October 15, 2021
「47KM」シリーズの9本目。この村を撮影するようになって10年になろうとするという。連作シリーズのいいところは、撮る対象(人、村)が年を経るごとに少しずつ変わっていっていくことと、作品の作り方もまた少しずつ変わっていくところにある。だから、そもそも何本目が良いと言うことはナンセンスであり、1本1本が比較対象となるものではない。 『自画像:47KMのおとぎばなし』の中で起きている、この村の大きな...
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前回の映画祭で上映された、ミコ・レベレザ監督『ノー・データ・プラン』はなんとも孤独な空気を纏った映画として記憶に留まっている。アメリカ西海岸から大陸を横断する列車に乗っている場面がほとんどなのだが、その旅の道中カメラはいつも横に流れていく窓の外を映し出し、時々その情景に対するコメントがナレーションとして重なってゆく。他の乗客と交流するわけでもなく、何ひとつ出来事らしい出来事は起こらない。後に、監...
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冒頭から次々とコラージュされていく写真やフィルム、それからテレビ映像などによるフッテージ。しかしそれらがモロッコの過去を捉えた断片であることはわかるものの、どういった基準の下に抜粋された映像なのか、あるいはコラージュによってどんな効果がもたらされるのかに最初は戸惑ってしまう。しかも本編の語り主のひとりであるアブデラジズ・トリバクは、なぜ動画ではなく静止画や声だけでしか登場しないのか。ただしそのこ...
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October 13, 2021
『ミゲルの戦争』(エリアーン・ラヘブ)は豊かな映像表現と複雑なナラティブを持つ。1975年から1990年にかけて起きたレバノン内戦と内的な葛藤という"戦争"を4つのパートで分けた主人公ミゲルの半生は、監督によるシンプルなインタビューシーンの他、写真やイラストのコラージュ、再現演劇とそのためのオーディション風景などで彩られるが、次第に浮き彫りにされてゆくのは、これは実話ではなくミゲル自身が語りたい...
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October 12, 2021
逃亡犯条例改正反対運動で香港理工大に立てこもる学生らと香港当局が熾烈な衝突を繰り返した2019年11月に迫る『理大囲城』(香港ドキュメンタリー映画工作者)のカメラは、肉薄する、という言葉が陳腐なほど、危険な瞬間や応酬を幾度もさらけ出す。その一方で、クレジットされているとおり、この映画の撮り手は匿名だ。映される若者たちは一様に防毒マスクで顔を隠し、モザイクで加工もされるなどの保護もなされている。だ...
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October 11, 2021
今回の山形国際ドキュメンタリー映画祭はオンライン開催となった。結果、いつものように一日中、映画祭に参加するというのが難しい。今回、日記の方は荒井南さんにお任せして、私の方は作品評という形で参加したいと思う。 『ルオルオの怖れ』はタイトルの通り、本作品の監督であるルオルオのコロナウィルスへの怖れが描かれているのだと、とりあえず言うことができるだろうか。コロナウィルスが報道された2020年の1月から...
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October 9, 2021
山形国際ドキュメンタリー映画祭は、今年はオンラインでの作品上映となった。映画祭につきものの「何本鑑賞できるのか?」に加え、暗がりで観ることに慣れ切った体がオンライン視聴に集中できるのかも気にかかる。とはいえ、開催されたことが喜ばしい。 テキストが書かれた透明なスライドがテーブルの上に置かれ、我々に示される。そのささやかに滑るような音が、かえって耳に残る。16mmで撮影された、なめらかな映像も感...
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