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December 28, 2023

『ショーイング・アップ』ケリー・ライカート
結城秀勇

[ cinema ]

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 夜、愛猫リッキーが窓の隙間から入り込んできた鳩をおもちゃにして、羽根を散らばらせて床に横たわるその鳩を、リジー(ミシェル・ウィリアムズ)は箒とちりとりで窓の外に捨ててつぶやく。「どこか他の場所で死んで」。そして窓を閉めすぐさまこう続ける。「私って最低ね」。
 翌日、隣人のジョー(ホン・チャウ)がその鳩を救出し、居合わせたリジーも否応なしに巻き込まれて、ふたりは鳩の骨折の手当をする。自分が留守の間鳩を預かってくれないかと、ジョーは鳩の入ったダンボールを手渡すのだが、その時彼女はリジーにこう言う。「あなたって最高ね」。
 そんなふうに、リジーはいつも最低であると同時に最高でもある。『ショーイング・アップ』は、かつて最低だった人間が最高になるというような成長とか覚醒の物語ではなくて、常に最低でも最高でもあることから逃れられない人間たちの話だ。ろくにシャワーも浴びることさえできずに過ごしているのに、出会った人からいきなり「あなたの作品の色づかいが最高ね」と言われる気恥ずかしさ。それはひょっとすると、最低な人間と見なされながら生きるほかない人間の屈辱よりも、そこから逃れるすべがないという点において、より根源的な人間であることの恥辱であるのかもしれない。
 リジーのつくる人形は、最低なのだろうか最高なのだろうか。「注目のアーティスト」に選ばれるくらいすごいのだろうか。ジョーの作品と比べてどうなんだろうか。あの片側が焼け焦げた自信作は、本当に失敗なのだろうか。正直そんなことはよくわからない。でも、緑のストッキングの少女、もぎ取られて90度の角度に付け替えられた右腕、ジョーが「これは私よ」と言う長い黒髪の少女、それらのものが特に他との比較を必要ともしないくらいすばらしいものだということは誰にでもわかる。そして、色とりどりの糸で編まれたニットのジャンプスーツ、蜘蛛の巣のように編み込まれていく紐、鮮やかな光に照らし出されるテント。リジーの作品だけではなく、見る人が見れば「ゴミ」や「生産性のないもの」にしか見えないようなものたちが、この作品には溢れている。そんな空間と時間が、この上なく豊かなものに見える。
 それはこの物語の舞台がアートカレッジという特殊な環境だからなのだろうか?そうではあるのだろうが、でもそれだけでもない。リジーとジョーが暮らすあの建物の前を走る道路。そこを、タイヤを転がすジョーが駆け抜けていき、スケボー少年たちが滑り抜けていき、いくつかの車がそこに流れ着き、やがてどこかへ去っていく。あの道路はまるで、最低なものも最高なものも一緒くたにまとめて海へと流してしまう川のようにも見える。そのほとりで、リジーとジョーは人生のわずかな時間をともに過ごしている。
 お湯の出ないシャワー、映らないチャンネル4、数時間おきに取り替えてあげなければものすごく汚れてしまう新聞紙、そんなものに囲まれて私たちは暮らしている。窓の外に、壁の向こうに、境界のあちら側に、なにか嫌なものを見えないように押し込んでは、「どこか他の場所で死んで」とつぶやく最低な私たち。でもその追いやったものたちが目の前で助けを求めているなら、無視することもできず、声を上げずにはいられないくらいには、最高でもある私たち。願わくば、そんな私たちの住む街が、この映画の最後にリジーとジョーが肩を並べて歩くがらんとだだっ広いポートランドの道路のように、公共性に満ちた場所であったならいい。


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