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March 19, 2022

《第17回大阪アジアン映画祭》『北新宿2055』宮崎大祐/『めちゃくちゃな日』チャオ・ダンヤン(趙丹陽)/『姉ちゃん』パン・カーイン(潘客印)
佐竹佑海

[ cinema ]

 異なる映画の中にそれぞれが繋がりを見出し、上映全体を1本のストーリーとして観ることは、短編プログラムを続けて観る上で大きな楽しみのひとつである。ともすれば、「短編6」のプログラムの中で上映された『北新宿2055』(インディ・フォーラム部門)、『めちゃくちゃな日』(特別注視部門)、『姉ちゃん』(特集企画《台湾:電影ルネッサンス2022》)の3作品からは、自ずと「よそ者」という繋がりをそこに見出すことができるだろう。

ID07_North Shinjuku 2055_main.jpg 『北新宿2055』は2055年の北新宿をめぐる物語であり、とあるジャーナリストが北新宿で暮らすK氏にインタビューを行うことから始まる。全編モノクロ、ほとんどが写真と台詞の音声で構成されており、白黒写真とテープレコーダーの音声による映像は、まるで週刊誌の誌面を彷彿とさせる。北新宿の出身者は政界や警察などに精通した存在であることからも、外で犯罪を犯そうが、メディアにさえ取り上げられないこともしばしば。週刊誌的で信憑性の怪しさを孕む映像は、北新宿の闇を暴こうとするジャーナリストと地元愛のあるK氏との真実をめぐる駆け引きを、誘導しているようにも見えてくるだろう。また「組合」を中心として動く北新宿の人々は愛郷心が非常に強く、彼らにとって北新宿のルールは日本の法よりも重要なものだ。だから引越しなどで部外者が訪れた場合は、それらのルールに則り、穏便なやり方で彼らを追放する。排他的な町だが、一方で外国人も多い。どこの出身かというよりも、北新宿へのリスペクトがあるかどうかが重視される。つまり北新宿のルールに適合しない者は、彼らにとっての「よそ者」なのである。物語が進むにつれ当初は穏やかに見えた取材も、次第に緊張感を増していく。北新宿の危なさが輪郭を持って見えてくると同時に、まぎれもなく「よそ者」のジャーナリストに降りかかる危険を感じずにはいられない。

SL03_An Excessive Day_main.jpg 韓国が舞台の映画『めちゃくちゃな日』においても、ある種のサスペンスが登場する。それは「主人公が未払いの給料を受け取れるのか?」である。ソウは昨日辞めたばかりの職場の店長に電話をかけるが繋がらない。元職場のコンビニへ行くと、そこには中国人の研修中の女の子しかおらず、店長を待つことになる。韓国語にも仕事にも不慣れな彼女を見て、思わず手伝うソウ。実は彼女も中国から韓国に来ており、今日は中国への帰国日なのであった。研修生は中国語を客にからかわれても気づいておらず、「韓国語は難しいからゆっくり学ぶ」と言う。それに対してソウは、「少しでも早く身につけるべきだ」と答える。劇中、彼女は身分証を求められて嫌がるが、それは中国人だとばれるのを恐れてのことだった。彼女たちは、同じ「よそ者」の境遇でありながら、「よそ者」としての意識には差がある。映画の終盤、店に忘れ物をしたソウに対して、研修生は中国語で、道路を挟んで大きな声で話しかける。ソウはそれに韓国語で答える。ソウは自分の中の「よそ者」度合を限りなく下げることで、異国の地を生き抜いてきたのだろう。おそらく韓国に来てから中国人だという理由で辛い目に遭ってきたソウと、こちらに来て4ヶ月で、まだ自分の置かれた状況に気づいていないのかもしれない研修生。2人の物語は、異国で生きる「よそ者」の現在と過去の物語でもある。

TW5_My Sister_main.jpg 3本目の映画『姉ちゃん』も、『めちゃくちゃな日』と同様にアルバイトをする女の子が主人公である。国立大学を志望するチュンは、学費の確保のために予備校のコールセンターで働いている。彼女の弟は姉をからかってばかりの生意気盛りで、いつもリコーダーやらピアノやらを騒がしく弾く。合格発表の前日、彼女は自分が両親の実の娘ではなく養子だと知る。彼女は自分がその一員だと思って生きてきた家庭の中で、実は自分が血縁関係においては「よそ者」だと気が付いてしまうのだ。結局私立の大学に通うことになり、母親は私学の授業料が高いと嘆く。一方、弟の音楽教室にかかるお金は出し惜しみなく支払われていることに対し、自分と弟との違いを考えずにはいられないチュン。しかし大学入学のために彼女が家を出る日、両親は自分に何も告げることなく、チュンの学費を既に支払っていたことを知って涙する。
 とりわけ印象深いのは、最後の場面で家族による見送りが2回行われることにある。最初は、駅の目の前でバイクからチュンを降ろし、ホームへ向かって階段を上る彼女と恋人を弟が先頭に立って見送る。そして2度目の見送りはホームに着いたところで、向かい側のホームから姉を呼ぶ弟と、弟を追って来た両親によって行われる。2人が階段を登り切る前にその場から一度去るものの、家族たちはチュンを最後まで見送るためにわざわざ反対側のホームに回ってきたということだ。先頭に立って見送るのは2回とも弟であり、娘に直接言わずに愛情を示した両親だけでなく、まっすぐ姉にぶつかっていく弟の姿があってこそ、自らを「よそ者」だと感じていたチュンの顔に涙と微笑みが浮かんだのであろう。

第17回大阪アジアン映画祭