January 31, 2022
冒頭、喪服のように黒い服を着た女が、人気の少ないバスに乗っている。車窓の外光はそこまできつくはない。それでも、なかばシルエットになりかけた彼女。窓の外を深い深い緑が流れていく。ふと目を凝らすと、彼女の服が黒ではなく、深い深い赤色なのだと気付く。わたしの目には、その赤い服が、薄暗がりのなかで、真っ黒の喪服に見えた。彼女は「旅人」だ。彼女は、多くの人が被災地と呼ぶ、その場所に向かおうとしている。 ...
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January 29, 2022
タル・ベーラの主人公は、しばしば受動的な観察者であり、そのカメラは遠く距離を保ったまま、目の前で起こるあり様に対して悲嘆に暮れる傍観者であり続ける。大量の泥や雨とともに荒廃した町を長回しでゆっくり描くタル・ベーラの白黒世界は、彼の長編第五作『ダムネーション/天罰』(1988)を基点に形成されている。これこそ『サタンタンゴ』(1994)のスローシネマの美学のまさに原点である。 「タル・ベーラ伝説前夜...
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January 28, 2022
原風景と言うのだろうか。過去を振り返ったとき、あの日の街、匂いや緑、そしてそこにいた人々が浮かび上がる。わたしがあの瞬間切り取って胸にしまった風景はもう二度と同じ形でわたしの前に現れることはない。 『街は誰のもの?』は監督が2018年10月から2019年3月の半年間ブラジルに滞在した中で出会ったグラフィテイロ(ブラジルにおけるグラフィティライターの呼称)やスケーター、民衆によるデモやカーニバル...
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January 20, 2022
農場で飼われている動物たちの姿を追っただけのドキュメンタリーが、ある種のポスト・アポカリプティック的な雰囲気を漂わせているのは、我々がまさしくそういった時代、つまり、「人間以降」の時代を生きているからかもしれない。 親豚が自身の子を踏み潰し、子豚が甲高い鳴き声をあげるとき、我々はこう思う。「なんて野蛮なんだ」。そして、カメラは動物たちの肌へと顕微鏡学的な視線でもって接近していき、観客たちを穿つ...
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January 16, 2022
自社のスターを総出演させて観客を動員するオールスター映画なんて別に昨日今日始まったわけじゃないんだから、別にやりたきゃやればいい。でもキャラクターや設定の整合性をとるために必死になって囲いこんで、端から端まで精密に作られた箱庭を愛でるなんて、本来のオールスター映画の無駄なゴージャスさとは真逆の貧乏くささじゃないか。MCUについてそんなふうに思っていた時代が僕にもありました。サム・ライミ版や「アメ...
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なにか調べ物をしていて、いまでは傑作とされている古典が発表当時はたいして評価されていなかった、と知ることがある。昔の人は見る目がなかったんだなあとか、当時はこんなものが高く評価されていたのか、などと驚きながら、そんなとき、自分もそのうち「昔の人」になることも、いま生きている現在が歴史上の任意の「当時」になりうることも、たいてい都合よく忘れている。たまには少し頭を働かせて、今日見た映画が未来の名画...
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January 13, 2022
高下駄を履き大きな棍棒を持つ侍は、何ものかによる「助けて」という声を聞きつけて画面外へと駆けていくのだが、そのとき画面はおどろおどろしい太鼓の音とともに右へと半回転する。襖を蹴飛ばして部屋へ押し入ると、蜘蛛の巣の下、美しい女性がロープに縛られている。駆けつけた侍がそのロープをほどきはじめると、女性は恐ろしい姿へと変化し、腕をぐるぐると回す魔術によって侍の目を回し、眠らせてしまう。映画の冒頭を飾る...
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「これはあなたの物語」などと銘打つ映画が、間接的に、もう少しよく言って、本質的、根本的にこそ私たちにかかわるとしても、私たちの身体に働きかける、もっと言えば身体の中にまで侵入してくるほど直接的であったためしは、ほとんどない。『ダーク・ウォーターズ』は、「永遠の化学物質」ともいわれる汚染物質を取り上げ,世界中の全生物の体内にまで投げかけられる大きな問題を含んでいる(「人類の99.9%に関係する」と...
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