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November 24, 2022

FIFAワールドカップ2022 日本対ドイツ 2−1
梅本健司

[ sports ]

 前日に、2対1でサウジアラビアがアルゼンチンを下したことは奇跡と呼ばれているらしいが、決してサウジアラビアが良いチームだったとは思わない。前線の選手たちは前からボールを狩りにいかず、引き下がり、にもかかわらず後方はハイラインを組み、フィールドの後ろよりで歪に収縮してしまったサウジアラビア。対して、中盤が全体を繋げるポジションに適切に立てず、前方と後方に分断されてしまったアルゼンチンとでは、どちらも効果的な攻撃も守備もできないだろう。アルゼンチンの前線は、相手の最終ラインと駆け引きすればいいものを、狭いスペースにおいて足元でボールを受けようとして、自らのプレイの難易度を極端に上げてしまった。メッシのスーパープレイでもなければ、何も起きないような状況で、スーパープレイはむしろサウジアラビア側に出た。たしかにスーパープレイは心を打つが、何もかもを飲み込んでしまいそうで嫌いだ。スーパープレイと思いがけぬ結果が、ナショナリズムと相まって感動を作り、杜撰な過程を覆い隠してしまう。スポーツ批評の困難なところは、結果があまりにも大きなものと見なされて、過程があまりにも小さく見積もられていることかもしれない。結果に語るべきことなどほとんどないというのに。

 ピッチに対して具体的な考えがない監督が多いナショナルチームのなかで、ハンジ・フリックは世界で5本指に入る監督であったし、前半のドイツは今大会では唯一見るに足るチームだった。高度にデザインされたチームの攻撃というのは、パスを外回ししながら、少しずつ全体を押し上げていく。少しずつ、というのも大事なところである。全体で前に進んでいくことで、ボールを奪われてもすぐに相手を囲むことができ、ボールを再回収できる確率が高まる。だから、一見後退したように思えるバックパスも重要で、じじつプレミアリーグを連覇しているマンチェスター・シティはリーグのなかで最もバックパスの頻度が多い。無理せず遠回りをすることでリスクを回避する。そうして徐々にゴールに近づいていくチームの攻撃というのはUの字にパスを回しているように見える。凵の字ではなく、Uというのもまた重要である。つまり、後ろは狭く、前は広がらなくてはならない。そうすれば、選手同士で斜めの関係が多く生まれ、選択肢を増やし、前を向いてピッチを広く見れる場面が多くなる。凵だと、サイドバックとサイドハーフは単なる縦関係になり、サイドハーフはボールを後ろ向きで受けるしかなくなる。当たり前のことだが、ワールドカップにおいてそれができているチームはドイツ、スペイン、ブラジルくらいのものだ。イングランド、オランダ、アルゼンチン、フランスですらそれができていない。日本は言うまでもない。
 ドイツは後半、前からのプレスの枚数を変えてきた日本に最初は面食らいながらも、すぐに対応した。選手の状態も万全には見えず、危機的場面も演じたが、日本に対して点差以上の差を見せつけていたと言っていい。それでも日本に逆転を許したのは、ドイツ側から見れば端的にあまりある余裕によってもたらされた油断とでも言うのだろうか。前線の選手のプレスは精細さを欠き、激しさも減少した。試合の入り方から見てドイツは日本を舐めていたように見えなかったが、試合の流れのなかでそうした緩みが出た。じっさい、日本の一点目も二点目も、ドイツのFW、つまりファーストディフェンダーのプレスがやたらいい加減で、そこから起点ができている。ボールの出所をまず潰すべきだ、日本に4年間言い続けてきたことを、たった30分の間、ドイツに言わなくてはならなくなった。
 森保一監督が後半から、4バックを5バックにし、柄にもなく陣形を大きく変えたことは今後評価されもするだろう。だが、機能したと言えるのは、右ウィングバックの酒井に変え、前線の選手である南野を投入、酒井の位置に伊東を降ろした74分から、つまり約20分間だけである。三苫と伊東という世界でも屈指のウィンガーをサイドに固定出来たことは大きいが、そこにたどり着くまでに4回もの交代を繰り返したことには大きな疑問が残る。

 しかし、多くの人にとってそんなことはどうでもいいのだろう。ワールドカップの魔力はピッチ外の問題から目を背けさせるばかりか、ピッチ内を見る目も曇らせる。ドイツの思考を巡らせてきた4年間が、日本の粗雑な4年間に砕かれた。サッカーを愛する者にとって、それは奇跡などではなく、悲劇以外の何でもない。