『私、オルガ・ヘプナロヴァー』トマーシュ・バインレプ &ペトル・カズダ
浅井美咲
[ cinema ]
映画中盤、オルガが犯行前夜に声明文を書くシーンが挿入され、ヴォイスオーバーによってその内容が読み上げられる。路面電車を待つ群衆にトラックで突っ込み、結果的に8名を死亡させることになる凄惨な事件を起こした動機は、社会への復讐、さらには自らを痛めつけてきた人々への死刑の宣告であると。具体的には父をはじめとした人々から幾度となく暴行を受けたことやどんな職場でも侮辱を受け、嘲笑されたこと、また私的な問題として性的不能であることを挙げ、惨めで、絶望に陥ったと語る。だが、本作においてオルガが暴行を受けるのは精神安定剤を大量に服薬した後に入院した精神病院の描写一ヶ所のみで、声明文の中で真っ先に挙げた父親から暴行を受けるシーンは描かれず、職場で侮辱を受けたという描写についてもはっきりと描かれることはない。初めて恋に落ちたイトカにあっけなく別れを告げられ、自暴自棄になって起こした不祥事によってオルガは会社を解雇される。オルガが会議室に呼び出され、部屋の中に入った後、バタンと閉まるドア。次のショットでは、数人の同僚に取り囲まれ涙を流すオルガが映し出され、上長から解雇を通知する文書がすでに読み上げられている。この一連のシーンの中では、オルガが同僚からどのような言葉で侮辱を受けたのか、その描写がすっぽりと抜け落ちており、観客は彼女がどのように傷ついていったのかを窺い知ることができない。本作においては、オルガが直接他者から痛めつけられるシーンは極力排されており、そのことによって、観客がやがて起きる事件を容易に納得することは拒まれ、オルガ自身に同情を抱くことも困難になっている。
しかし、オルガへの同情を避けることで、彼女を批判的に描いているのかというとそれも違うだろう。なぜならオルガはコミュニケーションの失敗を繰り返し、周囲との意思疎通の困難によって孤独を深めていく存在として描かれているからだ。家族の中で唯一言葉を交わす存在である母親との関係においては特に、円滑なコミュニケーションが行えない様子が垣間見える。厳格な雰囲気を漂わせ、オルガが反抗しようとほとんど表情を変えることがない母親は、まったくオルガを愛していなかったのだろうか。事務的ではあるものの薬を頼まれれば処方箋を書いてお金を渡してやり、寒い冬にはストーブを差し入れる。ストーブを届けた際には「冬は寒いから家に帰って来なさい」と助言し、家を出たオルガを引き止めはしないものの、一緒に暮らすことを望んでいないわけでもない。オルガは事件を起こした後、拘留された留置所で母親と面会する。キャメラははじめオルガの背後に置かれ、オルガと対面する母親の表情を映し出す。事件の一報を聞いても表情を変えなかった母は、オルガを見つめる長いワンショットの中でだんだんと顔を歪め、堪えられず涙を流し始める。次にキャメラは母の背後に移動し、泣く彼女を見つめるオルガを捉える。神妙な面持ちで時折息を飲みながら母親を見つめるオルガは、今この時に母親からの愛に気がついたかもしれない。しかし事件が起こってしまった以上、向けられていた愛に気がついてももう遅いのだ。衝動的な言葉で相手を傷つけたこと、あの時相手に言葉をかけなかったことを後悔する。それらは決してオルガだけが犯す過ちではない。
裁判を経て死刑が確定したオルガは、映画終盤で絞首刑に処される。画面を埋め尽くすように並ぶ、刑務官や医師、政府の高官ら数人の男性に見られながら息絶えたオルガはまるで見せ物のようだ。ラストシーンでは、オルガが死刑に処された後、食卓を囲む家族の様子が映し出される。母が慣れた手つきで皿にスープを掬い、姉と父に手渡す。その様子は家族が死刑に処された後とは思えないほど日常的な光景で、オルガなど初めからいなかったかのようである。オルガは裁判の中で、自分のような「プリューゲルクナーベ(いじめられっ子)」に関心を向けてほしいと語った。プリューゲルクナーベによる無差別殺人が二度と繰り返されないために自分は事件を起こしたのであると。しかし彼女の声虚しく、オルガは対処すべきものとして、乗り越えるべきものとして客体化され、処理されてしまう。そんな一連のラストシーンは、オルガは被害者なのか、加害者なのか、ジャッジしようとする観客の姿勢そのものを突き放す。