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November 22, 2022

『語る建築家』チョン・ジェウン
結城秀勇

[ cinema ]

 建築家チョン・ギヨンが語る映画なのだから、このタイトルにはなんの不思議もないのかもしれない。ただ、彼と同年代で仲の良い建築家が、彼の言葉はおもしろいけど彼の建築には首を傾げることがあると言うとき(「彼は絵が下手だから、"お前は話だけしてればいいんだ"と言ってやったんだ」)、このタイトルは、建築家という建物をつくったりする人がその資格の下でなにかを語るというよりも、「建築家 」という言葉が持つ意味がぼろぼろと剥がれ落ちて行った中で残された要素が「語る」だったんじゃないのか、というようなことを考えさせる。そしてこの映画のはじめから、語るためのツールであるはずの彼の声は損なわれている。「私も昔はもっと美声だったんですけどね。どうせ講義でしか喋らないのだからそんなものは無駄だと神様は思ったのでしょう」。
 通常、建築家のドキュメンタリーと聞いて思い浮かべるほどには、彼の経歴もつくってきた作品も、それほど詳しく紹介されるわけではない。もちろん、彼がコミュニティセンターの設計に当たって住民の声を広く聞き、銭湯をその施設の一部としてつくったことはわかる。子供たちのために図書館をつくったことも、「ここに座れば田んぼも座り、立てば田んぼも立つ」という周囲の環境と連続した住宅を設計したこともわかる。でも、この映画の中でも映し出される比重がかなり多いあの住宅の庭に、なぜ墓碑に似た少女の像が立っているのかということも、(おそらくそれに関係して)クライアントが「人目につかない」住居を望んだ理由も詳しく語られることはない。
 たぶん「建築家として語る」ことについて我々が普段期待するのは、あの少女の像はなんなのか、どのようにして人目につかない住宅を設計したのか、彼の言う周囲の環境との調和はどのようなディテールでなされるのかといったことだ。だがこの映画が「語ら」せるのはそうした「問題」を「解決」する言葉ではなくて、もはやマイクで増幅しなければ聞き取れないようなかすれた声、それとともに失われていく頬の肉や髪の毛や身体の厚み、それでもなお時折爆発する許しがたい仕打ちへの怒り、そして自らの回顧展を「将来のために」成功させようとする姿なのである。彼は言う、「問題も解決も土地に内在する」。かつて将来有望な若手建築家であった頃から彼の特徴であった「語り」は、もはや新しい建築プロジェクトを手がけることがなくなった人生の最後の一年間にも、彼を形作る本質としてそこにある。たとえその声量も美声の潤いも失ったのだとしても、決してその「語り」が貧しくなったなどということはない。もう壊れて動かないVHSテープのカメラで彼が撮影し残した映像のように、解像度などという尺度では測れない美が、それでもなおそこにある。
 チョン・ギヨンが自らの回顧展のためにそうしたような、物事の終わりから「将来」を展望するというアプローチは、監督の最新作である、世界最大級の団地の解体に当たってそこに暮らす大量の猫たちを救おうとする人々を描く『猫たちのアパートメント』にも直結するものであるように思う。避けがたい終わりから目を背けるのではなく、そこを見つめることを通して「将来」を透かし見る。それはチョン・ジェウンの倫理的な態度でもある。

「ドキュメンタリードリームショー -山形in東京2022」にて上映

『猫たちのアパートメント』2022年12月23日(金)〜渋谷・ユーロスペース、ヒューマントラストシネマ有楽町にてロードショー、全国順次公開