監督・青山真治 追悼特集 第二回
[ cinema ]
青山真治は以後にやってきたのだ。フォード以後に、アントニオーニ以後に、レネ以後に、モンテ・ヘルマン以後に、ヴェンダース以後に、そして北野武以後に青山真治はやってきたのだ。彼が生み出しているのは、ポスト・シネマというよりはむしろ、今日、われわれのなじみになってしまったマニエリズムやポスト・マニエリズムの枠の外部にあるすべてのパーツを含んだ「以後」の映画なのである。彼は、すでに倒れたもの、飲み込まれたもの、消え去ったものをすべてはっきりと覚えている。もしこう言ってよければ、彼はそれらの記憶を持っているわけだが、彼がわれわれに与える印象は、もうその影さえもほとんど忘れかけている遥か彼方にあり見ることもできないような亡霊たちの棲む未開の領野をくっきりと描き直しているということだ。(ティエリー・ジュス「青山真治と以後の世界」梅本洋一訳 『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン/映画の21世紀 XV』15〜16頁)
今回は、『EUREKA』で驚きとともに世界に発見された青山真治をかつてこうして映画史に位置付けようとしたティエリー・ジュスの追悼文を掲載する。デプレシャンの親密な追悼文とは異なり、より冷静に、やはりここでも青山真治のフィルモグラフィをどのように映画史に位置付けるか、そのなかでいかに特異な存在であるかが検証されている。さまざまなジャンルを換骨奪胎させながら映画を撮ってきたという指摘は重要だろう。青山真治ほどそれが巧みな映画作家は、少なくとも日本にはいないし、世界でも肩を並べれるような人はもう生きていない。
この追悼文からわかるように『EUREKA』以後の青山真治は世界にどこか戸惑い持ってを受け入れられてしまった側面もあるようだが、『月の砂漠』、『レイクサイド マーダーケース』こそが傑作であることはこれから知らしめていかなくてはならないだろう。やることはまだまだたくさんあるのだ。
第二回は『東京公園』『サッド ヴァケイション』『こおろぎ』までを遡る。
消えることのない痕跡
ティエリー・ジュス
青山真治が57歳という年で亡くなったという知らせを聞いて茫然として、筆舌に尽くしがたいほど悲しんでいる。黒沢清や諏訪敦彦のように、青山は1990年代に頭角を現した日本の映画作家の一世代に属していた。1980年代の日本映画の危機的状況以後、その復興を刻むことになる最初の世代である。さらに黒沢のように、青山は偉大な批評家、教授である蓮實重彦の教え子のひとりだった。蓮實は日本で大変尊敬されている人物であり、小津安二郎についての重要なエッセイの著者であり、この10年間のシネフィリーにおいて青山らの世代のシネフィルたちが映画を思考するにあたりまさにかけがえのない師であった。現代のヨーロッパ映画を熟知しているだけでなくトニー・スコットの映画の愛好家でもある青山真治は、いわゆるシネフィリーの凝り固まった枠組みを超えて、独自の映画体系を作り出していき、その頂点とも言えるのが、『EUREKA』(2000)と『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(2005)という最も美しい二本の作品である。
ダニエル・シュミット(『書かれた顔』)や黒沢清の助監督を務めた後、青山真治が最初の長編映画を監督するのは1990年代の半ばである。それが紛れもない、見せかけの犯罪映画であり、真の自主映画、『Helpless』であり、青山はこのデビュー作品によって、ヨーロッパ、その他世界各地の映画祭で注目されるようになる。青山は次々と新作を発表していき、『WILD LIFE』、『冷たい血』(1997)などでは、同時代に北野武が過激な方法で完成させようとしていた犯罪・ヤクザ映画をより斬新な形で換骨奪胎していった。しかし彼が『EUREKA』で本当に国際的に認められるのは2000年代の最初で、3時間半近く続く長い爆熱のようなこの作品はカンヌ映画祭でコンペティション部門に選出され、国際批評家連盟賞とエキュメニックを見事、受賞する。青山のマニフェストとなる映画『EUREKA』はカタストロフの後を描いた映画だ。心に傷を負ったバスの運転手と二人の子供が、幽霊のような冒険譚の形式を取った水平的な長い旅に乗り出すのだが、それは同時に記憶と言葉への道程でもある。まばゆいほどに素晴らしい、真に重要な作品である。
世界中の批評家によって賞賛されたこの傑作の後、青山真治の国際的な認知が年を追うごとに必然的に度を増してゆくということは想像できただろう。しかしながらそうなることはなかった。『EUREKA』に続く映画であり、2001年のカンヌでも彼が選出された『月の砂漠』(2001)は失敗に終わった。『EUREKA』に比べたら明らかに魅力を欠いていた本作は、拒否というわけではないにしてもある種の無関心とともに迎えられることになる。それ以降、青山は映画作家として独自の道を引き続き進んでいくのだが、以前に比べ、国際舞台で彼の映画を見る機会が減っていく。それでも2005年には、彼はもう一本の驚くべき映画、『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』を発表することになる。本作では、感染した人々を自殺に追いやるレミング病というある特殊な種類のウイルスが描かれている。青山がそこではっきり示しているのは、編集(モンタージュ)のレベルも含めた錯乱に対する彼の嗜好、そして音楽に対して抱く、宿命的と言ってもいいほどの魅惑である。というのもひと気のない海辺に暮らしているこの映画のヒーローは、ノイズとミュージック・コンクレートの間にある音を実験する二人の人物で、即興音楽という唯一の力によってウイルスの根を断つことができるからだ。もちろん青山と音楽の世界との近さは『EUREKA』の中ですでに感じられ、そのタイトルは直前に発表されたジム・オルークのアルバムに依拠している。
以後の世界
青山がその晩年に撮ることになるのは、より内密であるだけでなく、それまでよりも都会を舞台とした映画となる。たとえば『東京公園』(2011)では、彼は、探偵とスパイに変身したあるカメラマンをめぐる不可思議な行き違いを思い描いている。一見したところその形式はより古典的に見えるかもしれないが、やはり青山は、空間と抽象性への変わらぬ鋭敏な感覚によって特徴づけられた、浮遊感があって物憂げな物語を作るに至っている。空間感覚、それは残念ながら彼の遺作となってしまった『空に住む』(2020)の中に再び見出される。映画作家がその道程を辿る若い女性は、両親の喪に服し、東京の上空で遮られることのない眺めを提供するタワーマンションに住んでいる。登場人物の精神状態と関係のある一種の内なる砂漠として現れるこのマンションの中ですべてが行われる。『空に住む』は、より個人的で親密な作品となってはいるが、2000年代の青山の実験的な作風、流れと結びつき、やはりカタストロフの以後の世界の探求となっている。
映画作家、青山真治の仕事はその生前、結局、秘められたものとなっていたが、それらの作品はこれから発見、再発見されていくべきだろう。青山真治のフィルモグラフィは様々に異なる作品で構成され、その輪郭は常に変化し、全体として把握するのは容易くないながら、そこには、いつまでも消えることのない痕跡、製作の困難さを前にしても飽くことなく映画を求め続け、その欲望を諦めることがなかった一人の映画作家の痕跡がこれからも示し続けられるだろう。(『レザンロキュプティーブル』2022年3月25日』)
訳:池田百花
─『東京公園』─ 宇宙人さん、こんにちは
渡辺進也
(2011年6月25日発行「nobody issue35」所収、P52-56)
これを書いている今日、ずいぶんと都内を移動した。まず海外の映画雑誌のコピーを取る必要があったので、最初に京橋のフィルムセンターに行ったけれども休館日だった。それで、銀座線と東西線を乗り継いで早稲田の演劇博物館まで。そのあと、今度は日本語の文献を調べたかったので、東西線と有楽町線を乗り継いで永田町の国会図書館まで行くも一番のお目当てだった雑誌が作業中となっていて閲覧できなかった。そこで、半蔵門線で神保町まで移動して古本屋でやっと手に入れた。
京橋→早稲田→永田町→神保町。この移動はそう度々あることではないけれど、かといってそうそう特別なわけではなく、都内を1日で何カ所か回ろうとすると自然とこれくらいの移動はしてしまう。しかも、ずいぶんと自分のなかでは移動しているつもりでも地図上で見るとほんの数キロのところを移動しているだけだ。今日の自分の行動を思うと、まるで何か罠にかけられたようにその外側には抜けられず同じようなところをぐるぐると回っているような気がしてしまう。ロラン・バルトの言葉を思い出すでもなく空虚な中心には決して近づけず、かといって出発点と目的地を直線で結ぶこともできず。他の都市がどうなのかはわからないけれど、ぐるぐるさまよい動く、それこそが東京なんだよなと僕などは思ってしまう。
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─『東京公園』─ What a wonderful world
結城秀勇
(2011年6月25日発行「nobody issue35」所収、P57-61)
『東京公園』とはどんな映画かともし人に聞かれたら、僕はこのシーンの話から始めるだろう。三浦春馬演じる志田光司が初めて画面に登場する場面。カメラにレンズをセットし、一眼レフを構えた彼を真正面から捉えたカットに続いて、公園の広い中心部に向かって歩み出す彼の後ろ姿をカメラは切り取る。小さくなる彼の後ろ姿の上に重なるのは、「志田光司と申します」「写真を撮ってもいいですか?」と公園内の人々に話しかける彼の声、その問いかけに「いいですよ」「いい写真ですね」と気さくに応じてくれる人々の声、そしてそのやりとりによって生まれた写真たちだ。見ず知らずの人々が、もしかしたらもう二度と出会うこともないかもしれない相手に向かって微笑みを返し、その微笑みが光学的な機械を通じて記録される。笑顔は増殖して、やがて画面をいっぱいに覆い尽くす。
この笑顔の存在する余地がある場所、それが決して少数派ではない世界。そこが『東京公園』の舞台なのだ、と。
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─『サッド ヴァケイション』─ すでに語られることのない映画監督のために
渡辺進也
(2007年9月7日発行「nobody issue26」所収、P36-41)
『サッド ヴァケイション』には何人もの男たちが、そして女たちが間宮運送というひとつの場所を交通点として行き来する。それぞれが他の人間にはわからない理由によって、最後に流れ落ちてくる場所のように、集まってくる。その場所でひとりひとりが自分の生活の場を確保し、与えられたわずかな場所でひっそりと生活する。間宮運送には何人もの男が流れてきている。小説『サッド・ヴァケイション』を読んだとき、一枚一枚ページをめくっていくなかで、そして何人もの男たちが登場してくるなかで、僕にはあるひとりの名前が目に入った。決して珍しい名前ではない。そして、彼は何か特別なことをするわけでもなく、そこにいた。僕はその人物を僕の知っているある人のように思えたのだ。僕は彼に会ったこともないし、彼の姿も見たことがない。ただ彼の映画を見ていただけだ。僕が映画を見始めたとき、すでに彼は映画をつくることをやめていた。彼の映画を後から発見し、その映画を追いかけ始めたときにはただその作品があるだけであった。彼が映画をつくらなくなった理由はいつしかただのいちファンの僕のもとにも風の噂で入ってくる。尾ひれがついてもう冗談としか思えないようになったその噂で僕は彼が映画をとることをやめて消息を絶っているということを聞いた。
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『サッド ヴァケイション』
藤原徹平
若崎と戸畑を結んでいる若戸大橋は、不思議な橋だ。その赤くペイントされた橋は、ずいぶん高いところを通っていて、確かそれは東洋一高い吊り橋だと誰かに聞いた気もするけれど、それにしても随分と高いな、あるいは遠いなという印象で、街を歩いていてふと目に入ると、どこか現実から剥離したような不思議な空気感を持っている。すぐそこにあるようなしかし無いような存在感に妙に心が騒ぐ。それは、若崎と戸畑を結んでいる。確かに。しかし、この橋は、その現実離れしたその高さのせいか、あるいは見える角度のせいか、どこかとどこかを具体的に結んでいるというよりかは、こちらかそちらかというような世界を横断するような揺らぎを含んだ存在に感じられる。僕がどうしてこんなに若戸大橋について詳しいかというと1年間戸畑の建築現場に通い続けたからだけれど、ちらちら目に焼き付いた程度でしかないその橋の記憶は驚くほどに強く、そして曖昧だ。そして、フィルムのあちこちにちりばめられた、アイコンとしての若戸大橋の存在は、フィルムそのものを包み込むような安定とそして揺らぎをもたらしている。続き
『サッド ヴァケイション』
梅本洋一
この壮大なフィルムをわずかな字数でまとめることなど不可能なことだろう。ジョニー・サンダースの『Sad Vacation』を背景に若戸大橋が映し出されるヘリコプター・ショットでの壮大な開幕。だが、その風景の壮大さと比べて、このフィルムが展開するのは四方がわずか数キロの極小の空間だ。その中心にあるのが、間宮運送。行き場をなくした者たちが集う運送会社。そこにやってくるのが、『ユリイカ』の梢(宮崎あおい)、そして『Helpless』の健次(浅野忠信)。原作小説を読んだ方にはお判りだろうが、このフィルムは、これら2本のフィルムの続編である。
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『こおろぎ』
梅本洋一
映画について考えられるいくつかの言辞。たとえば音声と映像でつくられている映画は、嗅覚と触覚を直接示すことはできない。映画から匂いも香りも生まれない。映画で人と人の接触を見せることはできるが、その感覚を共有するためには想像力が必要だ。たとえば極めて具体的に事物を映し出す映画が、抽象性に向かおうとするとき、そこからは人名、地名などの固有名が脱落し、人は、「男」だったり、「女」だったり、「若い人」とか「老人」としてしか表象されないが、同時に、映画から固有名が消え始めるとき、映画は別の即物性を濃厚に獲得していくことになる。何かを食べるとき、「何か」が強調されるとき、映画は具体性を留めるが、「食べる」という動作が強調されるとき、映画は、極めて抽象性の高いものに変貌する。いずれにせよ、ここでストローブ=ユイレという固有名を提出してみれば、いっそう明瞭になるだろうが、映画において抽象性と即物性とは背反するものではない。続き
第三回は5月を予定しております。