『ヒノサト』飯岡幸子
結城秀勇
[ cinema ]
これからこの映画を見ようとする人に、この作品は、監督の祖父である飯岡修の絵画が所蔵された場所を巡り、そこに彼の日記の一節が引用されるというつくりになっている、ということを前もって伝えるべきなのかどうかがよくわからない。なにも知らずに見てもタッチのよく似た何枚かの少女の肖像を見ていれば自然とひとりの画家を追っていることはわかると思うし、逆にあらかじめそれを知っていたとしても、日付もコンテクストも欠いた短い日記の一節が突然真っ白な画面に飾り気のない文字で映し出される衝撃が薄れるとも思えない。
この作品が行っていることを乱暴に一言で言ってしまえば、亡き祖父が残したものを、絵画も日記も同じ「テクスト」として、現在の風景の中に引用するということだと思う。ただ、絵画と日記では、その引用のされ方があまりに違う。絵画がその所蔵されている空間とともに映し出されるのに対して、日記はそれまで見ている風景とはほぼまったく関係なく挿入される。さらに、仮にこの日記と絵画が同一の人物の手によると知っていてこの作品を見るとするならば、それはそれでとまどうのだ。少なくともこの作品の序盤において、日記の書き手についての情報は画家であるということではなく、なんだかよくわからないが「スピーカー」や「アンプ」の話をよくする人だ、ということだからだ。
ネタばらしのようなことを言うなら、日記の書き手は、第二次世界大戦中に手づくりの蓄音機を組み上げてから出征したような人物であったらしい(こちらを参照のこと)。だがそのことを知っていたとしても知らなかったとしても、やはりこの作品における日記と絵画というふたつの「テクスト」の肌触りの対比は、なにも変わらないと思う。日記は音であり、絵画は映像なのだ。それは単に、日記がスピーカーやレコードについて語るからというだけではなく、抜き出された文章そのものが持つ音韻のためだ(たとえば「アンプの棚がゆらゆらなので補強する」という一節が持つ語感)。そして日記があまりにコンテクストを欠いて引用されるのと同等以上に、絵画は撮影当時のコンテクストをあまりに帯び過ぎたかたちで引用されるからだ(たとえば、雀を掌に抱いた少女の肖像をパンアップするとき、絵画の下部はその前に置かれた棚とそこに敷かれた布によって一部隠されている)。
だから日記=音と、絵画=映像が、完全に満足いくかたちで一致することなどないだろうと思うのだ。たとえ日記が絵画について語り出し、映像が次第に日記の文字が語るためのスペースを頻繁に空けていくようになったとしても。だが、序盤で「業者による移転委託物品」という張り紙が付されていた体育祭の少女たちの絵が壁から姿を消すとき、かつて絵がかけられていた場所が日焼けによる影を長方形に残すとき、カメラが壁の塗装のひび割れを映すほどに寄って日焼けの境界線を映し出すとき、なにかがダイナミックに変わる。そして視界がホワイトアウトしたかのように、日記の文字が立て続けに映される。そして、いままで光の当たらなかった空間に光が差し込み、カメラはホワイトアウトする。
そうした構成によってさえも、飯岡修の残した日記と絵画という2種類のテクストが完全に一致するなどとは言えないのだと思う。それはやはり別のものなのだ。でもそこで、なにかとなにかが、たしかに出会う。
それを実感するのは、ラスト直前の、祖父が残したのであろうレコードを家族らしき人々が集まって聞く場面というよりも、その直前に置かれたシーンなのではないかと、個人的には思う。画面奥に山(たぶん絵に描かれた山だろう)が見える高台に置かれたベンチに、ひとりの女性がこちらに背を向けて座っている。そのフレームに赤ん坊を背負った男性が入ってきて同じベンチに座る。カットが変わりふたりに近づいたカメラは、ふたりのやりとりをこれまでよりはやや詳細に映し出すが、それでもなにを言っているかはよくわからない。この映画の最後にカメラが同じ場所に戻ってくるとき、ベンチにはもうだれもいない。しかし、壁の日焼けがかつてそこにあった絵をうっすらと記憶しているように、空っぽのベンチをはさむようにフレームの両脇に立つ2本の木は、そこがなにかとなにかが出会った場所であることを記憶している、そんな気がする。
特集「日々をつなぐ」4/20〜26下高井戸シネマにて開催
京都・誠光社にて5/11、12、大阪・シネヌーヴォにて6/29〜7/5開催