『仕事と日(塩谷の谷間で)』C.W.ウィンター&アンダース・エドストローム
秦宗平
[ cinema ]
『仕事と日(塩谷の谷間で)』はフィクションであると、監督自身があえて宣言し、観客もそれに続くことは、フィクションとドキュメンタリーに関するさみしい議論を繰り返させはしない。さらには、そのような区分の境界を露呈させながら、偶発的にやって来るものとあらかじめ準備されたもの、演じられる「現在」とたしかにそこにあった「記憶」―相反するかに見えるさまざまな事柄が一枚岩となって形づくる場所こそ映画である、映画は映画であるという再認識にとどまるものでもないだろう。勇気をもって、この作品への愛情をこう語りたい。映画史上もっとも親密に、死者が演じられ、時を越えて死者を囲み、土地と人間を真摯に見つめた作品の一つであると。
すべての登場人物が畏怖すべき存在に感じられる。それはひとえに、俳優が示した役柄との距離のとり方、監督が塩谷で積み重ねた時間が、複雑さと単純さを同時にきわめてしまったからだと思う。
本人役を演じたタヨコさんを義理の母親にもち、二十年以上にわたり京都の山間・塩谷を撮影しつづけた監督の一人で写真家のアンダース・エドストロームは、訪問者であり、土地の人間ともなる。塩谷の住人と親族の訪問者のほとんどが本人役を演じ、二人の著名な職業俳優が、饒舌な友人=亡霊と無言の隣人=亡霊をそれぞれ演じている。そして、タヨコさんの亡き夫であるジュンジさんは、幼馴染の友人によって演じられている。
ジュンジさんに向き合い、話しかけ、夫のいないところで一人佇むタヨコさんは、率直に言って、映画の表皮をどんどん剝がす「ドラマ」を生み出していた。その最たるものは、たとえば、夫の死を覚悟した日記につづく轟音が、ミストサウナを浴びるタヨコさんに猛々しくつながる場面である。後半、持続するショットの長さを保ってきた映画が急激に加速しはじめ、最初にカメラが止まったのは、いつもの介護ベッドの横に座るタヨコさんだった。薬を飲んでほしいと頼むと、ジュンジさんが起き上がる。夫がベッドサイドの妻の前で上体を起こし正対するのは、この一度きりだったのではないか。
地形、天候、空の色。農地とくずれかけた格子。くすんだ窓や襖と、漏れ聞こえる人の声。白い敷き物の上に置かれた、汚れた道具の数々。えんじ色の定期バスと小さな電灯一つの暗い夜道。家族の写真アルバムと白馬の画集。もの言わぬ人間と、木々や作物の擦れるざわめき...(タヨコさんは草木を「生きているみたいだね」と言った)。共同監督のC.W.ウィンターはインタビューで、美しくて面白い観光のような、ありふれた観察を超えて、自分たちは学び、耳を傾け、土地を深く「知る」に至ったという趣旨で答えている。
即物的なショットからも、塩谷に繰り返し注いできた撮影者の親密なまなざしと人々から聞き伝えられてきた思い出話、写されるものに堆積する歴史があるからこそ、事物がやさしく、時にきびしく掬い上げられる。長い、長い作業と時間(works and days)が、演じられる死者と彼に寄り添う家族を囲み、驚くべきフィクションを支える強固な素地となった。
少し別の話にはなるけれど、フィクションとしての強烈な引力をみなぎらせるいくつもの場面も、やはり振り返る誘惑にかられてしまう。例をあげればキリがない。また、タヨコさんの日記でふれられる『東京物語』、ピエロ役を引き受けてきたヒロハルさんが突如、『捜索者』のジョン・ウェインと化す場面から、小津安二郎とジョン・フォードの名前を想起することも無理からぬことだと思う(「関連上映」作品を考えるのも楽しそうだ)。観客がそれぞれにこの映画と結ぶ関係を想像すると、胸が躍りだす。