『幸運を!』サッシャ・ギトリ
結城秀勇
[ cinema ]
なにげなくかけた「幸運を!」という呼びかけが、本当に幸運をもたらす。ギトリ演じるクロードは、「自分には運はないが、人に幸運を与えることはよくある」と自らの特殊な能力(?)を説明するのだが、この物語を真に動かすのは彼の幸運を人に与える力それ自体よりも、ジャクリーヌ・ドゥリュバック演じるマリィの、自らに与えられた幸運を与えてくれた当人へと再分配しようとする行為の方にある気がしてならない。
あなたにもらった幸運で買った宝くじなのだから当たったら山分けにしましょう、と彼女は持ちかけて、彼らふたりのグランツーリスモが始まる。それは前日に求婚されたマリィの、婚約者が兵役から帰ってくるまでのモラトリアムを利用したバチェロレッテパーティ的な体裁をとってはいるのだが、まあまあそんなこと言ってもどうせギトリの方とくっつくんでしょう?と観客はみんなわかっている。わかってはいるのだが、観客たちが宙吊りにされたお約束的な結末を性急に求めたりせずに物語を追っていくことができるのは、ドゥリュバックのあの全部わかってるのか全然なにもわかってないのかどっちなのかさっぱりわからない微笑みによるところが大きい。人から与えられた幸運を受け止めて、今度はまるで彼女自身が産み出した幸運であるかのように与えてくれた当人に送り返す、という本作の役柄はジャクリーヌ・ドゥリュバックというコメディエンヌの核を的確にとらえているように思う。
この映画の最後に待ち受ける、結婚式の誓いの言葉の場面。「Oui」と答えて少し待てばすぐ終わるはずの簡単な儀式が、余計なことをしゃべっては引き伸ばされていく様を、マリィは笑って眺めている。彼女の顔は帽子の大きなツバで半分隠されていて、そこから覗く左目だけが笑っている。『新しい遺言』の隠し子なのか愛人なのかわからない女性、『カドリーユ』の妻の親友かつ夫の愛人候補というポジション、『とらんぷ譚』の元妻であるのに「すべてを知らない」から情事の対象となる女性。そうした役柄と相まって、ジャクリーヌ・ドゥリュバックの微笑みはいつも、真正面から見ているのに半分しか見えていないような、それでいて半分しか見えていないのにすべてが明らかなような、そんなものに見える。別に誰のものであるわけでもない幸運を彼女はほんの一時自らのうちにためこんで、観客たちはあたかもその幸運がドゥリュバックという宝箱から飛び出してきたかのように、幸せな気持ちになる。
......そうそう『幸運を!』について言い忘れてはいけないのは、給仕を交えた3人の、レストランでの注文シーンである。めちゃくちゃおもしろいのだが、あそこでなにが起こっているのかを文章化することができる人などいるんだろうか?早口のセリフのやりとりの中にジェスチャーや言い間違いや意味不明な音もぶちこまれて笑いが爆発するが、結局なんだったのかはよくわからない。この映画を見ているといくつかのコメディ映画の傑作が頭をよぎるのだが、中でも思い出してしまうのが『三つ数えろ』でボギーとバコールが警察に電話をかけておきながら、「うちは警察じゃないですよ、母に代わります」「代わりました、うちは警察じゃないですよ」という悪ふざけに興じる場面だ。年上の男性が女性に富や経験によるスキルを与え、その代償として女性が美しさや若さのようなものを捧げるという構図に一見見えなくもない『幸運を!』だが、実は男性が与えるものは年下の女性にもらったものでしかない(「人の金で贈り物をするのは気分のいいものだね」)。不均衡な力関係が無効化して、もともと誰のものでもありはしない幸運をぐるぐると循環させるだけの回路になるとき、ギトリ=ドゥリュバックはボギー=バコールにも比肩する伝説的なカップルとなる。
下高井戸シネマ『サッシャ・ギトリ 都市・演劇・映画<増補新版>』出版記念トーク付特別上映、「ハッピーエンドの彼方へ」にて上映。『幸運を!』は8/9(水)20:15からも上映あり