第75回カンヌ国際映画祭報告(6)カンヌ国際映画祭受賞結果を巡ってーー「映画」は抹殺された
槻舘南菜子
[ cinema ]
第75回カンヌ国際映画祭が28日に閉幕した。審査員とプレスの評価が一致しないのは当然のことだが、今年の受賞結果はイエジー・スコリモフスキ『EO』を除くと醜悪極まりないものとなった。前作『ザ・スクエア 思いやりの聖域』に続き、リューベン・オストルンド『Triangle of Sadness』に二回目のパルムドールが授与されたのだ。一度となく二度までも、凡庸な過激さとわかりやすい悪趣味で冷笑主義的なオストルンド作品が受賞するとは、コロナ禍での映画産業の危機が叫ばれるなか、「映画」の危機と言わざるを得ない。今年は複数のパルムドール受賞者(オストルンド、是枝、ムンジウ、ダルデンヌ)がノミネートされていた。その中でも、東欧における複雑な移民問題を現実とファンタジーとを混濁させ新たな境地に達したかに見える、クリスティアン・ムンジウ『R.M.N』の二度目の受賞ならばわかるが、オストルンドの受賞は理解の範囲を完全に超えている。おそらく審査員にとって、ムンジウ作品の背景にある世界を理解するのがあまりにも難解であり、今年の受賞作品全体に共通するスペクタクル的な要素が足りないということだろう。審査委員長ヴァンサン・ランドンによる『Triangle of Sadness』への評価の言葉を参照すれば、彼にとって「映画」とはエンターテインメントなのだ。
アルベール・セラ『Pacifiction』
ジェームズ・グレイ『Armageddon Time』
今年は、グランプリと審査員賞にそれぞれ二作品、さらに第75回賞までも設立し、21本中、ほぼ半数となる10本の作品に賞が授与された。だが、コンペティション部門に初めてノミネートされたサイード・ルスタイ『Leila's Brothers』は、前作と全く異なる静謐な演出で、我々に待機の時間を要しながらも、イランの現代社会の問題を描いた良作にも関わらず、無冠。抽象度が高く、審査員には知的すぎたであろう、デヴィッド・クローネンバーグ『Crimes of the Future』はもちろん、アルベール・セラ『Pacifiction』も無冠。さらに、グランプリを受賞した『Close』はルーカス・ドン監督が俳優の無垢さを利用し、音楽と編集で感動をシステマティックに生起させるのに対して、『Armageddon Time』のジェームズ・グレイは、無垢さを失う残酷さを映画史と個人史を交錯させた傑作なのに、まさかの無冠。審査委員長のヴァンサン・ランドンがかつて演じたオーギュスト・ロダン(ジャック・ドワイヨン『ロダンカミーユと永遠のアトリエ』)とは対局にある、小さなアーティストのコミュニティを描き、日常の困難であり不安を抱えながら、真摯に製作に取り組む彼らの肖像を丁寧に切り取ったケリー・ライカート『Showing Up』も無冠。対し、今年特別に設けられた第75回賞を得たのは、常連、ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ『Tori and Lokita』だった。イスラム過激思想に感化された少年を主人公とする『その手に触れるまで』が特に顕著だが、自身から遠い他者を危機を生み出すための装置としてしか描いておらず、その背景も登場人物の造形も表面的なまま、主題の周りをカメラと同様にただ旋回している。ダルデンヌは偽善的な作家に他ならず、何の新味もないこの作品が賞に値するとは全く思えない。
ケリー・ライカート『Showing Up』
審査員賞を分けあった、シャルロッテ・ファンデルメールシュ&フェリックス・ヴァン・フルーニンゲン『The Eight Mountains』は、イエジー・スコリモフスキ『EO』と肩を並べるような作品では断じてない。2014年、審査員特別賞をジャン=リュック・ゴダールとグザヴィエ・ドランが同時受賞と同様に、不釣り合い極まりない結果だ。また、3本のフランス映画(アルノー・デプレシャン『Brother and Sister/ Frére et soeur』、ヴァレリア・ブルーノ・テデスキ『Forver Young/ Les Amandiers』)のクオリティには確かに大きな疑問があるが、とりわけ、クレール・ドゥニ『Stars at Noon』は、彼女の映画の信奉者であったとしても擁護するべき言葉が見つからない完全に崩壊した作品だ。この作品がグランプリを受賞できたのは、『Vendredi soir』(2002)、『Les Salauds』(2013)、 『Avec amour et acharnement』(2022) と、長年の共犯関係にあるヴァンサン・ランドンの介入なしにはあり得なかっただろう。アルベール・セラ『Pacifiction』の主演俳優、ブノワ・マジメルや、マリオ・マルトーネ『Nostalgia』のピエルフランチェスコ・ファヴィーノの映画的としか言えない佇まい、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ『Forever Young/ Les Amandiers』の若き主演女優、ナディア・テレスツィエンキーヴィッツの繊細な感情の揺れが見える眼差しが、強く記憶に残っていることも付け加えたい。
イエジー・スコリモフスキ『EO』
今年は、開幕上映式の前に、修復されたばかりのジャン・ユスターシュ『ママと娼婦』が、主演のフランソワーズ・ルブランとジャン=ピエール・レオ登壇のもとで特別上映された。1973年当時、『ママと娼婦』がコンペティション部門にノミネートされた年の受賞結果を見れば、カンヌで受賞することと映画史に名を残すことは全く別だと言える。その年、幸運にも『ママと娼婦』は、審査員特別グランプリを受賞したが、マルコ・フェレーリの傑作『最後の晩餐』やカルメロ・ベーネ『マイナスハムレット』は無冠に終わっているのだ。今年は、イエジー・スコリモフスキ『EO』が『ママと娼婦』に当たるだろう。カンヌの受賞結果に、殆ど意味などない。そもそもそれこそがカンヌ国際映画祭の受賞傾向だと思う他なく、とりわけ今年の受賞結果は、わかりやすく見るべき必要のない作品リストを提供してくれたと言える。