史を想像するのがとても好きなんです。想像すればするほど、相手との共通点を発見したり、その人への感情が湧いて来ます。その好奇心によって感情が揺さぶられれば揺さぶられるほど、映像制作のモチベーションになっている気がしています。

ーータイトル『かの山』には、どのような意味があるのでしょうか?

山下 『かの山』というタイトルは「ふるさと」という童謡の歌詞から来ています。この童謡は、心が許せる家族と過ごした愛おしい景色を描いています。『かの山』の主人公である妻は、夫と歌詞にあるような「故郷」を一緒に作ろうと思って結婚し、生活してきました。しかし、二人の関係は壊れてしまい、思い描いていた「故郷」はすでになく、遠い存在です。かつて過ごした「故郷」を思い、もしかしたら存在するかもしれない世界の景色を歌詞に重ね合わせました。正直に言うと、歌詞のどの部分を抜粋しても良かったのかもしれないです。ですが、主人公が冒頭のシーンで縫っているぬいぐるみがウサギで、二人が最後に見た景色が山であったこともあり、『かの山』という言葉が一番しっくり来て、最終的にこのタイトルに決めました。英語タイトルは、「The Last day」となっています。『かの山』に呼応する英語タイトルを思いつくことができませんでした。ただ、ヴェネチアではほとんどの人が英語タイトルではなく、カノヤマと発音してくれるので内心ホッとしています。(後編につづく)

聞き手・構成=槻舘南菜子
第78回ヴェネツィア国際映画祭にて


MomiYamashita_Director.png山下つぼみ(やました・つぼみ)
映像ディレクター/映像作家。1995年から5年間、アメリカユタ州の大学で動物学を専攻し、人体解剖学、進化学を中心に学ぶ。帰国後はテレビ制作会社に入社。その後、フリーの映像ディレクターとして、NHKドキュメンタリー番組を中心に数々の番組を手がけた。同時に自主映画も製作、現在まで短編映画5作品を監督し、国内外映画祭に入選。現在は、子育てをしながら短編映画の自主製作や長編映画脚本の開発、企業CMやwebを軸とした複数のプロジェクトを推進している。










yamashita_the_last_day_0.jpeg『かの山』
2021/日本/19分
製作・監督・脚本:山下つぼみ
撮影:長谷川友美
音楽:中野徳子
サウンドデザイナー:桑原秀綱
出演:山田真歩、カトウシンスケ
東京から南に離れた小さな町「逗子」に住む、ある離婚した夫婦の最後の日。妻が最後の日をやり過ごそうとするなか、夫は妻を散歩に誘う。何も言わずに別々に歩いていた二人だが、最後の一日を良いものにしようという気持ちを共有し始める。しかし、距離を縮めれば縮めるほど、二人の関係はすでに終わっていることに気づく。