『パリ1900年』ニコル・ヴェドレス
川瀬恵介
[ cinema ]
C)DR
夜が明ける。陽がオベリスクを、次いでエッフェル塔を照らしパリの街に降り注いでいく。ニコル・ヴェドレスが1909年から1914年のあいだにパリを中心として、フランス各地や諸外国で撮影された700本以上のフィルムを再編集し、ナレーション(クロード・ドゥファン)と音楽(ギイ・ベルナール)を加えて作品化したのが『パリ1900年』(1946)である。冒頭、夜明けのパリにドゥファンの落ち着いた声が「美しい時代だったらしい」と言う。ベル・エポック華やかなパリの記録映画、であることは間違いない。劇中、あちこちでシルクハットを振っては回すファリエール大統領はこの時期のフランスを文字通り代表する、恰幅よく髭を蓄えた好好爺である。大統領は小さな田舎鉄道の開通式に出たり、警視総監と地下鉄を視察したりと産業革命を無事に迎えた国の長として十分かつ悠々とした活躍を見せる。朝市、カーニバル、競馬に移動遊園地といった折々の行事と名所を記録した映像がつながり合って1900年代パリに生きる人々が映し出される。遊覧船バトー・ムーシュからハンカチを振る女たち、カンカン帽を振る男たち。1910年のセーヌ川の氾濫によって水没した街や1912年の日食をオペラ座の前で見上げる群衆の記録がますます時代性を盛り上げる。
ルナールやワイルドといった文人、老ルノワールが筆をとる様子やロダンが厳しい表情でパリを見下ろす姿。サン=サーンスが満ち足りた顔をしてリハーサルを終えるころ、ドビュッシーは観客のブーイングを浴びている。映画よりも演劇の方が人気があった、と語る映画は、美しいサラ・ベルナールの声をも聴かせてくれる。矢継ぎ早に登場する著名人たちは、パリを彩る人名録となっており公開当時には妙齢の観客たちの記憶をくすぐっただろうし100年後の観客である私たちには新鮮な驚きがもたらされる。なるほど、ベル・エポックとはこういうことか。
それだけではない。素人目にも一級の風俗史料であるし、遠い親戚の古いアルバムのように眺めたとしても退屈しない。だが、『パリ1900年』の中で起こっていることは、もう少し探究心の強いものである。たとえば女性のマナーや服装の変化についてのシーンでは、コルセットの廃止が伝えられると、次にはホッケーに興じる「スポーツウーマン」や、鉄道を運転し馬車を駆る女性たちが登場する。対して男性の服装の変化については取り上げられることはなく、代わって街角の公衆トイレに出入りする紳士たちのロングショットが挿入されたりする。パリの暑さを避けてノルマンディーの海で涼む人々を映したかと思うと、丸太を肩に当てて綱取りのウィンチを回す男女に切り替わり「船乗りたちの1日は終わらない。閑散とした冬もここに暮らす地元住民も同じだ」と声が語る。『パリ1900年』には美しき良き時代の華やかなパリジャン/ジェンヌだけがいるのではない。その華やかさが通り過ぎていく生活を映すことに心が向けられている。そうした生活は、むろんパリ市内にもひしめいていたはずなのだ。
物価の上昇と貧困が、パリの中に場所となって現れる。舗装されていない道のうえに、着飾っていた人々とは異なる装いをしたパリジャン/ジェンヌが暮らしている。貧困の状況をパリ市の役人たちが視察に来る。ステッキをつき山高帽をかぶった紳士たちは、貧民街からの帰途ふざけ合うようにしながら、一つの結論を出す。「役人たちは遺体安置所の新設を決めた」。画面には誰かの葬列が進んでいく。留まることのない産業に飲み込まれる労働者たち。「行動し、時に行動せず」。パリを行進する労働者たちは亡くなったスト参加者の葬列と重なって黒々としている。社会主義者で下院議員のジョレスが黒い流れの中にいる。
ベル・エポック、美しい時代。『パリ1900年』はその礼賛ではない。むしろ1911年生まれのヴェドレスは、美しいだけだったのか、美しい時代がどうなっていくのか、と問うている。遠くなっていく時代を写したフィルムを呼び出して、それを批判的につなぎなおすこと、つまり映画にのみできる形式で過去を考えることにその力は込められている。
終盤、ある仕立職人が空飛ぶ服なるものを考案しエッフェル塔からの降下実験を行うシーンがある。男はぶよぶよとした自身の発明品を身にまとい欄干に足をかけ、タイミングを計りはじめる。ぐっと乗り出して男は飛び出す。エッフェル塔の脚の緩い山形のあいだから、男はなんの工夫もなく落ちていき地面に叩きつけられる。このシーンから映画の焦点は絞られていく。好好爺ファリエールは退任し、新大統領ポワンカレが登場する。隣国ではヴィルヘルム2世が軍人たちと満足げに写真に収まる。黒煙をあげる戦艦たち。そしてパリの陽が落ちる。ふたたび夜が明けると、男たちが列車にぎゅうぎゅうと乗り込み、キャスケットを振りながら駅を後にする。美しいパリを残して、列車は走り去っていく。ホームにハンカチを振りかえすものはいない。