第77回カンヌ国際映画祭報告(2)ファブリス・アラーニョ インタビュー《前編》
槻舘南菜子
[ cinema , interview ]
ファブリス・アラーニョは、長年ジャン=リュック・ゴダールの右腕としてサポートを続け、終着点となる作品『Scnéarios』は、生前のゴダールによる詳細な指示のもと、彼の手によって完成した。自身も映画作家であり、ゴダール作品をインスタレーションという形で、別の「生」を与えることを使命としている彼の言葉を聞いた。
ーーあなたは20年来、ジャン=リュック・ゴダールと共犯関係にあり、アシスタントを務めてきました。『Scénarios』は『楽しい戦争 Drôle de la guerre』の地続きにある作品、ある種「平面」への関心という共通点があると思います。この2作品ではどのように仕事をしたのですか。
ファブリス・アラーニョ(以下、FA) この2作品の制作期間は6ヶ月しか違いはありません。連続性は、時間軸的なものでしかないでしょう。しかしながら、どちらも2018年、カンヌ国際映画祭でスペシャル・パルムドールを受賞した長編『イメージの本』後、同時期にスタートした企画になります。そこから4年間、両作品に並行して取り組みましたが、ある時は、一方の作品が主導権を取り、また時には別の一方がと、しばしば両作品は並走しながら、それぞれに相違点を残していると思います。『楽しい戦争 Drôles de guerre』は、イヴ・サン=ローランが提案した白紙委任状です。シャルル・プリニエの小説『偽旅券』を自由に脚色した長編映画で、それぞれの章が登場人物に捧げられています。ジャン=リュックは、それぞれの章のタイトルにもなっているカルロッタやディトカなどの登場人物に興味を持ったのです。1917年の共産主義の始まりから1930年代まで、様々な出来事を描いたこの小説の中で、複数の登場人物が20年の時を隔てて再登場します。ジャン=リュックは、初期の頃に使用していたフィルムの「技術」、いや「質感」を、現代の距離感と成熟した感覚で再発見したいと考えました。当初は、モノクロの35mm、カラーの16mmやsuper8での撮影を予定していました。 また、私に、クリス・マルケル『ラ・ジュテ』についても話し、アニメーションという形式すら彼の念頭にはありました(想像できると思いますが、私の制作への情熱が燃え始めました)。それから、35mm、16mm、super8のカメラとレンズ、そして数本のフィルムを購入し、撮影に備えて実験を始めました。とりわけ、主題に結びつく光と関連したカメラのポジションや被写体深度、焦点距離を巡って戯れながらも、カメラの運動によって、同じフレームの中で二つの時代を捉えようと試みたのです。その被写体として、20年前に『アワーミュージック』に出演した2人の女優ナード・デューとサラ・アドラーを考えていました。 しかし、コロナウイルスの流行と余波のせいで、延期が続き、私は疲労し、押しつぶされ、完全に疲れ果ててしまいました。しかし、頑固な私は、どんな犠牲を払ってもその試みを続けるためにも、イーストマン・コダックのモノクロ35mmフィルムをライカのカメラに入れ、写真撮影を実験的に行いました。ジャン=リュックと共有した雨の降る冬の暖かなひととき、湖畔の森に行き、彼の愛犬ロキシーとルルーを散歩させた時のことを「不滅のもの」として、撮影で使用するはずだったフィルムを使い、写真におさめました。今でもその時間は写真と私の思い出として残っています。
ーー『Scénarios』の製作にはおよそ4年の歳月が捧げられており、複雑な過程を経たと聞いています。
FA 『Scnérios』は、元々かなり幅のある企画でした。当初、パリのオペラ座から、偉大な監督に「委託」してオペラについての作品を制作する提案がありました。この依頼は、『イメージの本』に続き、2018年、サン・ローランからの『楽しい戦争 Drôles de guerres』への提案とほぼ同時期に来ました。ジャン=リュックは両方とも引き受けたのです。 そのため、企画は3つの局面、そして3つの時間を経ることになります。最初は、バスティーユのオペラ座の舞台装置の中で撮影することになっていました。このオペラ座は、取り外す可能な舞台装置を持った特殊な場所でした。可動式舞台に取り付けられた複数のオペラセットを、ジュークボックスのレコードのように入れ替えることができるのです。つまり、それぞれ異なるセットが設置された3つの舞台裏がありました。 ジャン=リュックのアイデアは、その舞台裏のセットの中で「オペラ」の一幕を撮影することでした。ワーグナー、ヴェルディ、そしてコンテンポラリー......彼にとって、舞台にどんなセットが設置されているかは問題ではありませんでした。しかしながら、舞台裏は撮影するには、かなり暗かったのです。そんな折に「ベレニス」を思いつきました。そして、新たな作品の脚本は、紙ではなく映画に書く脚本であり、『Scnénarios』というタイトルで、ヨーロッパの文化テレビ局であるアルテに提出しようと考えました。オペラを撮影する作品と『Scénarios』を経て3段階目として、ジャン=リュックは、オペラのための台本を書き始めました(そう、今度は紙に書いたのです)、作曲家に音楽を依頼し、演出家に依頼するという壮大な三面鏡のプロジェクトになるはずでした。ところが、その当時のオペラ座の演出家が、ミラノ・スカラ座に移ってしまいました。ジャン=リュックは、新しい方針で続けることを望みませんでした。最終的に残ったのはすでにアルテと契約していた、つまり『Scénarios』というタイトルの台本だけでした。
脚本は6部構成で、6という数字は、彼が言うように、完全数の最初の数字です。それぞれの章の題材はとりわけ時事問題に関係していましたが、「タイタスとベレニス」によって発せられた運動の章で、ベレニスには報道番組のジャーナリストを、タイタスはエマニュエル・マクロンを考えていました。その他には、アラン・バディウの短編集『失われた現実を求めて』に触発された章、ジャン=リュックに近い哲学を持った思想家、ニエプスと写真の始まりに関する章などもありました。『Scnéarios』は、ビデオで撮影された映像、『イメージの本』から続く既存の映画の映像、静止画、写真、絵画によって構成されています。ジャン=リュックは、ありとあらゆる制約のもとで、それらを映画の空間のような木製のテーブルの上に自分を拘束し、生き生きとした創造的自由のもとに『Scnéarios』を生み出しました。逆にこの制約こそが創造的であり、彼は抵抗していたんです。
ーーあなたが考える2本の作品の共通点とは何でしょうか。
FA 『奇妙な戦争』と『Scénarios』に類似点があるとすれば、同じ世界、同じ時間、同じ制約のもとで構想され、創作への活力とは裏腹に横たわっていた疲労と肉体の消耗を伴っていたことです。その結果として、2つの映画は多かれ少なかれ短い形に集約されました。『奇妙な戦争 Drôles de guerres』の予告編は、20分ほどしか「続かない」。それにも関わらず、作品は私たちの中で生き続けます。その一方で、数時間続く多くのテレビシリーズは、最終的な物語の決着が吐き出されると、たちまち私たちの記憶から消えてしまうでしょう。(後編につづく)