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November 8, 2022

《ドキュメンタリー・ドリーム・ショー 山形 in 東京2022》『沈黙の情景』ミコ・レベレザ&カロリーナ・フシリエル
板井仁

[ cinema ]

IMG_7067.JPG 海の中、あるいはその表面において、うねりを映しだす画面はひどく揺れている。われわれは高速で過ぎ去っていく波のなかへとかき混ぜられていく。岩礁へと上陸すると、カメラはその動きを静止させ、日差しを受けるその岩肌をとらえる。そこには、ゆるやかに触角のようなものをのばす、不思議な影が映りこんでいる。
 アカプルコに由来する架空の地、メキシコの太平洋沖カパルコにある島に建てられながら、打ち棄てられたままとなった巨大テーマパークを舞台にした本作は、廃墟ツアーのかたちをとりつつ、その周縁へとまなざしを注ごうとするものである。ミコ・レベレザとカロリーナ・フシリエルの両監督は、誰もいないカフェやホテル、ディスコホールのほか、空になった動物園の檻、水族館の水槽、乾涸びたウォータースライダー、崩れかけた神々の神殿など、固定カメラあるいはゆるやかなドリー・インによってこの「コンクリの大帝国」の内部をあらゆる画角によって探索し、執拗に映しだしてゆくのだが、しかしここで人間の不在は悲劇的には映らない。人間の経済活動のために建てられ、そののちに放棄されたそれらは、両監督のカメラによってどこか生き生きとした表情を見せる。
 ヒビが入り、崩落し、侵食されながら、植物や生物が育つコンクリートの山において人間はもはや「沈黙」しているが、それは生命なき沈黙なのではない。打ち寄せる波の音、吹きつける風の音は島全体へと反響し、それはまるで無数の生物たちのざわめきのようである。むしろ、そうした生物たちの声は、人間の沈黙のなかでしか聞きとられることがない。施設の内部を探索するカメラはときおり海のなかへと潜り、そこに棲息する小さな水棲生物たちの姿をとらえる。生を育む数々の生物たち、この生命の源としてのざわめきは、当時スピーカーから流されていたであろうガイドとしての館内放送が重ねられることで再びかき消されようともする。人間の姿がそれによって亡霊のようにあらわれると、この建物は人間の営みやその痕跡をのこした不穏な廃墟としての表情をも見せる。生命をたたえるざわめきは、「人間」の秩序のもとでは、経済活動を侵犯する不穏さとなる。
 人間に管理・統制されることのなくなった島は、経済活動に不要とされ排除され、周縁へと追いやられていた微弱で無力なものたち、すなわち、植物や水棲生物の住処となる。しかしそれらのものたちは、はじめからそこに存在していたものたちではなかったか。ときおり挿入される両監督の対話において、フィリピン神話に登場するショコイという生物のことが語られる。彼女と彼は、それによってスペインによる植民地時代の歴史を示唆しながら、帝国支配が一時的に解除されたこの空間において、ショコイを含めたさまざまな生物が共存するような未来を想像する。それはおそらく、システムによって搾取されたものたち、不当に扱われたものたち、取るにたらないものたちの理想郷であるだろう。

11月7日、12日にK's cinemaにて上映

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