『カモン カモン』マイク・ミルズ
金在源
[ cinema ]
私が思春期を過ごしているとき、家の中には閉ざされた部屋があった。鬱病の父がそこで寝ていて、気軽に部屋に入れるような雰囲気ではなかった。父の病は次第に悪化し、自宅から遠く離れた病院に入院することになった。閉ざされていた部屋は空になり、休日には母と一緒に電車に乗り面会に行った。病院の談話スペースに設けられた卓球台で父と卓球をしたことを覚えている。私が物心つくころから父は鬱病を患っており、そんな彼が私と遊んでくれた時間は貴重な瞬間として私の中で記憶に残っている。しかし、それと同時に次第に父に対して話せることよりも話せないことの方が多くなっていった。父が心を病んでいる理由や彼が何を考えているのかを理解できず、自分はどんな言葉をかければいいのか分からなかった。私の考えていることや悩みを父に打ち明けることが彼にとって負担になるのではという不安もあった。今になって思い返すと、それは家族という言葉で多くの人が思い描く理想的な関係ではなかった。
本作に登場する9歳の少年ジェシーは母親と暮らしている。単身赴任をしている彼の父が精神を病んでしまい、母親がその面倒を見ることになる。家を留守にする間ホアキン・フェニックス演じる伯父のジョニーにジェシーの面倒を見てもらうことになり、二人の共同生活が始まる。最初からうまくコミュニケーションを取れない二人は、「大人への不信感」と「子どものわがまま」の間ですれ違い続ける。
物語の中盤、ジェシーと伯父は取材の仕事があるためニューヨークへ移動する。ここで伯父の仕事として子どもたちへインタビューする様子が映像で流れるが、これは実際にホアキンがニューヨークに暮らす移民の子どもたちにインタビューした映像である。歴史的に見るとニューヨークはヨーロッパの移民から始まり、現在ではアジア、ヒスパニック系の移民が増え「人種のるつぼ」とされてきた。さまざまな民族的ルーツを持つ人々が生きるニューヨークで、ホアキンは移民二世となる子どもたちをインタビューの対象として選びその言葉を私たちに届ける。子どもたちは抱えている思いを等身大の言葉で語る。
「ママはいつも言う。『泣く子は嫌い』って。だけど一度ママに言ったんだ『僕は泣くかも、人間は泣くんだよ』って。でもママは『あなたは強くならないとダメよ』って言った。そのことが何よりも嫌だ」。
子どもから見れば泣くのは人間として当然のこと、しかし大人は強くなるために人間としての生き方を否定する。「移民者ラッパー」として日本社会にメッセージを投げかけ続けるMOMENT JOONは「移民」という存在を「違う地域・文化圏から来て今ここに住んでいる人」 *1と定義する。伯父のジョニーにとってジェシーは言語も通じ血も繋がっているが、異なる文化を持つ一人の「移民」と言えるだろう。ジェシーにとってのジョニーも同様である。もっと大きく解釈するなら子どもと親の関係も当てはまるのではないだろうか。ジェシーは日常生活の中で孤児を演じる。母親はそれを「変わっている」と表現する。しかし、彼は親のいない子どもとして母親と会話をすることで一人の人間として母親に向き合おうとしているように見える。どれだけ多くの時間を一緒に過ごし、愛し合っていたとしてもお互いのことは永遠に「分からない」ままなのだ。
私と一緒に暮らしている二歳の子どもは私に思いが伝わらなかったり、思っていることと違うことをされると「パパなんていらない」と涙を流しながら怒る。その瞬間私の中では苛立ちの感情が沸き上がる。そこで無意識に子どもを大人である自分より下に位置づけ軽んじている自分に気付く。そんな思いを隠しながらいらない理由を言語化させようと大人である私は試みる。「どうしてそんなこと言うの?」。この映画で繰り返し行われるインタビューや登場する大人たちも同じだ。大人は子どもに質問を何度も投げかけ、その場での答えを求める。そこには一種の暴力性が伴っている。言語化をすることで感情を整理しようと私たちは試みるが、私たちの感情を一つの単語で表すことなんて到底できない。それは立場が変わっても同じである。「なぜママと本音で話さないの」、「なぜ伯父さんは離婚してしまったの」、「ママが僕を嫌っていないのならなぜママはここにいないの」ジェシーからの質問に大人である伯父は答えられないのだ。そしてその場しのぎの言葉を並べ、逃れてきた過去を引き摺りながら私たちは子どもに対し誠実な回答を求める。それが私たち大人の生きる姿である。しかし、この世界は人間の気持ちを簡単な単語で表現できてしまうほど単純ではない。
ジェシーは語る。「ママは僕を愛してくれたけど、僕のすべては分からない。僕もママのすべては分からない。それでいいんだ」。複雑に交差しほつれが生じた世界で、私たちが唯一理解できることは「私たちはお互いを理解し合えない」ということだけだ。私たちはそこでもがき続けるのだろう。前述のMOMENT JOONは以下のように続ける。
「違う文化の間で苦しんだり、どちらの文化も自分のものにしたり、それらを融合して新しいものが作れたり、そんな全ての人が移民です。」*2
インタビューに答えるすべての子どもたちの言葉はそのことを私たちに気付かせる力を持っていた。そしてジェシーは不十分な私たち大人へ向かって「カモン、カモン(こっち、こっち)、カモン、カモン(前へ、前へ)」と呼びかける。
父亡きあと、私が彼のことを直接知ることはもうできない。残された断片的な言葉を拾い、つなぎ合わせ、想像を巡らせるしかない。それでも今になって彼のことを知りたいと思う。私を拒絶する子どもにも同じ思いを抱く。たとえあなたに拒絶されても、分かり合えず無様な姿を晒したとしても、それでも君のことを知りたい。たとえいつかこの瞬間を忘れてしまうとしても、今を生きるあなたが私を呼ぶ声についていきたい。
*1:MOMENT JOON『日本移民日記』岩波書店、2021年11月、12P
*2:同上