『あさぎり軍歌』石田民三
鈴木並木
[ cinema ]
東京にある国立映画アーカイブで、特集上映「東宝の90年 モダンと革新の映画史(1)」が始まっている。1930年代のアニメーションから近年の大ヒット作『シン・ゴジラ』『君の名は。』(共に2016)に至るまで、日本映画史に残る数々の名作やヒット作が並ぶラインナップで、ということは、比較的上映機会に恵まれている作品が多い。うるさ型のファンが、「あの監督ならこの作品ではなくて......」だとか、「どうして○○が入ってないの」だとか、あれこれ言いたくなる気持ちも、わかる。
そんな中に、没後50年を記念した石田民三監督の小特集(6プログラム)が組み込まれているのに驚いたひとも多いだろう。1926年に監督デビューし、戦後すぐにいわゆる映画界から離れてしまった彼が残した監督作は、約90本だという。素材が現存していて上映される機会があるのは、せいぜい10本くらいか。『花ちりぬ』(1938)にせよ『むかしの歌』(1939)にせよ『花つみ日記』(1939)にせよ、一度見てしまえば絶対に石田民三の名前を忘れるはずはないので、そういうひとにいまさら何か言おうとは思わない。石田民三、いま上映してますよ、お忘れなく、とだけ申し上げておく。
幸運にもまだ石田民三を知らないひとに対しても、言いたいことはほぼ同じだ。日本映画が生んだもっとも初期の偉大なる映像スタイリスト石田民三、いま珍しくまとめて上映してますよ、お見逃しなく。
前置きが長くなったが、今回初めて見た『あさぎり軍歌』(1943)について。石田といえば、浅草の小料理屋だったり、祇園のお茶屋だったり、大阪の女学校だったり、フェミニンな世界の描写に長けている印象が強い。だから、幕末維新ものなんてはたしてどうなのか、との個人的懸念があった。題材が資質に合ってなさそうだし、なおかつ石田は、どんな材料でも器用に料理できるタイプとは思えないからだ。
1943年当時の日本は、たしか戦時下だった気がする。この前年あたりから、日本映画は統合された体制での製作・配給が始まっていたと聞いた記憶がある。具体的には、フィルムが割当制になったり、1作品の長さが制限されたり、戦争を推進する国策に沿った作品でないと製作が許されなかったり、といった状況になっていたはずである。
そうした環境下で何が起きていたか。小津安二郎は国策映画の準備をしていたものの結局1本も撮れず(撮らず)、溝口健二はある種の知性の欠如から政府の尻馬に乗り、マキノ正博は大胆にアメリカ映画のスタイルに接近し、戦後は左翼映画の巨匠となる今井正や山本薩夫も(たしか東宝で)戦争協力映画を撮っていたのではなかったか。
1943年4月18日、連合艦隊司令長官の山本五十六が南太平洋で米軍に撃墜されて戦死する。その10日ほどあとに封切られたのが『あさぎり軍歌』だ。主人公は旗本の家の三兄弟。長男は芸者と結婚して家を出て、武器製造販売の店に勤めている。次男は家に残って上野戦争に参戦する。三男は榎本武揚を応援すべく箱館(函館)に向かうところだったが、軍艦を下りて長男に合流する。
坂東好太郎演じるこの長男が不思議な人物で、自分の周りで国を二分する争いが起きているのに、それには興味がない。彼の関心は、新しい西洋の兵器がどの程度の力を持っているのか、それだけだ。「これからの戦争は武器によって決まる」「日本はそのうち一丸となって外敵と戦う日が来る」という彼の意見は、なるほど1943年の時局に沿っているとも言えそうだが、かつての旗本仲間の「我々には刀がある、精神がある」という主張とは対立している。日本の竹槍イズムとは正反対の、西欧風の合理主義者ではないか。それでいて旗本の息子らしく、江戸を離れて水戸に帰って行く徳川慶喜を地面に額をつけて見送りもする。見ているこっちは、わざわざこんな複雑な設定にしなくてもいいのに、と思わざるを得ない。おそらく軍部は、外敵の襲来に備える立派な日本精神の啓発、みたいなものを期待していたのだろうけど。
設定自体に無理があるように感じられるのは、原作である玉川勝太郎の浪曲がそうだったのかもしれない。だとしたら、そもそも国策映画にするような物語ではない。そこに目をつぶれば、金のかかった戦場の描写、円谷英二の特撮など見どころは多く、あたかも、ひいきにしていたインディーズ監督のメジャー大作を見るように楽しめもする。
そして意外な収穫は、この作品が危惧していたほど石田の資質とかけ離れているわけではない、と気付けたことだ。すっかり内容を忘れていた『花ちりぬ』と『むかしの歌』を今回10年以上ぶりに再見して、どちらにも戦争の気配が濃厚に漂っているのを確認したばかりだった。『花ちりぬ』のカメラは祇園のお茶屋から一歩も出ずに、外からの噂や物音だけで内乱の京都をあざやかに描き出す。『むかしの歌』は西南戦争に翻弄される大阪・船場の船問屋の物語だ。この2作に続けて『あさぎり軍歌』を見ると、石田民三が現実の戦時下でついに戦争映画を撮った! と興奮してしまう。もしかしたら80年前、同じように楽しんでいた観客がいたりしたのだろうか。
『花ちりぬ』の花井蘭子は、店の屋根に上り、遠くの戦火を眺める。『あさぎり軍歌』では坂東好太郎が同じように屋根の上から、円谷英二の特撮による派手な爆発を見物する。新政府軍と旧幕府軍、どちらが勝っているかなどといった些末事は興味の範囲外で、彼は単に英国産のアームストロング砲の威力に驚嘆するだけだ。そして焼け跡に立って、この人たちは信念にしたがって死んだようだが、もうこの国はそのような信念を必要としていない、などと言うのだ。
石田は『あさぎり軍歌』の撮影時に軍部にいじめられたと回想していたそうだ。こんなものをつくったらいじめられるのは当たり前だし、それでもこうして映画は公開されてしまって、いまでも見ることができるのだから、そうしたもろもろひっくるめてやっぱり映画(史)は面白い。
戦争は国がやっていたことであって個々の作家たちは勝手に映画を撮っていたのだ、などと言うつもりはまったくないが、「映画界すべてが政府の思いどおりに動き、灰色に塗りこめられていたあの時代」などと紋切り型で決めつけるのもまた、間違いだろう。いまも昔も日本政府にそれほどの実務的な管理能力があったかは疑わしいし、そもそも映画のことなんて、誰もたいして気にしていなかったし理解もしていなかったのに違いない。日本にはゲッベルスはいなかった。