『AIR/エア』ベン・アフレック
結城秀勇
[ cinema ]
この映画の最終盤で、ソニー・ヴァッカロ(マット・デイモン)はマイケル・ジョーダンが表紙を飾るスポーツ・イラストレイテッド誌をレジに出して、顔馴染みの店員にこう聞く。「彼はどうだい?」。対して店員は、いいに決まってる、おれなら彼をドラフトしてたね、「みんな知ってたさ=everybody knew」、と答える。
このひと言が、この映画のほとんどすべてを説明している。直接的には、物語の中盤で「だってガードだろ?」と言っていたブレイザーズファンの店員(ポートランドトレイルブレイザーズはシカゴブルズより上位の2位指名権を持っていたのに、センターのサム・ブーイを指名した)を揶揄する場面なわけだが、しかし観客の誰もがその店員を意地悪く嘲笑う気にはなれず、むしろ清々しい思いさえするのは、私たちの誰もがそれが起こってしまったとすでに知っている、「みんな知ってたさ」の立場でしかないからだ。ジョーダンがナイキと契約したのも知ってるし、エアジョーダンがバカ売れしたのも知ってる、というかそうでなければこんな映画もつくられないし、もしつくられても見に来ない。
それがビジネスなのだ、そう『AIR/エア』は語る。ソニーが優れた才能を示すのはまず冒頭のカジノのスポーツべッティングで大勝ちする場面だが、その後彼がマイケル・ジョーダンの契約争奪戦に本格的に参入するまで、バスケのグルだのミスター・ミヤギだの言われている理由は画面からはわからない。そして契約争奪戦のテーブルに彼率いるナイキ陣営が参加できるのは、なによりもまず、競争相手であるアディダスとコンバースの戦略を、彼がまるで「知っていた」かのようにピタリと言い当てたからだ。こうしたドラマツルギーはこの映画に限らず、ビジネス成功譚そのものの限界でもある。なぜそれが成功したのか、なぜほかのどれでもなくそれだったのか、ということの究極の答えは、それが「成功したから」という同語反復でしかありえないからだ。その他の理由づけは、問題の本質をずらす未来から遡った脚色にすぎない。そうした意味でソニーの才能は、劇中最大の「知っていた」人物であるマイケルの母デロリス・ジョーダン(ヴィオラ・デイヴィス)にはかなわない。
この「知っていた」問題の苦悩をおそらく誰より「知っていた」監督のベン・アフレックによって、『AIR/エア』はかなりふざけたつくりになっている。それは、チャールズ・バークレーは口が悪いからテレビに出れない(現在チャールズ・バークレーはシャキール・オニールと並び元NBA選手のテレビコメンテーターとして二台巨頭である)だとか、ジョン・ストックトンのゴンザガ大いじり(八村塁も所属したゴンザガは当時まったくの無名校であり「ゴンザガ大のストックトンなのか、ストックトン大のゴンザガなのか」と言われたという逸話は有名)だとか、後年のNBAを知る観客への目配せ的ギャグが満載程度のことではない。スポーツ産業の歴史を大変革させる一足の靴の名前は、それが出来上がり名付けられる以前に、代理人の罵倒の言葉としてすでに口にされている。ソニーが繰り返しビデオを見て見つけたマイケルでなければならない理由は、それが口にされる前にボブ・ストラッサー(ジェイソン・ベイトマン)の「おいおい話の着地点が見えないぞ」という言葉に遮られる。だが、まさに美しい決勝ミドルジャンパーを放つマイケル・ジョーダンが着地点が見えないほど高く長く跳んでいることこそが、その理由に他ならない。後にバスケの神様となる若者の御尊顔は畏れ多くてこの映画では描かれることはないが、この映画のクライマックスはわざわざソニーとその青年との真正面切り返しという絶対不可能なカット割を試みようとする。ソニーやデロリスのようにそのことに意識的に振る舞えるかどうかは別として、この映画のあらゆる登場人物がその後起こる出来事を「みんな知っていた」。
観客たちもまた絶対安全な立場からこの予定調和に参加する。だがそのことに唯一居心地の悪さを感じる瞬間があるとしたら、ストラッサーがブルース・スプリングスティーンの「ボーン・イン・ザ・USA」の話をするときだろう。自由の国アメリカを謳歌する歌だと思っていたら、ベトナム帰還兵の歌だった。おれたちもまた、韓国や台湾で靴をつくらせることで支えている生活がある。
この映画の最後、登場人物たちの未来の栄光を語るエンディングで、ダメ押しのように「ボーン・イン・ザ・USA」がかかる。NIKEのランニングシューズはランニングしない人も履くが、バスケシューズはバスケする人しか履かない、とフィル・ナイト(ベン・アフレック)は言う。それをバスケをしない人もバッシュを履く世の中に変えたのがNIKEとエアジョーダンであることをみんな知っている。しかしその栄華の果てに、完全に投資目的の商品になった、一般人はおろかバスケ選手すら履かないバスケシューズをNIKEがつくり続けていることも知っている。もはや韓国や台湾でもつくられることがなくなった靴はどこで生産されているのか?誰かが足を通すまで、靴はただの靴でしかないのに。