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September 17, 2022

見えない距離を踏破する クロード・ミレールについて 前編
梅本洋一

[ cinema ]

IMG_6915.JPG生誕80周年記念クロード・ミレール映画祭が9月23日から開催される。それに合わせて、季刊「リュミエール」2号に掲載された梅本洋一氏のミレール論を、編集長だった蓮實重彦氏のご許可をいただき、全3回に分けて再掲する。言及される作品は今回の特集で上映されるものだけはないが、ミレールの映画への情熱、あるいはそれゆえの諦念がどのように彼のフィルムに息づいているのか、それが鮮やかに描き出されており、ぜひご一読いただきたい。


映画への距離

 僕は映画狂だった、と彼は発言をはじめる。映画が好きだ、とも彼は発言する。それは自信を持って言える。しかし、映画が撮れるのかどうか、それは断言できない。不幸なことに彼はヌーヴェルヴァーグの映画人たちが批評家から映画作家に転進したころ映画に接近をはじめた。ヌーヴェルヴァーグの映画群には実に感動したものだった。友人たちとの会話──もちろんその友人たちも映画狂だった──のときさえ、冗談を言いあうにしても、たとえばトリュフォーの『ピアニストを撃て』からジョークを捜したものだ。映画を観るのが生活だった。絶望的に数多くの映画を観たものだった。「カイエ・デュ・シネマ」誌も、「ポジティフ」誌ももちろん定期購読した。だが彼にはアンドレ・バザンが存在したわけではない。そして彼はすでにIDHEC(高等映画学院)に入学していた。映画史、編集、製作、どれも余り面白い授業や実習ではなかった。それでも彼は映画が好きだった。映画狂だった。イングマール・ベルイマンとアルフレッド・ヒッチコックの映画は特に好きだった。何度も何度もくり返し観た。若きトリュフォーのようにすべてのシーンを暗記していた。いつも行きつけの映画館の案内嬢とは顔見知りにさえなった。彼にとって若き日々とは映画館の暗闇だった。
 映画批評家になりたいわけではなかった。とにかく映画に接近したかった。だからIDHECにも入学したのだ。とにかく映画を観るのが生活だった。だから友人たちともひたすら映画の話をした。映画を撮ってみたかった。IDHECのクラスメイトたちはだんだん映画を観なくなってくる。映画を観るのを完全にやめてしまった者さえいる。生きることの方向を変えたかったからだ。しかし、彼にはそれができなかった。映画が好きだ、と断言できると彼は自らに言い聞かせた。映画を撮りたいと思う。心から思う。しかし、当の映画はさっぱり彼の方を向いてはくれない。ヌーヴェルヴァーグの映画人たちのようにある日突然映画作家になる幸福な時代に彼は遅れてやってきたからだ。シネマテーク通いが続く。名画座通いが続く。『野いちご』を観る。また観る。『サイコ』を観る。あの案内嬢はまだこの映画館をやめてはいない。
 観ることから撮ることに転じなければならない。僕は映画狂だ、ともちろん彼は思う。だが観ているだけでは満足できない。ヌーヴェルヴァーグの最中に映画に接近をはじめた彼は、まずそのヌーヴェルヴァーグに近付いてみようとする。ジャン=リュック・ゴダールに学ぼうとする。彼の仕事の方法は素晴しいからだ。『バルタザールどこへ行く』でロベール・ブレッソンに学ぼうとする。ブレッソンは正に画家が絵画を仕上げて行くように仕事をする。フランソワ・トリュフォーのフィルム・デュ・キャロッスに製作担当として加わろうとする。しかし、もちろん映画の技術面では多くのことを学べるのだが、それだからといって映画が撮れるようになるわけではなかった。別の問題の所在を知ったからだ。一本の映画を撮るためには、何よりもまず金銭が必要であることだ。妻の父が映画配給会社の社長だったわけでもなく、叔母が死んで遺産がはいったわけでもない彼にとって、ますます映画を撮る道は遠くなるばかりだ。IDHECで技術は学んだ。多くの作家たちの現場に参加することで技術の他に様々な問題があることを知った。しかし、真の問題はそこにはない。具体的な位相での問題解決法は学ぶことができる。だが、どんな映画が撮りたいのか、それを学ぶことはできない。映画狂であり、映画好きな彼にとって、映画はますます遠い存在になる。ひたすら絶望的に映画を観ていたときは、ただただ映画に接近したいだけだった。だが一旦、具体的に映画の現場に立ち会ってみると、映画と彼との距離は、はっきりしたものになる。観ることで映画に近付いていたころは、そこに距離があることなどに気がつかなかった。彼の立つ位置が次第に映画に近付きつつあるころ、逆に彼には映画と彼との間に静かにだが絶対的に存在している距離があることが意識されはじめる。どんな映画が撮りたいのか、と考えはじめた彼が 選択する道──それはまずシナリオを書いてみることだった。しかし、何を主題に、どうやってシナリオを書いたらよいのか。 友人のリュック・ベローと共に仕事をすれば、そのことで彼の道が見つかるかもしれない。彼はそう考えた。彼とリュック・ベローの協同作業はそこからはじめられた。何本かの短篇はまず撮ることができた。それほど多額の金銭を必要とはしなかったからだ。だが、やっとのことで仕上げた長篇映画のためのシナリオはことごとくプロデューサーたちに拒否されてしまうのだ。リュック・ベローと彼との間にある距離によってシナリオは少しずつ練り上げられてはいった。けれども、映画を、それも長篇を撮ることは易しくはなかった。彼は、彼と映画との間にある距離について再び考え始めていた。

中編に続く