『ベツレヘムの星』ドン・シーゲル
千浦僚
[ cinema ]
『ベツレヘムの星』Star in The Night は1945年10月13日から公開された、長さ22分の短編映画、ドン・シーゲルの単独初監督作品である。本作は46年のアカデミー賞優秀短編賞を受賞している。
クリスマスイヴ。三人のカウボーイが燦然と輝く星に向かって馬を進める。すごい輝きだなあ。妙に低いな、あの星。彼らは長期の荒野での仕事を終えて人里恋しく、久方ぶりの文明世界が楽しかったせいか(売り子の娘さんが可愛かったためか)、通過した町で自分たちが使わない無用のもの、子どものおもちゃやベビー用品を買いこんでしまっている......。活劇の職人、暴力描写の達人ドン・シーゲルの初監督作品はハートウォーミングなクリスマスストーリーであった。
彼ら三人が、キリスト生誕を言祝ぐ「東方の三博士(三賢人)」の現代版翻案であるだろうとは、そのイメージをはらむ多くの映画を観ている、あるいは観ていなくてもその概略を知っている我々には簡単に想像がつく。
ピーター・バーンハード・カイン(1880~1957)によって書かれた(1912年にサタデーイヴニングポストに掲載、1913年に出版された)小説The Three Godfathers は、銀行強盗三人組が逃げ込んだ荒野で産気づいた女性に遭遇し、出産後に亡くなった彼女から託された新生児をなんとか無事に町に連れて行こうとする話で、サイレント期にはD・W・グリフィスによるThe Sheriff's Baby(1913)、エドワード・ルセイント監督The Three Godfathers(1916)、ジョン・フォード監督『恵みの光』Marked Men(1919)として映画化され、トーキー時代になってもウィリアム・ワイラー監督作『砂漠の生霊』Hell's Heroes(1930)、リチャード・ボレスラウスキー監督『地獄への挑戦』Three Godfathers(1936)、ジョン・フォード監督『三人の名付親』3 Godfathers(1948)として映画化されている。
神の子イエス・キリスト誕生の逸話の、馬小屋で産まれる、家族でもなんでもない者がそれに立会い祝福する、という要素の変奏と映像化は、赤児の無事な誕生をやきもきしながら願う普遍的なヒューマニズムと、事態の関係者・目撃者たち(そこに観客をも含める)の浄化のストーリーとして広く強くウケてきた。サミュエル・フラー『最前線物語』(1980)の荒くれ兵士が戦車内で出産を介助する場面や、今敏『東京ゴッドファーザーズ』(2003)なども同種の想像力によって成立したはずだ。
サイレント映画群と、ワイラー『砂漠の生霊』、R・ボレスラウスキー『地獄への挑戦』の後、フォード『三人の名付親』(48年)以前につくられた『ベツレヘムの星』は、ピーター・B・カイン原作ではなく、三人連れも無害なカウボーイとして冒頭と終幕近くに現れるのみの脇役扱いだが、明らかにこの物語的欲望の系譜のなかにある。
『ベツレヘムの星』はロバート・フィンチ原作、ソール・エルキンス脚本で、主人公的な存在はJ・キャロル・ネイシュが演じるモーテル経営者ニック・カタポリだ。冒頭カウボーイらが見た星の光は、このニックがつぶれた映画館からもらってきた星の形の電飾看板、中古の偽物の星だった。それを修理して点灯させつつ、そこにやってきたヒッチハイカーと交わす言葉のうちにも彼の世間への絶望とそれが育んだ吝嗇さがにじむ。経営のやりくりと客への応対に疲れ、クリスマスを疎ましく、憎く思う風情のニックはまるでディケンズ「クリスマス・キャロル」の守銭奴スクルージだ。実際その感じも狙ってつくられているだろう。
ニックの態度と客たちそれぞれのクレームで、モーテルとその食堂はつんけんした雰囲気だが、メキシコ系の若夫婦がやって来て、空き室がないため物置に入り、その奥さんの体調が悪いらしい、というところから状況が変わってくる。女たちの囁きあいとにわかに協働しはじめる様子は出産が間近であること以外のなにものでもないが、映画はしばらくそれを直接告げることを引き伸ばす。やがて三人のカウボーイも到着する。ニックはヒッチハイカーの説く性善論に反発することをやめる。映画は期待どおりのハッピーエンド、祝祭のときを迎えるが、観るものの心を打つのは最後にJ・キャロル・ネイシュ演じるニックが到達する境地、いま一度世界への希望を回復する姿だ。
ドン・シーゲルはワーナーブラザーズの優秀な編集者であり、やがてその職域と仕事内容を拡大・深化させ、1941年のアーヴィング・ラッパー監督作『我が道は遠けれど』以降は編集 Film Editor、Film Editing とは別の、モンタージュ Montages という表記で名前を出し、そのモンタージュ部門の代表者として活動し、助監督や第二班監督を務めていたが、そこで培った手腕を発揮したとおぼしき『ベツレヘムの星』は、的確な撮影で小気味よく語り、じつに堂々たる演出ぶりである。
撮影のロバート・バークス(本作クレジットの表記はL・ロバート・バークス)はこれよりのち、50年代ヒッチコック映画のほとんどを撮る撮影監督となる。彼は1951年の『見知らぬ乗客』から1964年の『マーニー』まで、唯一の例外『サイコ』(60年)以外の12本を撮影する。我々がヒッチコック、と言って思い浮かべる多くの映画、『裏窓』、『めまい』、『北北西~』、『鳥』などのルックは彼の手になるものだ。バークスはシーゲルの長編第一作目となる『ビッグ・ボウの殺人』(1946)でも撮影にも参加しているという(クレジット表記なし。『ビッグ・ボウ~』のクレジット上の撮影監督はアーネスト・ハラーのみ)。技巧と実験の50年代ヒッチコック映画のルックを担ったロバート・バークスがその業績の前夜にシーゲルと交錯していることは興味深い。この短編におけるところどころの寄りの画とアングルのつけ方に、30年代や戦前までの平明で透明な画面の時代とは異なるオルタナティブな映画、フィルムノワールやスリラーや恐怖映画がそこに属するような、戦後と50年代のアメリカ映画が匂う。
経済性重視でセコハンのガラクタをいじりまわして光らせていた皮肉屋が、ついに自ら動き、何事かを為す物語。やはり意外と 『ベツレヘムの星』Star in The Nightは、ドン・シーゲルの初監督作にふさわしい短編だったかもしれない。