《第4回 映画批評月間:フランス映画の現在をめぐって》『恋するアナイス』シャルリーヌ・ブルジョワ=タケ
梅本健司
[ cinema ]
花屋から勢いよく飛び出してきたかと思えば、早送りの映像を見ているのかと思うほど素早く鋪道を駆け抜けてゆき、アパートの入り口を突き破るように通り抜け、エレベーターには目も暮れず階段を駆け上がり、部屋の前で待つ妙齢の女性に声をかける。部屋に入ってからも忙しなく辺りを行ったり来たりし、部屋の管理人だと思われるその妙齢の女性は呆然と立ち尽くすしかない。手持ちカメラも完全にフォローすることはできず、仕方なくとでもいうように一時的にその管理人の女性をフレームに留めてみたりもする。スクリューボール・コメディのヒロインのように動き回り、早口で喋るこの映画の主人公アナイスにカメラもそこに居合わせた人物もうまく付いていくことができない。見るものを唐突に映画に巻き込むようなこうした冒頭は、アナイスと他の登場人物、カメラの関係、騒がしいこの映画の基調を形作っている。そしてアナイスは、自らの部屋だというのに、カメラも管理人も置き去りにしてまた勢いよく部屋を飛び出していってしまう。
エレベーターや電車などに乗れない閉所恐怖症であり、つねに開放的でありたいアナイスは、だから一つの場所に留まることができない。後に関係を持つことになる男と乗り合わせそうになったエレベーターも扉が閉まる瞬間に、やはり階段のほうがいいと、16階まで駆け上がっていってしまう。部屋から部屋を移動し、部屋のなかでも動き回らずにはいられない。しかし、アナイスはそのある種の不安定さに、不安を抱えてはいない。定住し、自らを安定させることに興味はないように見え、この映画を通して向き合っていく問題もそうしたことではない。あるいは、そのほかに彼女が抱えることになる問題、執筆途中の博論、妊娠、ガンを患ってしまった母親、先行きが見えない未来に対して彼女がいかに向き合っていくのか、ということがこの映画の主軸になることもない。それらはあくまで映画を豊かにする要素に過ぎないように思われる。豊か、といってもそれは映画に横の拡がりをもたらすというよりも、博論はすでに半分書き終えているし、妊娠してからは7ヶ月経っているし、母親のガンは7年ぶりの再発であって、縦、つまりこの映画の以前(以後)への時間的な拡がりを感じさせる。この映画に凸凹した印象はなく、それらの要素はアナイスの直線的な人生に徐々に響き渡るものとして統合されていく。アナイスはこれまで続いてきて、これからも続いていくそうした時間の中から、目の前にある今こそを真剣に掴み取っていくかのようだ。
映画の焦点は徐々にアナイスと彼女が恋をする年上の小説家エミリーとの関係に絞られる。アナイスがエミリーと出会うのは、壁にかけられたエミリーの後ろ姿の写真を見たときなのだが、この場面が記憶に残るのは、さまざまな場所から颯爽と去っていくために、人に背中を見せる人であったアナイスが、反対に、初めて人の背中を見つめるからである。まずエミリーの夫と関係を持ち、写真の中のエミリーの背中と出会い、続いて洗面台でエミリーが使っている口紅を見つけ、香水を嗅ぎ、彼女のドレスを手に取ってみる。それから、エミリーが喋っている映像を見て、書かれた文章を読む。アナイスは、エミリー自身を知る前に、彼女にまつわることに少しずつ触れていく。こうした描写は、愛する人ではなくその人のイメージこそを愛してしまうヒッチコックの男たちのようにアナイスを映し出すことはなく、彼女が階段を一段一段踏んで上がっていく姿が描かれるように、一つひとつ順番にエミリーについて知っていく過程を見せているに過ぎない。じっさい、エミリーの書いたことが自らの考え方に近いと感じ、より好意を抱いたアナイスが、エミリーと出会い、言葉を交わすなかで、自分とエミリーの違い──「ある時点で軽やかになろうと決めた」エミリーと元から身軽さを持っているアナイス──に気づいたとき、それに失望するのではなく、そこからさらにエミリーとの関係を深めていこうとする。男から女を愛するようになり、博論の執筆よりも愛する人が書いた文章に夢中になり......そのように目の前にあることにこそ反応し、変化も辞さないアナイスに、カメラもわれわれも少しずつ慣れていく。
はたしてアナイスは順調に(?)、エミリーとの距離を縮め、ふたりは海辺で夢のような時間を過ごす。それから数週間後という字幕が示され、会えないでいる恋人たちの手紙やメールのやりとりがヴォイスオーヴァーで流れてくる。アナイスの文章はひたすら次にエミリーと会ったときには何をするか、したいか、新たにエミリーについて発見したいという内容であったのに対し、エミリーの文章は数週間前の記憶、イメージのなかにアナイスを捉え続けているかのように書かれている──「あなたの顔や野生的な黒い目、絹のような香りを思い出す。それからあなたの唇と舌」ゆうべ、あなたの夢を見た。あの時、私を魅了した大胆で臆病なあなた。アナイス、あなたは実在する?」。見るものが抱いた不安の通り、久しぶりに再会したエミリーは別れを告げようとする。あの時間は日常の外側であって、続けていくことは難しい。ただ、これからもあの時間をあなたの人生の糧にしてほいしと「理解のある大人」として諭す。しかし、アナイスはその場から去ろうとするエミリーを引き留め、手首にキスをしながら「わたしは反対よ」とだけささやく。言葉は重ねられることはなく、それだけでエミリーは抗い難くアナイスの運動に引き込まれていく。変えられるのはむしろ、「理解のある大人」、関係を放棄しようとしたエミリーの方であるというのもひょっとしたらスクリューボール・コメディ的なのかもしれないが、ここではスローモーションにより、今までにないほどゆったりとした流れのなかでそれが捉えられる。カメラはようやくアナイスの速度を知り、彼女のことを理解する。人生の厳しさを体験し、教わり、しかし、それでも今掴みかけていることを手放すことがなかったアナイスの姿が静かに心に沁み入り、ふたりが乗ったエレベーターのドアは幕のように閉じていく。
『恋するアナイス』は、10/17(月)、10/24(月)、10/26(水)にシネヌーヴォにて、10/29(土)、10/31(月)に出町座にて上映
第4回 映画批評月間:フランス映画の現在をめぐって
日程:2022年10月1日(土)〜10月21日(金)
会場:ユーロスペース
プログラム:画像PDFをご参照ください