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August 24, 2023

『CLOSE/クロース』ルーカス・ドン
浅井美咲

[ cinema ]

IMG_0015.JPG  ルーカス・ドンは『CLOSE/クロース』でレオとレミ、二人の少年の身体的な触れ合いとその名付けようもない親密さについて描いた。彼らは恋愛や友情などに必ずしも規定されない関係であったにも拘らず、パブリックな場所においては彼らの身体的な触れ合いが「恋愛」の枠に押し込められ、セクシャリティをジャッジされ、レオとレミの間には次第に溝が生まれてしまう。レミが自ら命を絶つことで、レオとレミの関係は終わり、映画中盤から終盤までレオはレミを突き放した自責の念に駆られていくが、本評では、『CLOSE/クロース』において他者の関係性を身勝手に規定する暴力性を訴えている側面を取り上げるのは控えておこうと思う。二人とその外部からの視線との関係ではなく、ふたりの関係の中にある親密さをこそここでは描き出したいからだ。ルーカス・ドンが「親密で美しい友情」「名前のない愛」と語った二人の関係とは具体的にどのようなものだったのか。
 中学校入学の前夜、レミと同じベッドに寝転んだレオは、「頭の中で考えが渦巻いてる」と眠れずにいるレミに、「アヒルの赤ちゃん」の物語を語りかける。お前(レミ)は仲間よりもずっと綺麗な色をしたアヒルの赤ちゃんで、特別な存在なんだと。そして眠れずにいたレミは、レオの話を聞きながら段々と眠りに落ちてゆく。この時キャメラは、横たわってレミに語りかけるレオを映す。長回しがあまり使われない本作の中で、このシーンは比較的一つのショットが長く、レオがおどけて眉を上げて笑ったり、少し眠たそうに目元を掻いたりしながら語りかける表情の機微が映し出される。とりわけ印象的なのは、語りかけている間、レオがレミからほとんど目を離さないということだ。切り返しで時折映るレミもレオの表情を見つめている。レオの眼差しには恥じらいや躊躇がないように見える。それはレオにとってレミが心配事を抱えているなら彼が眠れるまで話をして、寄り添ってやるのが当たり前だからであろう。我々はレオの躊躇いのない優しさに引き込まれていく。翌日、入学したクラスで自己紹介の順番を待っている間、レオは隣に座るレミの顔を覗き込み「緊張してる?」と声をかける。少し緊張していると答えたレミの肩に、レオはコツンと軽く頭を乗せ、レミもレオの頭に頭を乗せ返す。直後に二人が頭を寄せ合っている様子をまじまじと見るクラスメイトが映し出される。二人の関係が他者からのまなざしにさらされてしまう、嫌な予感も感じさせるが、レオとレミはまだそれを知る由もなく、ただいつものように寄り添っている。レオとレミの親密さは、特にレオがレミを励ましたり勇気づけたりするようなシーンで、触れること、もしくは真っ直ぐに視線を向けることによって描き出される。
 また、この身体的距離の近さがレオとその兄チャーリーの間にも見受けられるという点にも触れておきたい。レミが亡くなった後、レミと距離を置いてしまった悔恨を打ち明けられず、抱え込むようになったレオにとって、チャーリーだけが少しだけ心の内を吐露できる相手になっていく。レオは夜チャーリーの部屋にそっと入り、ベッドに潜り込んだ時にだけレミの話をする。チャーリーに背を向けて寝転んだレオは「会いたい」とだけ呟く。するとチャーリーは背後から腕を回してレオの手を握り、ショットが切り替わるとチャーリーがレオを抱きしめる様子をキャメラが上から捉えている。これは、レオがレミに「アヒルの赤ちゃん」の話をした後、二人が寄り添いながら眠りに落ちたのを同じように上からキャメラが捉えたショットを思い出させる。眠れないレミにレオが寄り添ったように、眠れなくなってしまったレオをチャーリーが抱きしめる。ルーカス・ドンはこのような触れ合いを、友情や恋愛、あるいは兄弟といった関係に先立つような行為として丁寧に描こうとしており、映画自体がそれを何らかの関係に押し込んでしまうことを拒んでいる。
 ラストシーンにおけるレオの伏し目がちな表情を見た時、今はもういないレミのことを想像してしまうし、レオとレミの仲を裂いた、他者の関係性を身勝手に定義付けする第三者からのまなざしを恨めしいとも思ってしまう。しかし、レオとレミの関係がまだ誰からも規定されていなかった頃に彼らが駆け抜けていた花畑を再び見るとき、鮮やかな花々に讃えられたふたりだけの美しい自由こそを、何よりも強く思い出さずにはいられない。