《第18回大阪アジアン映画祭》『天国か、ここ?』いまおかしんじ
斗内秀和
[ cinema ]
見終わった後にしみじみとしてしまった。川瀬陽太演じる伊藤猛と武田暁演じる川島麻由子の再会の場面があまりに感動的だったからだ。伊藤猛は死に別れた妻である麻由子に言う。「ずっと一緒にいられなかった、先に死んじゃってごめんな」と。この「一緒」という言葉が鍵のように思えた。
『天国か、ここ?』は、天国で登場する人物たちの生きていた時の記憶が多く語られる。林由美香(平岡美保)はお爺ちゃんに習ったという将棋を指して、鴨田香史(伊藤清美)は「くま(神代辰巳)さん、くまさん、くまさん、くまさん」と呟き、江利川深夜(上野伸弥)は新作映画をこれから撮るということを幸せ気に語る。このように本作の天国とは、作者を含め、誰かと映画をつくっていた今は亡き人たちへの思い出からできていることがだんだんと分かってくる。そしてそこに通じるのは、まさにその人に会いたいという想いだろう。その後も作品内では「一緒にいる」という言葉が台詞で度々交わされる。「好き同士が一緒にいるだけで奇跡みたいなものじゃないの」と、麻由子は天国の世界を彷徨う夫の伸夫(河屋秀俊)に優しく語りかけたりもする。難しく考える必要はなく、一緒にいて愛情を感じることこそが愛と言っていいんじゃないのかと。会いたいと思って会えること、一緒にいられることがどれだけ幸せなことなのかを問いかける。
映画のラストシーンはワンショットで撮られている。先ほどの天国の場面と同じロケーションのまま、主人公の伸夫と麻由子はともに海を眺めている。主人公の二人は横並び、視線の先は画面の外にあり、先ほど映画の中で再会した今は亡き人たちの名前を叫びながら、カメラはパンをして画面の奥へ消えていく二人を捉える。まるで天国と地上は海さえも地続きに存在していて、いずれにせよ会いたいと思える人に会える場所だと言っているかのようだ。もっと言えば、天国と地上をシームレスに接続することで、亡くなった人たちだけでなく、現実に生きる人たちに対する「今、会えるうちに会おう」というメッセージのようにすら聴こえる。だからこそこのシーンには続きがあり、二人は叫ぶ人物がいなくなったあと、一緒にいるお互いの名前を呼び合うことで映画は終わるのだろう。そう考えると、最後のショットは視線の先にいる死んだ人を想うというものだけでなく、視線の先にいる人たちに会いに行くという二重の意味を孕んだショットであることを物語っている。
『天国か、ここ?』は身近にある大切なものに気づくという素朴さを、低予算であるがゆえのシンプルなつくりで完成させている。そして、映画で描かれる天国は、死んでしまった人に対する想いをごくごく単純に具現化したものだ。ただそれは、いまおかしんじという他者にとっての想いだけでなく、映画を見ている私たちも不思議とその想いを感じ取ることができるのだ。なぜなら、本作の天国と地上が地続きであるように、人に対する想いという点で私たちの持っている感情と同じものだからだろう。