『ドン・カルロスのために』ミュジドラ&ジャック・ラセーヌ
井上千紗都
[ cinema ]
この作品はスペインの王位継承権を巡って勃発したカウリスタ戦争を題材とした作品ではあるが、中心に描かれているのは歴史的出来事ではなく、ミュジドラ演じるアレグリアというキャラクターと周囲の人間模様である。アレグリアは副知事を務めており、幼いときから兵士たちに囲まれて育ってきたという環境もあってか、男性社会でも物怖じせずに堂々とした態度で振舞う人物である。しかしそんな勝気で勇ましい彼女にも、繊細で愛情深い側面があることが徐々に明らかになる。アレグリアの見せるさまざまな「顔」こそが、この作品の一番の魅力と言っても過言ではないだろう。
アレグリアは登場してもしばらく後ろ姿しか映されず、なかなかその顔が明らかにされない。初めて彼女の顔をはっきり確認できるのは、若い役人のド・プルネストと対面したときである。アレグリアの顔をなかなか映さないという演出からも、彼女の持つ「顔」の豊かさが作品の中核であると察することができる。最初の「顔」では、アレグリアの威厳を強く感じられる。ド・プルネストをまじまじと見つめるアレグリアの後ろには、将軍らしき男性の胸像がある。この胸像は彼女の威厳や気高さを強調するのに役立っている。例えば、メイプールという青年が彼女を攻撃しようと銃弾を放つが、それを彼女の代わりに胸像が受けるのだ。一方のアレグリアは平然とした態度で、肩に落ちてきた彫刻の欠片を払うだけである。胸像の前にたたずむ彼女は彼らと話す際に顎で指示するような仕草をしており、彼女の高飛車な性格を感じとることができるだろう。また、ド・プルネストがアレグリアに向かって机の上の置物を投げようとするが、彼女の鋭い眼差しに負けてその手を下ろすほど、彼女の圧力には太刀打ちできない。
一方でド・プルネストの婚約者であるリュシールといるときのアレグリアは、リラックスした柔和な表情を浮かべている。リュシールの親友または姉のように接することで、リ彼女を味方につけるというアレグリアの策略なのである。その結果、リュシールはアレグリアをすっかり尊敬して彼女とともに行動をするまでになる。リュシールが去った後にアレグリアはド・プルネストと会うが、初対面のときのような威圧感を放つことはない。それどころか、自信喪失しているド・プルネストに寄り添って叱咤激励する。ただすぐに彼と距離を置き、自分の中に芽生えた感情を抑えようと取り乱した様子を見せるのだ。アレグリアの「顔」が変わるさまを我々は目の当たりにすることとなる。
アレグリアは愛する人のために強硬手段に出ることを決意する。心を決めたアレグリアの堂々と強迫する姿勢と鬼気迫る静かな訴えというのは、限界の状態に追い込まれている彼女の本性なのではないか。アレグリアはヒリメル旅団長を誘惑して騙す。彼女は背後からナイフをこっそりと出して、ほくそ笑みながら後ずさりをしてフレームアウトする。何も知らないヒリメルはゆっくりと彼女に近づいていく。迫りくるヒリメルを前にしたアレグリアは急に怖気づいてしまう。アレグリアのしたたかさは瞬時にして消え、彼女の新しい側面をここで見出すこととなる。アレグリアは天性の策略家であり、目的のためには手段を選ばないことには変わりない。しかしこのときの彼女は、大きな犠牲を払って恐怖心と闘いながら一人で立ち向かっているのだ。彼女のその犠牲というのは、愛する人への献身的な愛ゆえにできたことである。覚悟を決めたアレグリアの真っ直ぐな眼差しは、ド・プルネストに初めて向けたそれとは全く異なるものである。
また、アレグリアの格好の変化にも注目したい。それは彼女のさまざまな「顔」と連携するものだからである。最初の登場時のアレグリアの格好は男装であった。彼女の威厳や権力を示し、物怖じしない態度にぴったりである。戦場に赴く際には、動きやすそうでシンプルなデザインのドレスを着ている。リュシールをパーティーに送り出す際には、裾の広がったシックなドレスを纏っている。このとき、彼女はド・プルネストに対して恋心を抱いていることに気付く。彼女にとって最もロマンティックな瞬間が訪れ、心がかき乱されているのだ。そして戦争が終わると、アレグリアはボサボサの髪のやつれた格好で登場する。最も取り繕っていないこの格好のときこそ、彼女は素や本音をさらけ出すこととなる。体裁や自分の立場を気にすることなく、愛する人のために果敢に闘い身を捧げるのだから。副知事として威厳を保ちながら感情をあまり表に出すことがなかったアレグリアが、他者のために感情豊かに立ち回ることになったのだ。
男性社会で強く生きる女性に一見見えるアレグリアは、強くならざるをえなかったのだろう。アレグリアという女性が自分自身でそういったキャラクターを演じている部分があるように感じさせられる。その変身ぶりはアレグリアを演じたミュジドラのある種の魔性の魅力とも言えるだろう。