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June 21, 2022

『冬薔薇』阪本順治
山田剛志

[ cinema ]

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©2022「冬薔薇(ふゆそうび)」FILM PARTNERS
 
 船の中心にぽっかり空いた、四角い、巨大な空洞に黒々とした砂利が注ぎ込まれる。砂利は対岸まで運ばれ、クレーン式のバケツによって掻き出される。作業が終わると、船は元の港に舞い戻り、からっぽとなった空洞に再び、大量の砂利が注がれる。
 『キネマ旬報』掲載の、短くも充実した監督インタビューによると(註1)、中心に巨大な空洞を持つこの船の名称は「ガット船」。主に工事用資材の積み下ろしに加え、埋め立て用土砂の運搬を任務としているという。
 もうしばし、船内を見回してみよう。視線を船体後方に転じると、「ブリッジ」と呼称される操舵室があり、船長である渡口義一(小林薫)の頼りない眼差しに出くわす。
 ブリッジには大海原が一望できそうな、立派な窓がある。しかし、大方の期待に反し、窓から水平線を望む、"フォトジェニックなショット"は、全編を通して、ただの一度も登場しない。
 ブリッジの窓から義一(に同化したカメラ・アイ)がじっと見つめるのは、かつて、幼い長男を無慈悲にも飲み込んだ、四角い、巨大な空洞の底である。水平線のイメージが、見つめる者をとめどない空想へと誘うとしたら、それは、見つめる者から言葉を奪う、絶望のイメージである。
 部屋の後方には、長男を祀った神棚があり、虚無に飲み込まれそうになる義一を背後から守護しているようだ。ブリッジは生と死の「境界」であり、義一が次男の淳(伊藤健太郎)と対峙する「リング」にもなるだろう。
 上述のインタビュー記事によると、本作は2020年のひき逃げ事件によって活動休止を強いられた、俳優・伊藤健太郎の復帰作として企画され、脚本は、彼との対話をもとに書き上げられたという。
 伊藤扮する淳は、ファッションデザイナーを目指し、服飾学校に籍を置いてはいるものの、真面目に通う気はさらさらないようで、チンピラの頭首・美崎(永山絢斗)の手足となって喧嘩に明け暮れ、怪我をいいことに、弁護士である多恵子(和田光沙)の女心につけ込んでヒモに身を落とすなど、のんべんだらりと生きている。
 両親の、とりわけ父の冷淡な態度に落胆してみせる淳は、『エデンの東』でジェームズ・ディーンが演じた青年・キャルを想起させる。とはいえ、両者には大きな相違点がある。
 『エデンの東』のジェームズ・ディーンが父の確かな愛に触れ、顔をくしゃくしゃにして泣き崩れてみせることで、観客の涙腺を刺激するのに対し、本作の伊藤健太郎は、眼前の光景にただただ言葉を失い、頼りない視線をカメラに向けることしかできず、やはり大方の期待に反し、エモーショナルな芝居によって観客の涙をそそるような"見せ場"はない。
 しかし一体、何が淳に絶句を強いるのか。シナリオを参照しつつ(註2)、彼と母・道子(余貴美子)が駅の改札口で対峙するシーンを見てみよう。
 このシーンで道子の口から発される、「あんたは、背筋がゾッとしたことなんてないでしょ」というセリフは、字面だけ追えば、淳に応答する余地を与えているように見える。しかし、突き放すような厳しい顔が大写しになることで、その言葉が"問いかけ"ではなく、"断定"を表していることが誰の目にも明らかとなる。
 絶句する淳の表情が一瞬映され、ショットが道子に切り返されると、人格が変わったのではないかと思わせる、諦念を帯びた穏やかな顔が大写しになり、「振り返るのも怖くて、考えないようにする。かあさんにしてみれば、うらやましい」という言葉が続く。
 果たしてここで再度、絶句する淳の顔がインサートされただろうか。正確に思い出せないが、ともあれ、しばしの間があり、道子の顔は憐れむような形相に変化し、「と同時に、もったいない」と告げ、息子の肩をポンと叩き、「帰ろう」と一方的に会話を切り上げる。
 淳に絶句を強いる、年長者の、否定も賛同も寄せつけない自己完結した言葉の連なりと、瞬間ごとに生き様が剥き出しになった顔。それは、真木蔵人演じる叔父の裕治や、毎熊克也演じるチンピラ仲間・玄との別れのシーンにも見出せるものだ。
 淳と道子、淳と裕治、淳と玄との間には、目には見えない「境界」があり、ショットが切り返される度に現れては、淳から言葉を奪っていく。正確に言うと、淳は他者との間に拡がる不可視の「境界」を貫通して、相手の心に届くような言葉を見つけることができない。その結果、絶句を余儀なくされた淳の頼りない眼差しは、ブリッジから空洞の底を見つめる義一のそれと一瞬、重なる。
 しかし、義一とは異なり、「背筋がゾッとした」経験を持たない淳の眼差しは、他者に開かれている分、甘えを孕んでいる。淳がふと不安に駆られ虚空に視線を向けると、永山絢斗演じる若きメフィストフェレスが現れ、優しい言葉をかけては手を差し伸べ、地獄に引きずり込もうとするだろう。
 言葉を費やせば費やすほど、苛烈な映画だと思う。一方で、希望を宿したイメージもある。先に見たとおり、義一の根城であるブリッジの後方には亡くなった長男の神棚がある。ブリッジに上がった際に、「神棚を見た」と告げる淳に対し、「だいたいの父親はそうだ」と返す義一の言葉は謎めいているが、しばらくして、神棚向けのショットが示されると、疑問は氷解する。
 神棚に鎮座する長男の遺影はシングルショットではなく、幼き頃の淳とのツーショット写真であり、義一の心の中には常に"2人の息子"がいる、ということがおぼろげながらわかるのだ。とはいえ、遺影のショットは心の距離がある父子をつなげるという点"だけ"が重要なのではないと思う。写真をよく見ると、長男の手は淳の背中を力強く支えていた。それを目にした瞬間、淳の背中を見つめたショットの比類ない美しさと、慈愛に満ちたカメラ・アイの根源に触れたようで、図らずも号泣してしまった。

(註1) 『キネマ旬報』2022年6月下旬号、32項〜35項。
(註2) 『月刊シナリオ』2022年7月号、32項〜54項。


冬薔薇(ふゆそうび)
6月3日(金)より、新宿ピカデリーほか全国ロードショー
配給:キノフィルムズ
©2022「冬薔薇(ふゆそうび)」FILM PARTNERS
脚本・監督:阪本順治
出演:伊藤健太郎 小林薫 余貴美子
眞木蔵人 永山絢斗 毎熊克哉 坂東龍汰 河合優実 佐久本宝 和田光沙 笠松伴助
伊武雅刀 石橋蓮司


『弟とアンドロイドと僕』阪本順治 山田剛志

『団地』阪本順治 田中竜輔

『行きずりの街』阪本順治 梅本洋一