『0課の女 赤い手錠』野田幸男
千浦僚
[ cinema ]
顔面と風景が激突しその迫力が拮抗するとき、映画にみなぎるものがある。
このことはペルー密林と山岳において、ヴェルナー・ヘルツォークとクラウス・キンスキーによって試行され『アギ-レ 神の怒り』(72年)といったフィルムに結実するだろうが、そこまで遠隔地に出かけなくても野田幸男と郷鍈治と東映東京で充分実現され、『0課の女 赤い手錠』となる。
本作主演は杉本美樹。それは見間違いなく動かしようのない事実。だがしかし、郷鍈治が目立ち、食っているのもまた真実!
物語の構造上、凶悪な誘拐犯一味(郷、三原葉子、荒木一郎、遠藤征慈ほか)に密着潜入して、捉われた大物政治家の令嬢・杏子(岸ひろみ)を救い出そうとするはぐれ刑事扇情派・零(杉本美樹)は観察者、傍観者であり、暴れまわる一味をひたすら無表情に見る。それがまた表情のバリエーションに乏しいかもしれない杉本の絶妙な本領発揮?になっている。
本作で郷鍈治が異様な感じになるのは弟(小原秀明)殺しの場。異常な悪党なりに異常に弟を溺愛していながら、仲間うちで宣言していた戒めを弟が破ったために狂乱しながら弟をブチ殺すという、なんとも言いがたいシークエンスが。この、あまりの濃さについいろいろ考えてしまう......人間とは、なぜ自ら望まぬことをしてしまうのか、そこに自分を追いやってしまうのか、などと......必見の場面だ。
......日本映画とVシネマはどれほどのものを劇画家篠原とおるに負っているのだろうか。「さそり」「0課の女」「ワニ分署」etc。あの三白眼のバトルヒロインたちを忘れない。こちとらはむしろ映画から入って原作劇画を読んだ世代だが、それでも、70年代の漫画誌に登場した彼女らに衝撃をうけた映画製作者が女囚さそり・松島ナミや女刑事・零を、実写にしたくなった、血肉を与えたくなったことはよくわかる。
日本の刑事司法の部署編成は捜査第一課が殺人、強盗、暴行傷害、誘拐などの凶悪犯罪を担当、二課が詐欺、不正取引などの経済犯罪担当、四課が暴力団関係担当だが、ここにそのどれでもない「0課」というのをぶっこんでくれるのが篠原とおる流の小気味いい大ボラで、これは007シリーズ、MI6のエリートスパイが殺しの許可証たるゼロナンバーを冠したコードネームを持っている設定にインスパイアされたのか。劇画では0課の女はかなり特権を持つ様子も描かれていたが、映画『0課の女 赤い手錠』では完全にヤクネタ扱いされ、虐げられ、抹殺寸前の存在として描かれる。警察機構の一員、国家権力の下にあるということがかなり薄くされている。その点、脚本の神波史男と松田寛夫の手つきには確信がある。このふたりは『女囚さそり』シリーズ(72~73年、四作品)の脚本家でもある。
「0課」は何を担当するのか。映画内の設定としてそれはよくわからないが、本作を観終えれば0課は根源的な人間の罪業や男性社会の悪をターゲットにしていたのではないかとも思われる。そういう機構だということではなく、女刑事 零個人の意地で......。
郷鍈治の激動の大顔面に対照をなす、静の大顔面を丹波哲郎が担う。丹波さんは南雲という与党次期総裁候補の政治家、政略結婚の手駒として嫁がせるはずの娘が誘拐されたため、極秘裏に、そして苛烈な手段をもって解決を望み、スキャンダルが避けられず娘が役に立たない局面になると実の娘の抹殺をも考える男。また、室田日出男が熱演する謎の特殊刑事日下は、ヒロイン零を嫌悪し憎悪しながら使役し、これもまた地獄の中間管理大顔面で暴れ、活躍する。犯人グループのひとり遠藤征慈を室田が拷問するところで、それを見ながらひとり涼しく結果を待つ丹波さん、静かにしているやつがいちばん悪いといういい場面だった。なお犯人一味の荒木一郎はサングラスに加えて顔一面ヒゲで、ほとんどしゃべりもせず、徹底して控えている印象。三原葉子はだいたい半裸、常に丼ものをふたつ食べる、死に際はいろいろモロ出しというパワープレイ。
......中原昌也氏がおそらくいつものダジャレ、思いつきで発した特集上映企画名「Age of Go ! Eiji !」、このAge of Go=郷鍈治時代をあえて真剣に捉えてみたいし、数本の郷鍈治映画を語るなかで考えてみたい。私はAge of Go、郷鍈治の時代とは、60年代日活のプログラムピクチャー群が60年代末には過激化し(バイオレンス&エロス)、71年のポルノ路線転進「日活ロマンポルノ」があったこと、多くの映画人のキャリア画期があったこと、を示すと考える。郷鍈治が東映に来て他に換えがたい役柄を圧倒的な存在感で演じている74年の『0課の女 赤い手錠』はAge of Goの円熟期だろう。『直撃!地獄拳』シリーズも74年。
監督野田幸男。「不良番長」シリーズ(68~72年)全16作中、11本を撮った監督。......ストリートの屋台で買った南国果実を千葉真一が歩き食べる隠し撮りと思しきショットから完全にアジア映画な空気感をたたえ、それが高砂族の扮装をした志穂美悦子のサポートによるベン・ジョンソンも真っ青の千葉ちゃんドーピング拳法爆裂のエンドまで一気に駆け抜ける『激殺!邪道拳』(77年 原案ヤン・スエ)も忘れがたい。
「不良番長」はイージーっぽくも見えるが、結構撮りまくっていじり倒してる感じがある。幾たびも魅力的な擬製の荒野を見せてくれた。ロングショットのキマりかたにシビレるものがある。なまなかな監督ではない。
野田幸男という監督が何であったのか、その答えは砂ぼこりあげて吹く風の中にしかない。
火の手があがり、ゴミが乱れ吹く『0課の女 赤い手錠』の、破滅的終幕が予感されるラストバトルのなか、郷鍈治扮する仲原が奇妙な台詞を吐く。「俺の生まれた街に戻ってきたんだから、こっちのもんだ!」みたいな。これは、その後の展開とストーリー上まったく意味をなさない台詞で、なにか土地勘とか地の利があるというようなことでもない。ただその瞬間の仲原(郷鍈治)の高揚を示し、この前後にこの男の昔の姿がインサートされる。基地の町のスラムの娼婦と黒人兵の間の子、父なし子、侮蔑、迫害、貧窮、孤独、怒り、憎悪。その感覚こそが彼の故郷であり、この凶行が戦いであると彼に確信させるものだと。......憤死は必至なのだが。
映画の末尾では女に課せられた戦いが示される。凶悪犯の監禁と父親による抹殺から救われた令嬢と守った女刑事はこの事件を世に訴えようとする。女たちは気を抜くと殺されてしまう。生きのびるために傷つき、多大な犠牲を払わなければならない。
主演杉本美樹が歌う主題歌「女の爪あと」は作詞石坂まさを、作曲菊池俊輔。「怨み節」や数々の東映映画、特撮ヒーローもので知られるメロディーメーカーの曲に、藤圭子の代表作を書いた作詞家の詞がのる。
夜が寒けりゃ抱いてやろ
夢が欲しけりゃ触れてやろ
羽を傷めた迷い鳩
雪が降るのはこれからさ
街の灯りはつれなかろ
母の乳房が恋しかろ
独りぼっちの野良犬よ
負けてしまえばおしまいさ
負けてしまえばおしまいさ
零(杉本美樹)が仲原(郷鍈治)に呼びかけているような歌詞だが、この慈しみは行われない。作中で人物らがそれを求めることもなかった。このような慰撫が夢見られていたのか?あるいはこれは零からの被害者・サバイバー南雲杏子(岸ひろみ)へのエールなのかもしれない。もちろんこの詞の抽象性は観る者すべての寒さなり傷なりに触れようとするものだが。
『0課の女 赤い手錠』、盛り込みすぎた映画、観客をおいてきぼりにすることも恐れない映画、つまり見甲斐ある優れた映画。
「名脇役列伝VI 中原昌也プレゼンツ Age of Go! Eiji!! 郷鍈治の祭り」はシネマヴェーラ渋谷にて2022/07/09〜07/22