《第24回東京フィルメックス》『雪雲』ウー・ラン
浅井美咲
[ cinema ]
10年の刑務所生活を終えたジャンユーは島の小さな美容室を訪れる。店の中に入るとすでに中年男性が女性店員から施術を受けていて、ジャンユーは待合の椅子に座る。先の男性の会計が終わり、ジャンユーがセット椅子に案内される。彼が施術を受けている間、10歳くらいの少女が店に帰ってくる。ジャンユーは彼女を一瞥する。それから彼も会計を済ませ、店を後にする。キャメラは会計をキャッシャーに戻す女性店員を捉えるのだが、彼女は背後で立ち去ってゆくジャンユーの方を軽く振り返り、少しの間ぼうっと宙を見つめている。これが、本作で描かれるジャンユーとホンの最初の出会いである。必要最低限の客と店員の会話しか交わされないが、最後のショットによってジャンユーとホンが見知らぬ他人ではないのかもしれないと示唆される。今度は二人分のケーキを持ってジャンユーは美容室を再訪するのだが、ホンから「ヤオはあなたの娘ではない」とそのケーキを突き返されてしまう。二人がただならぬ関係であったことが徐々にわかってくる。
その後、不動産業を営むカイから仕事に誘われたジャンユーは、開発業者が主催するパーティーでホンを見つける。ジャンユーがホンを追いかけ、振り払われたあとも彼女の後ろをつかず離れずの距離で追うジャンユーをキャメラがロングショットで捉える。薄暗い路地を歩く二人の背中を映すショットや、ヤシの木が生い茂る海沿いの道を左から右へゆっくりと横断していく二人を定点で捉えるロングショットなど多くのショットが費やされ、ジャンユーが長い時間ただホンの背中を追っていたことが伝わってくる。ホンは浜辺に辿り着き、寂れた小屋の中に入る。奥にゆっくりと腰掛けたホンは後を追ってきたジャンユーに真っ直ぐ視線を向ける。ジャンユーは入り口で少しホンと視線を交わし、中に入って向かいに腰掛ける。二人はもう一度見つめ合う。ジャンユーはホンの長い髪を掬い上げて軽くキスをし、彼女を引き寄せて抱きしめる。
ほとんど言葉を交わすことなく進んでゆくこの一連のシークエンスを見た時、ジャンユーがホンを追っていたというよりは、ホンがジャンユーを追わせていたのだと気がつく。二人がどの道をゆくのか、どこに辿り着くのか。それを決めるのはホンであり、ジャンユーは彼女の意志に従うしかない。ジャンユーは例えば愛の言葉を語ったりするのではなく、ホンの元へ向かい、ホンの後を追いかけるという形で何か忠誠にも似たような愛を示し続けるのだ。そして、この寡黙ながらもホンへの情熱を絶やさないジャンユーというキャラクターを、眉が垂れ下がり目元を潤ませ、悲喜交々のすべてを抱え込んだようなリー・カンションの表情が見事に体現しているという点も付け加えておきたい。
ホンは娘のヤオにより良い教育を受けさせたいと本土に家を購入したが、やがて開発業者であるカイが雲隠れしたことでマンションの建設計画が頓挫し、夢絶たれてしまう。ホンは工事が中断され、立派なコンクリートの骨組みだけを残したマンションをあてもなく彷徨うが、そこにジャンユーがまたふらりと現れる。彼は板やワイヤー、工具を手に持っていて、ホンと少し目を合わせた後、フレームから立ち去る。ホンは彼の後を追う。ホンの後を追うことでしか彼女への愛を示せなかったジャンユーは、彼女のために廃ビルと化したマンションにささやかな家を作ろうとしているのだ。ホンは、階段を昇るジャンユーの後を追い、コンクリートの骨組みしかない窓枠にカーテンをつけ、ベッドにシーツを設る作業を手伝う。
終盤、ジャンユーとホンはこのささやかな家にヤオを連れてやってくる。ジャンユーは電気を取りつけ、ホンとヤオが既に横になっているベッドに滑り込む。二人に挟まれたヤオはカラフルに光るスノードームを手放さず楽しげで、どこか興奮しているようである。そんなヤオを、ホンもジャンユーも早く眠るよう優しく宥める。川の字になって横になるのを斜め上から捉えたこのショットではベッドが画面いっぱいに収まっていて、暖色の電灯が彼らを照らしている。このショットだけを切り取れば三人は温かい家族に見えるだろう。ジャンユーのホンを求める思いと、ホンの家を持つという願いは達成されたようにも見える。しかし、カメラを少し横に振れば無機質で薄汚れたコンクリートの壁しか映らないのだし、階下に降りれば床となるはずだった土壌には雨が溜まってしまっている。家を持つことを夢見た多くの人々の怒りややるせなさがこだましてくるような空間にかりそめの家を作り上げる試みは子供のままごとのようでもあるのだが、そのひと時の充足がジャンユーとホンには必要だったのだろう。束の間の安らぎに水を刺さないくだんのショットを見るとそう思える。