『東洋の魔女』ジュリアン・ファロ
板井仁
[ cinema ]
高下駄を履き大きな棍棒を持つ侍は、何ものかによる「助けて」という声を聞きつけて画面外へと駆けていくのだが、そのとき画面はおどろおどろしい太鼓の音とともに右へと半回転する。襖を蹴飛ばして部屋へ押し入ると、蜘蛛の巣の下、美しい女性がロープに縛られている。駆けつけた侍がそのロープをほどきはじめると、女性は恐ろしい姿へと変化し、腕をぐるぐると回す魔術によって侍の目を回し、眠らせてしまう。映画の冒頭を飾るこのアニメーションは、魔須田和光『塙団右衛門 化物退治の巻』(1935)の一部であるが、ここで登場する回転あるいは魔術のモチーフは、「回転レシーブ」によって勝利を手にした「東洋の魔女」へと結びつけられる。
1960年代において圧倒的な強さを見せ、ヨーロッパのメディアから「東洋の魔女」と形容されたという大日本紡績貝塚工場のバレーボールチームに関するドキュメンタリー『東洋の魔女』は、彼女たちの活躍と、戦争からの復興を目論む戦後日本との関係を、アクロバティックな編集によって明らかにする。ジュリアン・ファロ監督は、現在の選手たちへインタビューを行い、アニメ『アタックNo.1』や当時の日本の映像を使用しながら、ポップな編集によって「東洋の魔女」のイメージを転回させ、彼女たちの魔術の内実を解きあかす。西洋がバレーボール日本代表を「東洋の魔女」と名指すときに生産されるのは、東洋を非西洋として他者化する人種差別的な身体表象であり、たとえばそこに含意されるのは、西洋/東洋、知性/身体、技術/魔術という対立である。しかし日本のメディアは、ヨーロッパから名指されたこの言葉をあえて肯定的に使用することによって、「東洋の魔女」を集団的なアイデンティティ獲得の鍵とするのである。
映画の序盤、テンポのよい編集とシンメトリックな構図によって構成される練習風景は、渋谷昶子による短編『挑戦』(1963)から抜粋されたものであるが、そこで懸命に練習する彼女たちの動きは、紡績機械の動きと重ねられ、あたかも機械じかけのように正確に展開されていく。この正確さは、日々の過酷な練習によって選手たちそれぞれの身体が集団の一部として機械的に機能するよう織りなされたものである。インタビューによると、「鬼の大松」と呼ばれた大松博文監督の虐待的な練習は強制的なものではなく、むしろ選手たち自らが進んで受容していたものだったという。
そうした発言を用いることは、抑圧するものたちの言説を迎合するものとして響きうるかも知れない。しかし注意すべきは、被抑圧者である選手たちが、もし金メダルを獲れなかったら「もう日本には住めない」と感じるほどのプレッシャーにさらされていたことをも語っていることだ。国家の栄誉のためにさらされる圧力は、困難を美的なものへと変化させる。むしろ魔術は、選手たち自身に、ひいては日本社会全体にかけられていたのではないか。この魔術とはすなわち、自己犠牲や集団への奉仕を美化する強烈な法であり、労苦こそが価値を生産するのだという思い込みである。われわれ侍たちは、「助けて」という叫声が響きわたるグロテスクな共同体に美を見出していたのである。
映画の中盤、東京オリンピックの聖火が原爆投下後のキノコ雲や焼け野原へと結びつけられることで、戦争とそれらの構造的な同一性が示唆される。大戦後の瓦礫の街は、基盤となる労働者たちのあらゆる産業労働によって次第に再建され、やがて高度経済成長へと到る動力を獲得していく。そこで労働者たちは、あたかも機械の部品のように巨大な装置へと組み込まれている。「落ちてもコロンとダルマはひっくり返ってまた起き上がってきますよね」、回転する、海岸沿いに建てられた煙を吐き出す工場のフッテージ――それは漁業といった第一次産業からの転回でもある――は、彼女たちの一人が「回転レシーブ」について語るインタビューに重ねられる。日紡バレーボールチームの活躍、ダルマのように何度も立ち上がる「回転レシーブ」は、戦後の焼け野原からの復興を目指す日本の資本主義発達の鍵となった奴隷的な労働と結びつけられている。戦争によってチームメイトのほとんどが親を失っている「東洋の魔女」は、元首を失った日本において国民と国家とを一つに縫合させる存在としてのみならず、世界にたいする日本のイメージを「コロンと」転回させる存在としてあった。1964年の成功体験は、現在でもなお日本の集合的記憶としてのこりつづけている。