第75回カンヌ国際映画祭報告(1)第75回カンヌ国際映画祭開幕
槻舘南菜子
[ cinema ]
第75回カンヌ国際映画祭が5月17日に開幕した。パンデミックを経た2019年以来、3年ぶりの通常開催となる。レオス・カラックス『アネット』と比較すると、強烈なまでに商業色が強い『カメラを止めるな!』の仏版リメイク、ミシェル・アザナヴィシウス監督『Coupez!』で幕を開けた。映画祭前にウクライナ映画協会からのクレームで当初の『Z (comme Z)』から題名は変更されたものの(「Z」はロシアの支持を暗示させる)、開幕上映式にサプライズで登場したウクライナ大統領、ゼレンスキー氏のメッセージの後、画面にZの文字が躍るゾンビ映画を見るのは悪い冗談のようであり、映画祭の日和見主義を露呈していたように見える。
今年の公式コンペティション部門には、歴代パルムドール受賞者たち、ダルデンヌ兄弟、クリスティアン・ムンジウ、リューベン・オストルンド、是枝裕和とともに、すでにノミネート済みの、キリル・セレブレニコフ、アルノー・デプレシャン、デヴィッド・クローネンバーグ、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ、ジェームズ・グレイ、パク・チャヌクなどが並ぶ。また、久々のコンペティション部門の参加となる、クレール・ドゥニ、イエジー・スコリモフスキ、マリオ・マルトーネは勿論、ある視点部門からコンペティションへ昇格した、アリ・アッバシ(『ボーダー 二つの世界』がグランプリ獲得)、ルーカス・ドン(初長編『Girl/ガール』がグランプリ&カメラ・ドール受賞)、レオノール・セライユ(初長編『若い女』がカメラ・ドール受賞)、アルベール・セラ(『Liberté』が審査員特別賞)が、常連監督たちと肩を並べることになる。昨年に続き、今年も公式コンペティション初長編はなく、その役割を完全にある視点部門に譲ったと言えるだろう。昨年、新設されたカンヌプレミア部門は、本来ならば監督週間で上映されてもよいであろうマルコ・ベロッキオ、セルジュ・ボゾン、エマニュエル・ムレなどのヨーロッパを中心にした作家性の強い作品が含まれている。アジア映画のセレクションを見渡すとわかりやすいが、短編以外は仏の製作システムに適応した作品、あるいは、システムを持つ国に製作が属している作品でなければ、もはや、カンヌ映画祭にノミネートすることは不可能なように見える。もはや若手監督は、短編をステップアップにして、共同製作の道を辿るしかないのか?
カンヌの併行部門の一つ、監督週間のディレクター、パオロ・モレッティ氏が、今年で同部門を去ることが2月に発表された。仏映画産業のロジックに適応することに徹底している批評家週間に対して、初長編を含め、作家性の強い作品を多くセレクションし、かつ、初のカンヌ入りとなる多くの映画作家を招いた彼のアーティスティックディレクターとしての方針は、監督週間の持つ精神に忠実なものだったはずだ。また、ヒエラルキーのないセレクションをモットーとする監督週間は独自の賞を設置していないが、昨年のセレクションが高い評価を得ていたことも忘れてはならない。カンヌ映画祭のセレクション全体(L'ACID部門を除き)を対象にした新人賞「カメラ・ドール」は、Anroneta Almaty Kusijanović監督『Murina』に、2015年に新設された最優秀ドキュメンタリー賞「ルイユ・ドール」は、Payal Kapadia監督『A Night of Knowing Nothing』が、さらに、セザール新人監督賞では新人発掘を掲げる批評家週間の作品ではなく監督週間のVincent Maël Cardona監督『Magnetic Beats』が受賞している。モレッティ氏の突然の解任は、対外的な評価とは矛盾した、仏映画産業に囲い込まれたカンヌ映画祭の論理を十全と示していると言える。