『あのこと』オドレイ・ディワン
浅井美咲
[ cinema ]
『あのこと』は1960年代、中絶が違法であったフランスにおいて意図せぬ妊娠をしてしまった大学生アンヌの物語である。労働者階級の生まれながら、その優秀さで教師からも一目置かれるアンヌ。学位取得を目指す彼女にとって学業を諦めての出産など考えられなかった。
なぜタイトルが『あのこと』なのか。それは、当時、中絶が固く禁じられ、「中絶」という言葉自体も、口に出すのも恐ろしいほど忌避されるものであったからだ。実際に作中では「中絶」という直接的な言葉は一度も使われず、「産まない方法」と暗喩されたり、「処置する」という言葉が選ばれている。しかし、「あのこと」というタイトルは、中絶と同様明確には言葉にされない、もう一つの主題も内包しているように思える。
映画は、アンヌと友人であるブリジットがクラブに行く前に、自分達の体がよりセクシーに見えるように胸を寄せ上げるシーンから始まる。下着の紐をピンで止めて短くした姿を鏡で確認するブリジットとアンヌ。その二人の様子を見つめるエレーヌ。鏡に映る自分の体を確認する彼女たちは、自らが異性の目に性の対象として見られることに敏感だ。しかし、実際に男性と関係を持つということに対しては小さくない躊躇いがあるようにも見える。「私が男ならヤリたい」「そこが問題よ」「ヤるとは言ってない」女性は男性の欲望を受け止める存在としてだけなく、能動的に欲望を持つ存在として描かれるが、妊娠すれば中絶できないという恐怖は頭の片隅にあって、その恐怖が彼女たちを思い止まらせるのだ。
はたして、アンヌは不安を抱えたまま男と体を重ね、妊娠してしまう。そんな彼女から皆視線を逸らしていく。アンヌに妊娠していることを告げる男性医師も、中絶経験者を紹介してもらおうと協力を求めた学友も、いつも一緒にいるブリジットやエレーヌも。彼女は自身の妊娠と中絶の意志の告白のあと、視線を逸らされるたび、蜘蛛の糸を切られていくようにどんどんと一人になっていく(彼女から視線を逸らさないのは処置を施した女性医師だけである)。アンヌは週を追うごとに増していく焦りや恐怖にだけでなく、終盤の中絶シーンに至るまでに繰り返される、周囲から突き放されることによっても傷ついていくのだ。本作では、全体を通してキャメラがアンヌの背後に配置されることが多く、アンヌが会話している相手の表情の移り変わりをアンヌと共に目撃することになる。見る者もアンヌが一人、また一人から突き放され、孤独になっていく様を擬似的に体感することになる。彼女はなぜ突き放されていくのだろう。それは彼女が「一線を超えてしまった」からだ。妊娠すれば法的に中絶ができないと知りながら性交渉をしてしまったことへの「罰」。妊娠することになった相手であるマキシムはアンヌ同様に性交渉を行ったけれど、妊娠することがないから責任を逃れられる。男性医師は女性には選択権はないから受け入れなさいと諭す。男性も女性も欲望を持つことは同じであるのに、その先に起こること、つまり妊娠することへの責任がまったく平等でないのだ。アンヌは一人で責任という名の「罰」を背負い、孤独を増していくことになる。
最終的に中絶手術を施してくれる医者を探し出すも一度目の手術が失敗してしまったアンヌは、これ以上ゾンデを入れるのは危険だという医師の忠告を了承した上で二度目の手術を受ける。医者と言葉を交わした後、アンヌは彼女と話していた部屋から手術が行われる部屋へと移動する。それまでアンヌの背後に配置されることが多かったキャメラが、このシーンではアンヌの正面に配置され、廊下を歩き、ベッドに座るまでのアンヌの表情を捉えていく。目を見開き口を固く噤んだアンヌは真っ直ぐ正面を向きキャメラのレンズを見つめ、ゆっくりと深呼吸をする。
映画を見る我々と初めて目が合うアンヌの瞳には、中絶のその日まで一人で抱えてきた孤独や命を危険に晒しても手術を受けるのだという決意が伺えるだろう。これまでアンヌから見える景色を共に目撃してきた我々に彼女は訴えかけるようだ。妊娠週をカウントするテロップと共にアンヌを追い続けてきたこの物語は、アンヌだけの物語ではない。
二度の壮絶な手術の末、彼女は中絶に成功した。しかし、中絶に成功したアンヌと表裏一体の存在として立ち現れるのは、無茶な中絶を試みて命を落とした女性や、医師に中絶したと診断され逮捕されてしまった女性たちのことだ(アンヌは意識を失った後に運ばれた病院で「流産」と診断され事なきを得た)。作品の中でも、男性医師が「毎月のように運を試して激痛で亡くなる女性がいる(から無茶なことはするな)」とアンヌに忠告したり、アンヌに手術を行った医師が、漂白剤を子宮に流し込んで死に至る女性もいる、あなた(アンヌ)は幸運だと告げるシーンがあり、度々中絶を試みて亡くなっていく女性について言及されている。彼女たちもアンヌと同じように「罰」を受け、悲しい末路を辿ることになってしまったのだ。頼みの綱を切られ、ほのかに涙ぐんだ目を見開き現実を受け入れられないと言わんばかりに微かに首を振る表情を見せたアンヌを見ながらも、そうして映画のなかで浮かび上がってきた、その背後で傷つき、命を奪われた女性たちの存在によって、不安や恐怖、孤独が私たちに重くのしかかり、痛みの中に立ちすくんでしまう。