『ワンダ』バーバラ・ローデン
池田百花
[ cinema ]
『ワンダ』にはひとつの奇蹟(miracle)があると思うわ、とマルグリット・デュラスは言った。「普通、演じることとテクストとのあいだ、演じる主体と話の筋とのあいだには、距離がある。でも、あのなかではその距離が完全に消えて、バーバラ・ローデンとワンダは、直接的に、決定的に一致している」1)。こう語ったデュラスと同じようにこの映画で初めてバーバラ・ローデンという女性の存在を知ることになるほとんどの観客が最初に目にするのは、子供の泣き声で目を覚ましてソファの上で重たそうに体を持ち上げる、監督を務めたローデン自身が扮するワンダの姿だ。この冒頭の短いショットからすでに、彼女の身体にまとわりつくけだるさや、家の外に広がる荒涼とした炭鉱町の情景と地続きになった空気の息苦しさが充満し、彼女が身を置く状況に対して隠せない居心地の悪さがスクリーン越しにひしひしと伝わってくる。
その後、物語が始まって間もなく状況は一変し、ワンダはすべてを失うことになるのだが、自分を取り巻く状況に彼女が向けるまなざしは、常にどこか空(くう)を見つめているようだ。実際、こうしたまなざしをもって、次から次へと自分の身に降りかかる出来事をどれも他人事であるかのように受け入れていくこの主人公の振舞いはあまりにも淡々としている。たとえば、炭鉱で働く夫と子供たちと暮らしていたワンダは、夫から求められた離婚裁判にもいつも通り頭にカーラーを付けたまま遅れてやって来て、離婚を認めてあっさり家族を手放してしまう。さらに、お金のために必要だった仕事を作業が遅いという理由で首にされたり、ついには、なけなしの所持金をすべて盗まれたりしても、自分が直面している現実を気に留めることなく、行きずりの男性と夜を共にし、その日飲む酒だけを求めてバーの扉を開ける。
ところが、行き当たりばったりに辿り着いたバーで強盗している最中のデニスという中年の男に出くわした日を境に、ワンダは彼と一緒に車で旅をしながらその悪事を手伝うことになる。そしてこの出会いは、行き着く先が絶望的なものであることが最初から明らかなはずであるにもかかわらず、彼女の中で長い間沈黙していた何かに働きかける決定的な出来事となるのだ。その意味で最も印象深い場面のひとつに、彼らが旅の道中で車を止めて会話をしている時、何も持っていないのは死人と同じだというような言葉を向けるデニスに対して、そうかもしれない、とワンダが半ば笑いながら認めることしかできない場面がある。
実際、何かを所有することに対してワンダが一貫して関心を示さないのとは対照的に、飽くことなく強盗を繰り返すデニスは、止まるところを知らない欲望の象徴のような存在だ。しかしワンダを追いやっている社会が男性中心主義からなり、その極端な例としてデニスが現れる一方で、実は、そうした社会からはじき出されているのはワンダだけではなく、デニス自身もそこに居場所を見出せずにもがいていることも見逃せない。だからこそ、対極に位置するふたりの間には理解というものが実現し得ないことがわかっていながらも、ともに旅を続ける彼らの間に暗黙裡に生じる共犯関係のような結び付きを読み取りたくなってしまう。そしてその時彼らを結び付けているのは、自分たちがふたりとも「同じように」そういった世界の外部にいるのだという感情であり、その感情が極めて簡潔であることがまた胸を打つ。
とりわけ、ワンダがそうした社会の中でどれだけ追いやられて酷い目に合おうと、常にすべてを受け入れることを選ぶのは、すでに示したように、彼女がどこか空を見つめているまなざしを、言い換えれば盲目さを持っていることに因っている。そしてその盲目さをもって彼女があらゆることを引き受ける存在であることを最もよく示しているのが、銀行強盗を企てていたデニスとともに銀行の支配人の男の家に脅しに行く終盤の場面ではないか。そこで彼女が男から奪われた銃をデニスの代わりに取り返して活躍する身振りに象徴的に表われているように、ワンダは、この酷い世界でそれまで盲目のうちに理不尽に突きつけられてきた役割を今度は自らつかみ取りに行き、この世界で耐えがたいものを自覚的に引き受けて生きることを選ぶ。
言ってしまえば、結局ワンダとデニスの旅は長く続くはずもなく、欲望の赴くままに何かを手に入れようと奔走したデニスは何も手にできないまま、彼に付いてきたワンダも絶望を前にしてこちらをまなざすほかない。しかしワンダでもあり、この主人公を演じたローデン自身でもあるひとりの女性のまなざしに貫かれて、彼女を見つめ返す時、少し前に自ら進んで銃を選び取った彼女の姿をそこに重ね合わせずにはいられないだろう。その姿からは、『ワンダ』の中に「奇蹟」を見たデュラスが自作についてのインタビューで、自分が深く愛している人物たちは皆、思考する時間に先立っている、と語っていたこと2)も思い出される。そしてスクリーンに映る彼女が持つ力強さをそのまま言い得ているかのようなこの作家の言葉とともに、私たちは、この世界にひとり残されたワンダ、あるいはローデンが、生きがたいものを一身に引き受けてたたずむ姿のうちに光を見る。